Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

今朝も地震

2014年05月13日 11時41分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 5日の地震は伊豆大島と茅ヶ崎の間あたりの深さ156キロの地点。私の住んでいる横浜北部の沿海部も震度4で、短い周期の小刻みな揺れに感じた。揺れ幅がそれほどなかったので、震度3位に感じた。
 気象庁の発表では沈み込んでいるフィリピン海プレートのさらに下にもぐりこんでいる太平洋プレートのプレート内地震ということになっている。想定されている首都直下型地震とは違うメカニズムらしい。
 本日の地震は千葉県央部の深さ80キロとなっている。私の住んでいるところは震度3で5日よりは揺れは小さいとのことであるが、私の感覚では揺れは5日よりゆっくりだが揺れ幅は大きかったような気がする。
 気象庁発表の詳しい報道はまだ見ることができないが、おそらく太平洋プレートの沈み込みに伴う、プレート内か境界付近の地震のようだ。これか想定されている首都圏直下型地震の震源域なのかどうかは発表を待たないと分からない。
 関東地方はフィリンピン海プレートのもぐり込みと、さらにその下に太平洋プレートのもぐり込みが複雑に関係している。この複雑なふたつのプレートのもぐり込みが南東北にまで伸びているものなのかどうかも入門書ではわからない。これがメカニズムをさらに複雑にしていることは確かなようだ。
 日本列島の、そして関東の地震予知は無理とは断言できないが、おそらくとても困難なことなのであろうことは十分想定できる。
 しかし今ひとつ、私たちの知りたい情報がなかなか届いてこないもどかしさを感ずる。まずメカニズムの概略、せめて高校生レベルの知識で理解できる範囲の情報が流布される必要があると感じるが、気象庁の記者会見の配布資料がマスコミをとおしてきちんと流されているように感じられないのは、私の不勉強の所為だろうか。
 気象庁のホームページを見ると、地表での平面的な観測結果はすぐに見ることができる。少し探すと発震機構解が出てくる。しかしこれではメカニズムの説明とはなっていない。現在はプレートテクにクス理論による解釈が主流の時代だ。だからといってすべてこれによって説明できると断定は出来ないが、それにそった解説がなされた方が良いと思える。
 本日はこれから今朝の地震の情報をいろいろと検索してみることにしよう。

 太平洋プレートの動きだけが活動期になっているのか、フィリピン海プレートの動きも活発になっているのか、その見解も出されていないが、感覚的には列島の北部を中心に活動期の様相ではないか、と私は勝手に判断している。活動期というのはどうも向こう50年から100年の話である。
 現代だから耐震・耐火建築が進んでいるので、関東大震災などのような被害は想定できないといわれた。しかし、阪神淡路の震災や、3.11の状況を見るとそうも言ってられない。3.11の震災では津波の被害がひどかったが、津波以前にも気仙沼湾の大火災や天井落下、長周期振動などの被害が多く出た。遠隔地といえど被害が出ることもあるということである。

 非科学的な思い込みや不安を煽るだけの論評などが、特にネット上で目に余る昨今である。しかしみんなの不安にこたえるだけの分かりやすい情報を行政機関がキチンと流しているかというと、これは疑問符が付く。
 地震にしろ放射能にしろ、風評被害をもたらす情報、間違い情報・誇大情報、思い込み情報などなど、無責任ネット情報に対して、行政機関の情報の発信のあり方については大いに改善の余地はあると思われる。
 行政機関が、無責任なネット情報に対して個別に対応するのは考えものであるが、それを凌駕する情報のあり方を期待したいものである。災害についての行政機関の情報を信用する、しないはそれぞれの勝手といえば勝手であるが、行政機関の信頼度の高い、有用性の高い情報は人々の判断に不可欠である。




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交響曲第2番とハイドンの主題による変奏曲

2014年05月12日 20時58分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 今日は会報を作りながら、すっかりブラームス漬けになった。といっても先ほどの交響曲4番と、今回の交響曲2番&ハイドンの主題による変奏曲を2回ずつ聴いただけであるが‥。
 私は交響曲第2番については第2楽章の第1テーマを奏でるチェロがいいと思う。第1楽章や第3楽章の軽快な明るい楽想や派手なフィナーレを好む方が多いようだが、私はなんといってもこの第2楽章である。
 「ハイドンの主題による変奏曲」、実は近年までハイドンの曲とされていた主題は、ハイドン作ということは否定されている。ただブラームスの頃はハイドン作と信じられていた。
 好みで言えば第4変奏と第8変奏が私は好きであるが、全体をとおして聴くのがやはり一番いい。

 ブラームスはメロディーが次から次に頭の中に浮かんでくる作曲家ではないと自分で言明していたらしい。確かに短いフレーズを丹念にさまざまに変容させながら、音楽を緻密に構築していった作曲家である。それが私の好きなところなののだが‥。そしてそのことがブラームスの変奏曲が私を引き付ける根拠である。先人のモチーフを丹念にさまざまな手法、編成、表情で再構築する。ある主題を丁寧に発展させ、構造物として定着させる力量を、変奏曲という形でいかんなく発揮したのではないかと思う。
 たとえば今回の交響曲第2番でも、D-Cis-Dという極く単純な音型が全曲に現れる基本的なモチーフと解説される。ブラームスはメロディーも低音の支えもこのような単純な音型から全体を構築していく。チャイコフスキーが表情豊かな旋律をさまざまに惜しげもなくちりばめるのとは違う曲の作り方である。
 友人のひとりはこの構成的で分析的な音楽の作り方は「現代音楽の先駆け」と評していた。わからなくもないが、それは一面的な把握のような気がしている。抒情性と普遍性の両方を捨てる、あるいは断念したところで成り立つとしか思えない幾人かの現代の作曲家の音楽とは、あまりに落差が大きい。




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風が強い

2014年05月12日 15時33分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝から強風が吹いている。セキセイインコをベランダに出していたが、風に怯えているようでジッと静かにしていた。お昼過ぎに部屋の中に入れたら、落ち着いたようだ。
 朝から退職者会のブロック用の会報を作成した。いつものとおりこの二ヶ月の活動報告を簡単に。とはいってもA4裏表、デザインを考えながら記事を書くのは結構疲れる。現役の頃はモノクロであったが、全面カラーとなると配色のセンスが問われる。これはなかなかつらいものがある。
 5時間かかってほぼ会報が出来上がったので、運動がてらこれから横浜駅まで歩いてみることにした。講座ひとつ分のの受講料の請求も来ているので支払いをしなくてはいけない。風がまったくおさまらず、逆に強くなっている気配もあるので用心しないと何が飛んでくるかわからない。




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ブラームス 交響曲第4番

2014年05月12日 11時46分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 先日のブラームスの「パガニーニの主題による変奏曲」から変奏曲という言葉をきっかけにこの交響曲第4番にたどり着いた。
 最近は室内楽や独奏曲ばかり聞いているので、フル編成のオーケストラが実に新鮮に聞こえる。しかも演奏はヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニーでという組合せだから大編成の音の響きや効果、演出は徹底的に計算されているはずだ。それが鼻につくという人も多い。しかし音の立体的な構築ということでは、そのような計算し尽くされた建築物というのも作曲家の意図したことなのかもしれない。
 帝王といわれたカラヤン、翌年の4月にベルリンフィルの指揮者を辞任して三か月せずに亡くなっている。このCDはカラヤンの死の前年の1988年録音である。
 このCDもここに掲げたブラームスの解説は2ページだが、この後ろにはカラヤンの詳細な年譜が3ページと最終ページにカラヤンの大写しの写真となっており、ブラームスはかすんでしまっている。もっともカラヤンの死を機に発売された追悼盤なのかもしれないから、やむを得ないのだろうが‥。
 生前から帝王、或いはそれを通り越して神のように君臨したカラヤンならではの扱い(もっともドイツグラムフォンだからだろうが‥)がされていて、それがウンザリという人も多い。私もどちらかというとその口。ということで、我が家にはカラヤン・ベルリンフィルの組み合わせは、このブラームスの交響曲4曲しか持ち合わせがない。

 ブラームスの交響曲はどれも好きである。複雑な構成、知的な動機処理と抒情的なメロディーが絶妙なバランスをとっていると感じる。
 特にこの第4番は第1楽章から第4楽章まで特徴ある楽章が並んでいる。第4楽章に向かっていく盛り上がりも聞いていてあきないし、変奏曲である第4楽章は、その変奏の区切りを耳で追いながら聴く楽しみもある。
 カラヤンにとってはこの知的で複雑な構成を丁寧に再現してみせるという手腕が発揮される楽曲だったと思う。他の指揮者の演奏のCDは持ち合わせは無いが、いくつかは演奏会で聴き、あるいは友人のもつCDで聞かせてもらったりした。好き嫌いは別として一つの基準になる、完成度の高い演奏なのだろうと勝手に思っている。
 しかし抒情性に着目して、そして強固な構成力をこれ見よがしに見せることをしない演奏というのも決してブラームスの意図を外してはいないので、そのような演奏も手元に置いて聴きたいとは思っている。誰の演奏がいいのだろうか。

 この楽曲の解説の中でシェーンベルクのブラームス評価が引用されている。保守主義者ブラームスは同時に革新主義者ブラームスでもあった云々。なかなかの評価だと感じている。ブラームスという作曲家、バロック音楽や古典音楽の基礎をきちんと固めた人との評価とともに、さまざまな工夫・新しい試みを貪欲に取り入れたと言われている。 音楽に、芸術作品に人間の持つ破壊的なエネルギーや暗い情念の発露や、芸術のよって立つ根拠に個人の思想と社会との厳しい軋轢によってもたらされる動揺を求める人や、そのような気分の時には不向きかもしれない。
 私も気分が安定した時や、静かに内省的になっているときに好んで聞きたい曲である。しかし人間、そのような時ばかりではない。



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またもお酒「南部初雪」‥誘惑に負けて‥

2014年05月11日 21時24分07秒 | 料理関連&お酒
 本日は妻のお供で日本橋まで出向いた。何でも新しい商業施設が出来たので見てみたいということと、その傍に島根県のアンテナショップを訪れてみたいとのことであった。
 わたしはそのすぐそばにある三井記念美術館を可能ならのぞいてみたい、ならびに隠岐・三瓶山・石見銀山めぐりの資料を手に入れたい、との願望を持っていたのでとりあえず賛同して同行した。
 商業施設というのは、コレド室町1~3、コレド日本橋、日本橋三井タワーという5つのビルのことであった。
 新橋駅から銀座線に乗り換え、三越前駅で下車。コレド室町1~3の一階をとりあえず巡ってみたがどれも大変な人混みであった。このようなところは私だけでなく妻も近寄らない・長居しない主義なので早々に退散。島根県の物産館を探した。さいわい歩道でチョイとキョロキョロしたらすぐそばに見つけることができた。そういえば以前に三井記念美術館を私が訪れたときにちょっと立ち寄ったところであった。頭の片隅に入っていて、その時の記憶が微かに残っていた。

 そこで、旅行用の各自治体や観光協会が発行するパンフレットを置いてあるコーナーで、隠岐・三瓶山・石見銀山周辺のものを手当たり次第にリュックに詰め込んだ。そして陶器や漆工芸の展示品を見て、何とか安いぐい呑みを手に入れたいと思ったが、1000円前後の値段で手ごろなものが無かった。八雲塗という漆塗りのぐい呑みが気に入ったのだが、ひとつ3500円余というのでは到底無理。しかしとてもいいデザイン・柄であった。
 あきらめて、せめて今晩のおかずになるものはないかと物色していたら、冷凍の干物を売っていてどのパックにも「どんちっち」という表示が出ていた。よくわからなかったが、安価なトビウオとアジの干物を購入した。
 帰宅後ネットで検索したところ、「どんちっち」とは、島根県石見地方の「石見神楽」の囃子(はやし)を表現する幼児言葉のこととのこと。そして浜田市が浜田産のあじ、のどぐろ、かれいの3種の魚につけたブランド名のことのようだ。

 そしていよいよ「超絶技巧!明治工芸の粋-村田コレクション一挙公開」展をしている三井記念美術館前まで妻を引っ張って行ったのだが、入場料大人1人1300円ということであっさり却下の運命となってしまった。

 次に妻の要請は東銀座駅前の「いわて銀河プラザ」へ。銀座線で銀座駅までもどり新装なった歌舞伎座を見ながら、その目の前の「いわて銀河プラザ」へ。ところがその前にあったはずの仙台に本店のある「七十七銀行東京支店」の入っていたビルが解体されて無くなっている。かつて妻の両親の預金がこの銀行にあり(もっとも今は口座はすでに無くなっているのだが)、後見人として幾度かここを訪れた妻はかなりのショックを受けたようで、工事現場に足を運んだ。するとビルの建て替えということで現在は近くに仮店舗があり、来年夏までには再建されることが記載されていた。
 しかもビルの名称からすると七十七銀行の自社ビルということもわかった。このような一等地に土地とビルを所有しているというのはすごいと感心しきりの妻であった。

   

 一安心して、岩手の物産館で海産物を中心にいくつか購入。私は誘惑に駆られて、また三井記念美術館に入らなかったことを口実に、日本酒を一本せしめることができた。我ながらまるで駄々っ子である。
 購入したのは「南部初雪」という初めての銘柄。活性原酒ということで、蓋を開けようとすると発泡性で溢れそうになるのをだましだまし静かにこぼれないように開けるのが楽しみである。確かにこれは美味しい。

   

 同時になつかしい氷頭膾(ひずなます)を見つけて購入した。特に岩手特産ということではないが、やはり東北・北海道のものである。
 本日はアジの味醂干しを焼いたので、この氷頭膾は明日にお預けとなってしまった。

 池袋の宮城ふるさとプラザとここは交互にいくども訪れている。先月からはようやくに、福島県八重洲観光交流館が東京駅の八重洲南口にオープンになっている。
 当面はこの3館を交互に訪れたいと思っている。むろん私の目当てはお酒とツマミである。



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本日のお酒「壱岐の華」

2014年05月11日 11時02分08秒 | 料理関連&お酒
   

 昨日購入したのは、「壱岐の華酒造」の「昭和仕込」と銘打っている懐かしい壱岐の焼酎。昭和20年代まで島内で栽培されていた「たばる麦」を復活し、当時に近い製法で仕込んだ、ということになっている。
 壱岐を訪れてもう11か月もたってしまった。その時訪れた醸造元はここではないが、島内では7つの蔵元が競って焼酎を造っていた。島内のいたるところに7つの銘柄の大きな看板があった。夜になって居酒屋で選択するのが楽しみでもあったが、全部を飲むことができないもどかしさも同時に抱いた。
 日本でお酒で地理的表示の産地に指定されたのは沖縄の「泡盛」、熊本の「球磨焼酎」とこの壱岐の「壱岐焼酎」だけと聞いている。

 この酒造会社のホームページでは「壱岐焼酎と他の地域の麦焼酎と最も異なる点は、仕込みで麦麹ではなく米麹を使用することです。麦麹で仕込むのに比べて甘みと厚みのある味わいが生まれます。壱岐焼酎は発祥当時から「米麹:麦=1:2」という割合を厳格に守り続けることで、壱岐の華等の壱岐焼酎の品質を守り続けています」と記載されている。
 さらに「米は麦に比べて高価ですが、麹にした時にデンプン価によって焼酎に甘みを含ませ、味にふくらみを持たせます。麦麹を使用した麦焼酎がライトですっきりと軽快さがウリなのに対して、壱岐の麦焼酎は素材の旨みを引き出した味わい深い焼酎といえるでしょう。」
 「地下50~150Mには玄武岩層の水脈があり、降雨が厚い地層によってろ過され、巨大で深い天然の地下貯水槽に貯えられています。カルシウム・マグネシウム・クロールなどのミネラル分を多く含んでおりますが、酒造りに好ましくない鉄分はほとんど含まれておりません。」
 と表示されている。

 実際に飲み比べて味がわかるほどの繊細な味覚を、私は持ち合わせていないが、このような記載を読むのはとても好きである。読んでその気になれば、そのような味わいに感じられれば、それで幸福なのである。



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パガニーニの主題による変奏曲(ブラームス)

2014年05月10日 22時37分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 引き続きペーター・レーゼルの演奏で聴いている。
 和田真由子の解説は以下のようになっていた。
・パガニーニの主題による変奏曲(作品35)
 1862年、ブラームスは生活の本拠をウィーンに移した。彼は、ここで出会った名ピアニスト、カール・タウジヒ(1841~1871)の技巧に、完全に魅了された。彼はブラームスと正反対と言えるくらいに性格が違っていたが、二人はすぐに意気投合し、一緒に演奏や議論を楽しんだ。
 ブラームスはシューマンの作品3と作品10、リストの〈パガニーニの主題による練習曲〉の先例をみるにつけ、自分もそういう練習曲をつくってみようとも考えていた。そこに、このタウジヒが、パガニーニの主題による華やかな変奏曲をかかないか、とブラームスに提案したことが、作曲の動機となった。
 この作品35の変奏曲は、各14の変奏からなる2冊のものとなっており、合計28の変奏がある。各変奏ごとに演奏技巧上の問題をつぎつぎと提示しており、技巧的に至難ともいえる練習曲である。ブラームスは、この曲に、「精巧な指のためのピアノの練習曲」と記した。主題は2冊ともパガニーニの無伴奏ヴァイオリンのためのカプリス第24番イ短調からとられている。

 ブラームス29歳の時のこの作品はとても有名である。リストの「パガニーニの主題による練習曲」と合わせて、私もこれまで幾度も聴く機会があった。懐かしい曲だ。
 ブラームスという作曲家の「変奏曲」の手腕の素晴らしさに驚嘆する。変奏曲といえば、ハイドンの主題による変奏曲、そして忘れられないのは第4番シンフォニーの第4楽章。
 近いうちにこの2曲も聞きたくなった。




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4つのバラード(ブラームス)

2014年05月10日 09時43分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨晩は2時くらいまで同じペーター・レーゼルのピアノソロ全集の第3巻を最後まで聴いた。シューマンの主題による変奏曲(作品9)と、4つのバラード(作品10)、購入した時にはこのCDを聴いているが印象に残っていない。同じく和田真由子という方の解説を引用してみる。



・シューマンの主題による変奏曲(作品9)
 主題は、シューマンの《ブンテ・ブレッター》作品99のなかの〈5つのアルブム・ブレッター〉の第1曲からとられた。
 ブラームスはこの主題をもとに16の変奏曲を書いたが、その中の第1から第9変奏までと、第12から第16変奏までを1854年6月、第10と第11変奏を8月12日の聖クララの日に、それぞれデュッセルドルフで作曲した。
 シューマンはライン河の投身を救助されて以来、すでに精神病院に収容されていて、一進一退の毎日を送っていた。一方クララ・シューマンは、家族を維持することに全力を傾けていた。こうしたときにブラームスは、クララへの慰めと、シューマンへの敬意をかねて、この変奏曲をかき、クララに捧げたのであった。

・4つのバラード
 1853年、ブラームスはデュッセルドルフのシューマン家を訪ねた。そして、作曲家、またピアノの名手として、シューマン夫妻が最も信頼する音楽家となった。これらの4曲は、作品9《シューマンの主題による変奏曲》とほぼ並行して、1854年夏に、デュッセルドルフで書き上げられた。そして、1856年に出版され、友人でピアニストのユリウス・オットー・グリムに捧げられている。
 これらの4曲は、それぞれ独立させて演奏されることもあるが、調性的な関連があることから、まとめて演奏されることも多い。

 今回、この「4つのバラード」がとても気に入った。ブラームス20歳の時の作品である。静かに語り掛けて大きな盛り上がりを経て再び静かに終わる第1・第2・第4曲がことにいい。第3曲は現代音楽を聴いているような歪な雰囲気の動機の強奏から始まる。これも印象的な雰囲気である。
 これは夜作業をしながらでも聴いていたい曲のひとつとして記憶しておこうと思った。




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ピアノソナタ第3番(ブラームス)

2014年05月09日 23時28分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨晩に引き続きブラームスのピアノソナタ第3番を聞いてみた。演奏はこれもペーター・レーゼルのピアノソロ全集の第3巻から。

 同じく和田真由子という方の解説がネットで出ていた。

「5楽章からなる。その第2楽章と第4楽章は、他楽章よりも前に完成しているが、全体は、1853年秋から冬にかけて、シューマンの住むデュッセルドルフでかきあげられた。しかし、ブラームスは満足せず、その後も改定を加え、なかでも、終楽章には大きな変更を加えた。
 作品1と作品2のソナタよりも大きな規模をもっており、ブラームスはこの作品5でピアノ・ソナタの終着駅にたどりついたと考えたようである。全体は、第1楽章を基本的なモットーにして統一されている。
 この第2楽章の最初に詩人シュテルナウの「若き恋」という詩の一節を標題として掲げている。大意は次のとおりである。
・黄昏はせまり、月は光り輝く/ そこに二つの心が、愛で結ばれて/互いによりそい、抱き合う
 この第2楽章は、独立して演奏されることもあった。」

 私は、第2楽章に特に惹かれた。高音部の旋律が浮き出てくる処理が印象的である。「若き恋」という詩の一節の「月は光輝く」のイメージが私には似つかわしい旋律と和音を伴って頭の中に入ってくる。


 残りの曲は明日に聞く予定。
 



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明日の講座

2014年05月09日 20時32分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日はかなりひどい雷雨となり、北関東では落雷による停電もあり、雹も降ったようだ。横浜ではそのようなこともなく、一時的に強い風が吹いていたが、全体的には平穏だった。
 このように「局地的に極端に違う天候というのはこれまでもあったのであろうか」という疑問が云われている。確かにあまり例はなかったかもしれない。しかし「そのとおり」と断定してしまっていいのかというとまた首を傾げてみたくなる。
 昔はそれほど精度は高くなかったし、局地的な変異は重視されずに報道もされず、見過ごされてきたこともあると思っている。そのような点も考慮した比較がされないと、最近の気象の傾向として断定してしまうことは避けないといけないと思っている

 さて、これまでは土曜日の講座は避けてきたが、今回はいくつか申し込んだ。申し込んだひとつの講座は日曜日にも行われる。聞きたいものは聞きたい、という欲求は捨てられなかった。毎日が日曜日の現役引退組には平日も週末も区別ないのだから特に支障はない。しかしだらだらとけじめなく毎日が続くのは良くないので、講座の無い日を設けた方が良かったのか、という反省は今になってしている。

   

 「日本を読む」は5回の講座の内4回を申し込んだ。各回講師が違うので、1回づつ申し込める。第1回の明日は「社会変革の日本的病理」という題。ちょっと内容は想像がつかない不思議な題に思える。講師は大澤真幸氏。申し訳ないが初めてお聞きする方である。講座の第2回目が他の講座と重なっていて断念。第3回から第5回までは参加できる。
 もう一つの「西洋美術基礎講座」は通常1時間30分の講座が、2時間のコースなので若干高価である。美術館の展覧会の感想をブログで記載しているにもかかわらず、基本的なことがわかっていないので、少しは基礎から勉強しなくてはいけない。講師の三沢恵子氏、この方も私は初めてである。



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「歴史の中の大地動乱」(保立道久)

2014年05月09日 03時47分45秒 | 読書


 随分と時間がかかってしまったが、「歴史の中の大地動乱」(保立道久、岩波新書)を読み終わった。

 8世紀・9世紀の地震・火山の歴史から、日本の古代史の政治を見直してみようという論考である。無論その契機は2011年3月11日の東北大震災である。
 当時大和朝廷は東北の地の蝦夷討伐、陸奥・出羽への進出・経営という時代であった。この蝦夷征服という国家を上げての「大事業」であったわけだが、同時に地震・火山噴火という列島全体を揺るがす大災害が頻発した時代でもあり、それが中央の政局に大きく影響していたとことを解き明かそうという著作である。

 平安時代というと私たちの学んだ歴史教育では、中央の政争に明け暮れる貴族の動向だけに絞られた政治史を学んだだけであるが、実際は災害に苦悩する地方-中央の民衆の動向と不可分の政治動向があったはずである。そしてこの時代、旱魃・飢饉・疫病だけでなく地震・火山噴火などの自然災害というのはとてつもない大きな政治課題であったことをあらためて認識させてもらった。

 特に9世紀後半には、
864年富士山噴火、867年豊後鶴見岳・阿蘇山噴火、868年京都群発地震・播磨国地震、869年貞観大地震(陸奥三陸海岸大地震と大津波)、871年出羽鳥海山噴火、874年薩摩開聞岳噴火、878年南関東地震、880年出雲地震・京都群発地震、885年薩摩開聞岳再噴火、886年伊豆新島噴火、887年南海・東海連動地震、915年十和田湖大噴火という大災害が頻発している。現代でもこれだけの災害が頻発したらとてもではないが、国家は破たんする。
 これに続く地震多発の年代は1700年代だが、この時は延べ100年に分散する。

 そしてこの当時の御霊信仰、怨霊・たたり神などについて少し長くなるが以下引用しておこう。

 関口裕子の仕事は、「怨霊」や「妖言」などのおどろおどろしい資料の中に、8・9世紀の旱魃・疫病・飢饉の中で苦闘する民衆の心性を透視したものとして、現在でもかけがえのない意味をもっている。民衆が政争の敗北者に一定の共感をもったことの理由を、この時代、支配層と民衆との間に存在した、ある種の幻想的な国家共同体イデオロギーに求めたことであろう。関口は、この幻想的な国家意識が民衆にとっての抵抗思想、御霊信仰に転形したというのである。これは日本の歴史上はじめての国家に対抗する自律的な民衆の論理の成立であって、これによって神話の時代は最終的に終わりをつげた‥。
 北原糸子は、災害は「その時々の社会の深部がみえてくる」場となるとしているが、この時代の激しい地震・噴火・災害を経験した人々も、怨霊を通じて「社会の深部」を見すえたに違いない。ヨーロッパにおいてもしばしば災害を契機として「千年王国」などの終末観にもとづく宗教運動がおきたように、これ以降、末法思想が日本独特の深化をとげるのも、この経験と無縁であったとは思えない。
  (この大地動乱を経て以降)大きな犠牲をはらいながら前進した民衆社会の支えによって、大地動乱と災害の時代が乗り越えられたからである。この中で、民衆社会が山野河海の利用や灌漑農法の発展によって獲得したアジール=無縁の世界は、より文明化した国家の公的な支配の下に吸収され再編成されていく。網野義彦の言を借りれば、ここに「「有主」の世界から、「原無縁」を最初に組織し、その後「無縁」の世界の期待を体現し続けてきた王権」、本源的共同体を倒錯的に代表する王権、日本天皇制の長くつづく歴史的姿態が現れてきたのである。


 この書は歴史学者から見た地震の話であるが、地震学の立場からの「大地動乱の時代-地震学者は警告する-」(石橋克彦、岩波新書)も目をとおしたいと考えている。




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気分はブラームスを欲して‥

2014年05月08日 23時37分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 食後うつらうつらしていたら、すっかり寝込んでしまっていた。実に気持ちよく‥。もう朝かと思って慌てて起きたら、まだ24時になっていなかった。最近時々酔うとこのようなことになる。

 このような時は、これから朝までが長い。布団に入っても、簡単には眠れない。本を読んでも頭に入らない。パソコンの前にいても集中して何かできるわげてもない。中途半端な感じである。

 こういうときは何をしたらいいのだろうか。

 何となく気分はブラームスのピアノ曲でも聞きたいような‥。ということで、ブラームスの初期のピアノ曲を漁ってみることにした。 



 選んだのはこの間から聞いているペーター・レーゼルのピアノソロ全集の第1巻からピアノソナタ第1番(作品1)と第2番(作品2)。スケルツォ(作品4)

 和田真由子という方の解説がネットで出ていた。

・ピアノソナタ第1番
「この曲の手書きのスコアには、「ソナタ第4番」という書き込みがあり、ブラームスの最初のソナタではない。出版の都合がおもな原因で、作品1となったが、実際は、作品3やソナタや作品4のスケルツォよりあとに作曲されたものである。
 第1、2楽章は1852年4月に、3、4楽章は1853年春にそれぞれハンブルクで作曲された。
 このソナタは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「ヴァルトシュタイン」と「ハンマークラヴィーア」からの影響が顕著にあらわれている。しかしその一方で、当時流行の表題的な傾向とも無縁ではない。のちのブラームスのピアノ音楽の特徴となる、ダイナミックな動きや広い音域の活用なども認められる。若きブラームスのあふれんばかりの情熱が注ぎ込まれた大作であり、ブラームス自身もこのソナタに自信をもっていたようである。」

・ピアノソナタ第2番
「第1曲のソナタより以前の、1852年11月にハンブルクで完成された作品。ブラームスが19歳のときにかかれたもので、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンからの影響が濃くみられる。表現内容の振幅が激しく、劇的であり、また感傷味を秘めている、若きブラームスの意欲作である。作品1と同じく、古典派的でありながら、新ロマン主義への接近も感じさせる。」

・スケルツォ
「ブラームスが18歳のときに作曲した、唯一の独立したスケルツォである。ちょうど彼が作曲活動に力をいれはじめた頃の、初期のピアノ作品。1851年8月ハンブルクで完成、1854年2月に出版された。ブラームス生前に出版された作品のなかでは、記念すべき第一作目にあたる。ブラームスはシューマンを訪問する前に、ヴァイマルのリストのもとを訪れていて、そのときに持参した自作の曲の楽譜のなかにこのスケルツォも含まれていた。リストが、その自筆譜を、初見で演奏して、ブラームスを感嘆させたというエピソードが知られている。
 この曲の第一主題は、ショパンの『スケルツォ第一番』の主題にかなり似ており、このことはリストからも、指摘された。‥また、この曲はハインリヒ・マルシュナーのオペラ《ハンス・ハイリング》の序曲からの引用も指摘されている。」

 この間までは晩年のブラームスのピアノ曲だが、これはブラームスの作曲家としての出発点の曲になる。それを知って聞くと若く溌剌とした曲に聞こえる。このような知識がなければわからないが‥。
 確かに溌剌として伸び伸びとした曲想だと感じる。夜中に音量を出来るだけ絞って聞くにはふさわしくないかもしれなかった。夜中に聴くよりは、日のあるうちに聴いた方が良かったかもしれない。
 ピアノソナタ第2番の第二楽章が本日にピッタリの曲想。これは繰り返し聞いてみよう。



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気が付いたら夏

2014年05月08日 12時09分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 例年連休の後半には立夏なのだが、毎年それが過ぎてから「夏になっているんだ」と思い出す。そしてパソコンの台の上に置いている歳時記を春の部から夏の部に取り換える。連休が終わる頃のいつもの習慣である。

★旅名残り雲のしかかる立夏かな  飯田蛇笏
★おそるべき君等の乳房夏来る  西東三鬼
★毒消し飲むや我が詩多産の夏来る  中村草田男
★家ぢゆうの音のしづまり夏に入る  井越芳子
★駈ける児の髪の先まで立夏かな  物江静子
★阿武隈の水すれすれに夏来たる  渡辺乃梨子
★わがうちに大河もちたし夏に入る  原裕人
★わが夏の来たりし塔の孤高かな  望月百代
★はらわたの有り合わせにて立夏まで  松本康司

 西東三鬼の句はあまりに有名だが、私も忘れることはできない。中学生の時初めて知ってびっくりしたのを覚えている。
 中村草田男の句は不思議な感覚。「毒消し」と「我が詩」の取り合わせ戸惑うも、わが詩作が自分にとっても毒であり、命を縮める苦行でもあり、そして他者を射るものでもあるという自覚・自戒。
 井越芳子の家中の音がしずまる感覚と今の季節、私には結びつかない感覚なのだが、そういう感覚もあるのだろう。
 渡辺乃梨子の句、大河の川面「すれすれに」というのに惹かれる。夏に発生する小さな虫が川面にすれすれに飛び始める季節かもしれない。しかし夏そのものが川面を渡ってくるイメージが面白い。「水すれすれに」で切れると解釈すると、水のどういう状態をすれすれと表現したかがわからなくなる。
 原裕人の句のイメージはとてもよくわかる。夏だから冷たい豊富な水が欲しいというのは薄っぺらすぎる。もって大きな厚みのある「大河」のイメージであろう。歴史も文明も、文化も地勢も、生態系もすべて含めて飲み込んてみたい。
 望月百代の句、「塔の孤高」に思わずまいってしまった。塔が他に比べてぬきんでて高く目立つ、というのはとてもよくわかる気。「塔の孤高」と自身の強い自負、これは大切にしたいと思う。そしてこの「塔」は原爆ドームであるに違いないと思っている。
 松本康司の句、自分の身体そのものに対する違和感というものは、成長期の若さの特権ではなく、老年期の身体でもある。「まで」がそう主張しているのではないか。




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連休明け

2014年05月07日 22時05分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は久しぶりに晴れて暖かくなった。みなとみらい地区の講座の会場まで自宅から横浜駅を経由して1時間のウォーキング。講座終了後にみなとみらい地区から万国橋を経由して海岸通りを歩き、開港記念会館、神奈川県庁まで歩いた。帰りは関内まで歩いた。
 汗が出るくらいの暖かさの中、連休明けのサラリーマンのお昼時の風景を眺めながら気持ちの良い散歩を楽しむことができた。
 横浜駅の地下街の本屋を回った後、喫茶店で休憩をしていたら、ひょっこりと妻が入ってきた。まったく予期せぬことに双方ビックリ。これ幸いに重い買い物袋を持たされて、横浜駅から再び歩いて帰宅。途中買い物袋がさらに増え、荷物持ちの役割をしっかりとさせられてしまった。

 帰宅後、どうやらバルテュス展の感想を作り上げ、先ほどアップした。わからないこと、理解できない点、感覚的に共鳴できないところなど多々あるものの、それでも何かしら惹かれるというのは、優れた画家なのであろうと思った。



 明日の講座は午後から。平安時代の習俗・習慣等について王朝貴族の立場ばかりではなく、庶民層の動向も織り交ぜての内容はなかなか興味深い。




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「バルテュス」展感想(その2)

2014年05月07日 20時59分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
★惹かれた作品・気になった作品



 まずは「おやつの時間」(1940)。色彩は明るく、人物像・裸体画などよりも輪郭もはっきりしている。しかしこれは図録の解説によると第二次世界大戦での負傷後に描かれ、当時の世界の破局を象徴した作品だという。
 確かに皿の果物は今にもはみ出して皿から転がり落ちるようであり、ありそうもない一瞬である。パンに刺さったナイフはいかにもとってつけたような安定感の無い存在である。さらにカーテンを開けた動作が不自然な形で止められた瞬間である。眼を凝らすと女性の形も不安定である。必要以上に机に力をかけて、硬い表情をしている。カーテンを開ける行為はキリスト教としては聖なる空間の現出を意味するとのことだが、示されたのは縦線模様の壁である。聖なる空間が現れ出てこない窮屈な印象である。解説ではカラバッジョの「果物籠」(1597)などが引き合いに出されている。
 私は第二次世界大戦という世界の直截な比喩、不安な世相の暗喩ということにしては画面全体の不安定感はそれほどないと思える。不安定な要素は小さく、全体としては静謐な画面である。この絵よりも前の1937年、戦争突入の数年前にもう少し破壊の要素の詰まったテーブルの上の静物を描いている。そこではガラス瓶は金槌で破壊され、パンに刺さるナイフも絵を上にして鋭く突き刺さっている。こちらの絵の方が全体として破局的だ。ただしこの以前の絵も、世界の破局というよりも個人の人生の不安・危機の表明のような気もする。この絵も世界全体の不安・破局というならば絵そのものがもっと不安定で破局的になっているのではないか。おそらく個人的な生活のほころび、あるいは個人の思想・理念への違和感などが根底に隠されていると見るのは、邪道であろうか。



 これは「窓、クール・ド・ロアン」(1951)。この窓は「決して来ない時」や「猫と裸婦」にも描かれていた窓、画家のアトリエの部屋の窓とのことである。
 扇情的な少女の肢体と猫とカーテンを開ける少女がいない窓が開け放たれている。日本の掛け軸風に縦長のカンバスに描かれて、画家の東洋趣味・日本趣味の影響ともいえるようだ。開かれた窓、というのは世界に開かれていることのシンボルらしい。カーテンも無く、開け放たれた窓から入る光と空気は、外光の受容と解放のイメージに結びつく。室内の扇情的な少女のモチーフが内向的な主題とすれば、社会に向かっていく画家の側面を象徴しているのかもしれない。
 「決して来ない時」(「猫と裸婦」も)というのけぞっている少女の絵は、性的な暗喩ではなくカーテンを開け放して外光を当てることで精神の解放を意味していたのかもしれない。そういえばふたつの絵に描かれた少女の伸ばしきった足をはじめとしてその肢体は決して淫靡ではない。手足を存分に伸ばした開放感がある。
 この「窓、‥」の絵は外の光だけでなく外からの風を呼び込んでいるともいえる。それが内側に開かれたガラス戸に表されていないか。
 絵画の遠近法はそれとなく無視され、窓枠・机の斜めの線と、窓からの光線によって作られる影の斜線が、安定感が少し揺らいだ不思議な遠近感を醸し出している。図録ではマティスの「コリウールのフランス窓」(1914)が引き合いに出されている。
 とても惹かれた絵のひとつである。



 この「横顔のコレット」(1954)は不思議な絵である。この前年以降、画家はブルゴーニュに引きこもるが、ルネサンス後期のフレスコ画を質感を追求した画家のタッチであるらしい。一目でこの画家の絵と分かるように思える。しかし色彩は極めて単純、目立つのは赤と薄い青と黄色の三色。中世の宗教画のような静かな画面処理である。顔に光が当たっているというよりも燐光のように顔がほのかに光を発している。机からも光が溢れている。外光に照らされた室内と人物ではなく、モデルが光を放っている。ひょっとしたらこの画家ならではのマリア像なのかもしれない。



 だがしかし「横顔のコレット」を描いた前年から画家は、兄の妻の連れ子である義理の姪とその後約8年間生活を共にする。多分同棲である。われわれからすれば危うい世界であり、禁断の世界である。
 再び人物像は影を帯び、輪郭は判然としなくなるが、性的な刺激に満ちた作品も描かれる。これ以降奔走なポーズを描くがこれはその直前の静謐な作品で、「横顔のコレット」にも共通する触れてはならない聖なるものへの憧憬を感じるのは私だけであろうか。たぶん描きかけ、というよりも意図的な未完成の白い衣服が、聖性を強調しているようだ。

 しかしこの時期、画家はさまざまな風景画も数多く残しているようだ。



 この「樹のある大きな風景(シャシーの農家の中庭)」(1960)は今回の展示で私がもっとも気に入った作品である。
 近景の木を極めて大きく描き、中景・遠景はは割と平面的に処理され、日の当たる部分が遠景、そうでないところが中景という扱いで、畑の区画というよりは複雑な矩形での色彩分割の模様のようである。そして後ろ向きの遠ざかる人物はこの画家の風景に時折登場する画家本人であろう。
 激しい扇情的な少女の性を描いた画家が、風景を前にするとこのように静謐で落ち着いた画面を構成するとはにわかには信じられなかった。
 この木を前面に大きく描くのは浮世絵の技法のひとつである。これはゴッホもゴーギャンもまねている。しかしこの画家はしっかりと画家自身の技法の中に無理なく融け込ませているように思える。この木に赤い柿の木をぶら下げれば、現代の日本の農村風景といっても通じそうな景色である。画家の東洋趣味・日本趣味の本物らしさを感じた。



 この「トランプ遊びをする人々」(1973)はこの画家がよく出かけた題材らしい。しかしいろいろ調べたが、私の理解できるような説明がなかった。
 ブログでは性的な説明がされているものもあったが、私には少し無理があるようにも感じた。
人物の無理のある独特の表情は歌舞伎の見得からの援用・連想ということであるが、見得とトランプ勝負との関連が私には到底わからない。

   

 この絵は「モンテカルヴェッロの風景(2)」(上)と「モンテカルヴェッロの風景(1)」のための習作(下)。
 東洋的な画面をまねて模写したのかと感じた。特に習作の方は水墨画を連想させてくれた。図録の解説では、後者の絵はクールベのような写実的で堅固な印象を当たるが構図は極めて中国的であるとしている。私は習作の方の水の描き方に苦労がしのばれて好ましいと感じた。しかし試み以上のものではないのかもしれない。

   

 最後は、1967年に結婚した夫人をモデルとした二枚の絵である。左右対称とした作品のようで、「黒い鏡を見る日本の女」(1976)と「朱色の机と日本の女」(1976)というもの。浮世絵風のモデルのポーズ、ジャボニスム的な逆遠近法などのことばが並んでいるが、これも私にはよくわからない絵である。

 以上惹かれた絵、気になった作品を並べてみたが、晩年についてはよく理解が出来なかった。今後も引き続いて気にしながら自分なりに考えてみたいと思った。

 最初に私が掲げた4つの疑問(「少女」へのこだわりと何か。人物像以外の作品は何か。ピカソの言葉の意味は何か。画家にとっての「日本」とは何か。)の内、最初の二つについては全回と今回で取りあえず触れてみた。残りの二つの疑問はまだ私にはわからない。ただしピカソについては性的な契機の絵としてピカソ自身と通底する何かを感じたと思っている。
 引き続き気にかけてみたい画家であることは確かである。




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