Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

奥歯を1/2本抜いた

2015年12月22日 13時47分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝9時半から歯科医院に出向いて、抜歯。神経をすでに取って被せ物をしている奥歯があった。半分に割って根はそのままいかしていた。その手前の部分の根がすっかりダメになっていた。それを本日抜いた。治療を開始してわずか10分もしないで処置を終了。血が止まるまで30分近くは治療台に座っていた。
 麻酔をしてから4時間経つが麻酔がきれるまでまだ時間がかかるようだ。昼食は啜るようにご飯を食べざるを得なかった。咀嚼は抜歯した方でも何とかできるが、唇から飛び出しそうになって不安であった。食後にお茶を口に含むと唇の間から漏れ出てしまうので、水分が取りにくい。化膿止めを毎食後1錠服用するように云われている。

 本日もこれから多分深夜までパソコンとにらめっこになりそうである。何とか本日中にA3の裏表を埋めてしまいたい。
 問題は目の緊張である。本日中に仕上げられれば明日は目の休養日としたいものである。

美味しい忘年会

2015年12月21日 23時36分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
本日は退職者会でワンコインの忘年会。ワンコイン=500円の割には美味しい日本酒と焼酎をたくさん呑むことができた。
そしてつまみに出てきた漬物がとても美味しかった。幸せな3時間を過ごすことができた。

ほぼ1日中パソコンと格闘

2015年12月20日 23時44分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は一日中パソコンに向かって退職者会の会報作成と、明日の幹事会に向けた資料づくり。途中夕刻に横浜駅までコーヒータイム、さらに1時間ほどのウォーキングは行うことができた。
 しかしさすがに今の時間、目の疲労が強い。暫くの間目を休めないとかなり目の周囲の筋肉も披露している。液晶画面に焦点が合わなくなってきており、感で文章を打っている。
 明日までに記事をあと1本は仕上げておきたい。年末年始の休みがあるので原稿の締め切りが1週間以上はやく締め切らないといけないのがつらい。しかも記事が満載。4頁にすればスペース的には楽だが、原稿を作るのは大変。ということでいつものとおり2頁だて。ギュウギュウ詰めとなってしまった。


日曜美術館「国吉康雄」

2015年12月20日 12時59分11秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日の朝食後にNHKの「日曜美術館」を見た。国吉康雄を放映していた。ちょうどフジタの最後の部分のところで悩んでいたので、フジタと対極の体験と指向をした画家として興味深く見ていた。映像では触れていなかったが、フジタが戦後日本を脱出し最初に訪れたアメリカで、個展の会場の入口に国吉康雄が陣取って「戦犯藤田嗣治」を告発していた。フジタはこの後再度パリへ出立する契機となった出来事となったと思われる。
 ともに戦争の世紀に国家と世論の動向、そして政治に翻弄されたという点では共通する。だが、国吉は父からの援助もなく、絵とは無縁に渡米し底辺の労働体験をしながら、「個」として目を養って画家となる。しかし戦争によってフジタとは逆にアメリカ軍への協力と戦争プロパガンダを強いられる。国吉にとっては耐え難い体験であったようだ。その評価はさまざまな視点や観点があるようだが、一方でその抵抗の中から画業の飛躍を得たという評価もある。
 対極にフジタはある数年間の貧困は体験するものの始めから「画家」として当時のパリで成功を勝ち取る。そして日本の軍部と政権に強いられつつも戦争画に自分の画業の飛躍を見出す。
 フジタは日本を追われるように脱出する。一方フジタを弾劾した国吉は直後にはレッドパージによって再度アメリカ政府からの圧力を、躱したとはいえ再度経験する。断罪するものがいつの間にか断罪されるという、国家というものに翻弄された生涯を送る。
 ともに最晩年は日本国籍からそれぞれフランス、アメリカの国籍取得という方向となる。
 両者の共通点と相違点は何だったのか、番組は私にとってはひとつのヒントにはなったように思う。番組のナレーターはどうしても「日本人国吉康雄」を強調しようとしていた。それを断定的に否定するだけの知識はないが、そこには国吉康雄の本質は無いように直感している。今後の私なりの課題かもしれない。

伊藤若冲「雷神図」

2015年12月19日 22時00分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 伊藤若冲の水墨画の一枚。この作品を見て、まずはなぜ逆さに展示してあるのか、と普通は思う。その次に、描かれているのがよく解らなくても笑いを誘われる魅力に気がつく。その次に題名を見て雷神の子どもないし、子どもの雷神が地に落ちたのかと想像してみる。というのが認識の流れだと思う。
 最後に「そういえば雷が落ちる=落雷」ということを笑い飛ばしている作品なのかと想像する。現代の漫画の原点のような作品だと思った。
 1700年代の江戸時代の人々の笑いと、私たちの笑いが時代が離れても通じ合うものがあるということが伝わってきてホッとする作品でもあると思う。
 解説によると「雲くらき そらにふきくる風みえて 神なりさはく をともすさまし」という賛者不詳の賛があるとのこと。ウィットの効いたテーマは大津絵の源があるとのことが記載されている。落とした雷鼓を釣るという「雷公の太鼓釣」というのは安永期の流行であったとのこと。
 いわれを知らなくても、楽しめる作品である。動植綵絵のようなある意味では作品自体に緊張感があふれ、音をたてて息をつぐのもはばかれる作品群とは違った親しみがある。このような対極的な作品群があることがひょっとしたら「大家」といわれたり「一流」と云われる芸術家の力量なのかもしれない。作りあげる作品にいい意味で解釈や感動に幅があり、鑑賞者にさまざまな刺激をもたらしてくれることが優れた芸術家なのであろう。

カラオケ恐怖症

2015年12月19日 11時59分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は午後からカラオケスナックで開催している退職者会のカラオケ大会。
 何が嫌だといってカラオケで歌わされること。いや人前で歌わされることほど嫌なことはこの世にはない。だから申しわけないけれどもあくまでも「取材」だけである。ビール1杯くらいは飲むかもしれないが、写真を撮って、出場者一覧などをもらったらすぐに退散させてもらう。

 私は歌わなければならない場には断じて近寄らないことにしている。小学校1年生からの決意である。これだけはどうしてもお断りしている。もしも老人ホームに収容されようが、地域の老人会に入れさせられても、他人とともに歌を歌うなんてことは断じてお断りである。ひょっとして強要されたら、それこそ暴力沙汰を起こしてでも逃げ出すはずだ。音楽に合わせて踊ったりすることもこれまたとても嫌いである。たぶんボケ症状が亢進していても変わらないと思われる。娘にはこのことはキチンと念を押して伝えておかなければならないと思っている。妻にはもう伝えてある。私に歌を強要するような施設には断じて入れるなと。
 組合の行事などでは「長」の大切な役目としてカラオケで歌うことが求められてきたが、私は他の役員にお願いしていつも逃げてきた。どうしてこうも日本ではカラオケがブームなのか、私には地獄である。私はカラオケのない世界に逃避したいのである。カラオケがなければこの世はかなり住みやすくなると思う。

 といっても人が歌っているのを聞くのは嫌いではない。楽器の演奏も嫌いではない。音楽を聴くことはとても好きである。音楽を聴くことができない生活もまた想定できない。
 協調性がないと云われようが、どうしても嫌である。これを強要する人間とも付き合いたくない。

年末までのおおよその予定‥とても慌ただしい

2015年12月18日 21時06分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝からずっと部屋に閉じこもって、ふたつのことだけした。まずは退職者会の機関紙の正月号の作成。ふたつ目が「レオナルド・フジタ」の展覧会の感想の「その2」と「その3」。結局交互にこなしながら夕食を挟んで13時間もかかってしまった。「その2」はとりあえずお昼直前にアップできた。
 退職者会の会報はまだ依頼した原稿は出来ておらず、全体の6分の1も出来ていない。今晩寝るまでに囲み記事3つほどを仕上げておきたいところである。正月特別号ということでデザインも含めて想定したよりは時間がかかるようである。

 明日は午後からカラオケ大会の取材で出かけることになっている。夕刻からは団地の理事会にオブザーバーでの出席依頼がある。21日の退職者会の幹事会のための資料作成は20日日曜日にせざるを得ないようだ。
 この分では年賀状のデザインを考えるのと、印刷は26日、27日と年末ぎりぎりにまでかかりそうである。こんなにも慌ただしい年末とはちょっと想像がつかなかった。

歯医者

2015年12月18日 11時52分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 アルミサッシのガラス窓に着いている結露は本日は多かった。それだけ明け方は冷えたのだろう。しかし昨日よりは雲も少なく、朝日が当たると暖かい。

 朝9時の予約の近所の歩いて5分のところのA歯科医で診てもらった。以前に奥歯の1本の神経を切除して2つに分割の上金属を被せていた。分割した手前側の根がもうだめになっているという。そこの部分は抜歯しなくてはいけないそうだ。
 その後どのような処置・治療になるのかはわからないが、ここのA歯科医、すべて保険の範囲内で処置をしてくれるのが前提である。保険適用以外の処置について質問をされたこともないし、いちいち要望を聞かれることもない。実に安心してかかることができる。次回22日に抜歯することになった。今後の処置はその段階で説明してもらえば十分だと思っている。腕も信頼できる。この歯も分割処置をしてからもう15年近くももっている。その上に痛くてしようがない時にも「予約云々」などということはいわない。その日のうちに無理にでも診てくれる。

 実は200m離れたところにあるあたらしい小綺麗なB歯科医は、どんなに泣きついても冷たく一切受け付けてくれない。A歯科医が休診日のとき、妻の歯がひどく痛みだしB歯科医に駆け込んだが、門前払いを食らった。1週間後でないと無理といわれ妻はオロオロ。やむなくさらに約1キロ先の下ったところにあるC歯医者に頼んで消毒してもらい、痛み止めを貰ったことがある。C歯科医も悪くはないが、遠いし、帰りの上り坂がつらい。

 私の経験で一番ひどいと思ったのは、昔の職場の近くのある歯医者。今はもう廃業してなくなった。仕事中に私の歯が痛み出し、仕事が終わって駆け込んだ。すぐに神経を切除しなくてはいけないといって、神経を切除する処置を始められた。その作業の途中、痛みで唸っている耳元で「保険適用だとすぐに外れるものを被せるしかない。〇万円で長持ちする金を被せられる」とささやかれた。
 はやくこの痛みから抜け出したい患者からすれば、こんなことを云われたら「それでお願いします」という確立は高い。保険治療についての知識がない人は騙されてしまう。私は痛いながらムッとして「それなら神経だけ切除して、化膿止めと痛み止めだけください」と伝えた。医師は「そんなこと出来ない。型を本日中に取りたい」というので、「お金はないし、保険でできるはずのことなので、あなたの処置は信用できない」とケンカ腰で、となりの患者に聞こえるようにわざと大声で云った経験がある。
 翌日職場を休んでこのA歯科医に駆け込んだ。「神経を応急処置として切除してもらったので後の措置をお願いしたい」とだけ言って診療台に座った。「保険外の処置」なんということなどひとことも聞かれずに、処置をしてくれた。数回通って終了。

 もう20数年以上前のことである。それ以来このA歯科医にお世話になっている。あの職場の傍の歯医者はいったい何だったのだろう、と今でも腹が立つ。

「藤田嗣治、全所蔵作品展示。」(国立近代美術館) その2

2015年12月18日 07時50分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 南米での体験の後、秋田で壁画「秋田の行事」(1937、現秋田県立美術館蔵)をフジタは描いている。ここで祭を描くことで「群衆」の熱気、非日常の姿を描いている。この「群衆」に対するフジタの興味に私は注目したい。後の「猫」や「アッツ島玉砕」へと繋がる画家の視点があると思われる。



 さて、この絵は「南昌飛行場の焼討」(1938-39)。最初この絵を見た時、技法上のことはわからないが、構図の取り方・飛行機の配置の仕方など、私は紙芝居の絵でも見せられたようだと思った。フランスで名を馳せた「西洋画家」の作品なのかと疑った。

 しかし他の画家の戦争画でもおなじように、場面としては散漫な作品が多くある。遠景で煙だけが戦争の証のような絵画が多くの画家によって描かれていた。近代の戦争というものは凝縮した場面や迫真性や集団的な場面とは想像以上にかけ離れたものなのかもしれない。兵器の進展に伴い、人の死というものがどこか遠方で実在感のないものとして生起しているのかもしれない。しかし実際には狭いところでの阿鼻叫喚と地獄図が噴出している。それを私たちは国内での空襲や原爆や沖縄戦、そして撃沈される艦艇や一方的に殺戮される戦争末期の戦闘行為、抑留者の過酷な状況を実相として戦後に語られ、伝えられた。
 多くの戦争画を描いた画家の目には、戦争の現場は人間のドラマとしては残念ながらどこか現実感のない、どこか遠い別世界の出来事のような実態であったと思う。しかしフジタは陥落直後の漢口に足を踏み入れ、銃剣を手に疲労した日本兵や、横たわる中国兵の死骸、逃げ惑う避難民、破戒された戦車など生々しい傷跡を目にしているという。それらのものは初期の戦争画には表現されていない。無論そのようなものは作品としては残っていない。描いてから拒否されたのか、描いても採用されないと忖度したのか、そのような現実には当初は興味がなかったのか、真相はわからない。
 しかしフジタは自身の作品を含むこのような戦争画にとても違和感を持っていたのではないかと私は想像している。フジタという画家は自身の中に湧き上がる表現意識よりも、フランスに行き、技法の獲得によって表現すべきものを獲得したと思える。
 このようなフジタは現実を見る眼につねに楽観的で現実とは大きな齟齬やズレがある。このような絵を描いた直後フジタは再び戦時下の日本を離れ「もう一度自由に絵を描きたい」とバリに向かう。しかしヨーロッパの戦争勃発はそんなことを許さず、日本大使館より帰国勧告を受けることになる。しかしドイツは身動きもならず戦争は終局に向かうと楽観視して、帰国勧告には当初従っていない。いよいよ危険が身に迫り、ようやく日本に帰国する破目になる。



 この時期ヨーロッパにいったん戻り描いた「猫」(1940)について、私はフジタの職人的な技法のひとつの頂点なのかと思っていた。しかし1940年という時期を考えると、ヨーロッパでの戦争の迫った時期、日中戦争という争闘の時代の反映という指摘もある。可愛らしい猫、あるいは画家の目を代弁するような視線を持つ猫ではなく、生存のために闘争本能を剥きだした猫である。この姿態を迫真性をもって描いたといえるが、同時に細部をよく見ると実在の猫の仕草とはかけ離れているようにも見える。その1でも記載したが、写実とは言えない様式化された職人芸を感じる。フジタなりの時代把握の絵なのかもしれない。
 様式化された技法を経て、南米での「群衆」を描いた壁画への着目、秋田で祭の群像を描き、そして猫の群像、それも生存をかけた争闘の場面という生の噴出する場面への着目に私は興味を惹かれる。フランスで名を成したころのフジタの作品は「何かを表現したい」という表現意識よりも、技能・技量が先行して描く対象をさがしているように思える。それが南米の体験を経て、生々しい人間の生の噴出を描こうとし始めたように思われる。大きな転換がパリを離れて以降、徐々に、そして画家本人はまだ無自覚ながらはじまったのではないだろうか。



 「哈爾哈河畔之戦闘」(1941)。この絵は実は聖戦美術展で公開された同じ題で別のものがあり、それが絵を依頼したこの戦闘に携わった司令官のもとにあったという。
 「巨大なソ連の戦車から絶え間なく銃弾が降り注いでいる。阿鼻叫喚の声上げる日本兵。死体は累々と積み重なっている。その死体の山を踏みつぶしていくソ連の戦車‥‥。凄惨きわまりない戦争の実像である。それは聖戦美術展に出品されたものとはまったく異質なもう一枚」(近藤史人「藤田嗣治「異邦人」の生涯」)。
 この公開されなかった作品が「アッツ島玉砕」(1943)や「血戦ガダルカナル」(1944)、「サイパン島同胞臣節を全うす」(1945)などに続くフジタの戦争画におおきな画期となったと私は思う。


      

 フジタにとっては、初めて戦争画によって「表現したい対象」を獲得したのではないか、というのが私のフジタという画家に対する評価である。
 南米での壁画や秋田での祭、猫の群像を経て、人間が非日常で見せる生命の噴出、ドラマチックな生の発現を描く延長上に、戦争という極限状態での人間を描こうとしたのではないだろうか。ダ・ヴィンチやラファエロ、あるいは19世紀初頭の西洋絵画を参考にしながら描いたといわれる。私はフジタの頭の中にはジャン・グロ「アイラウの戦場のナポレオン」(1808)、ジェリコー「メデュース号の筏」(1819)、ドラクロワ「サルダバナールの死」(1827)などの新古典主義やロマン主義の絵画が念頭にあったような気もする。これらの作品のように人間の阿鼻叫喚の地獄絵図の中に人間のドラマを描きたかったのだろうか。
 さて、アッツ島玉砕にしろ、ガダルカナルやサイパン島の戦闘にしろ、このような激しい肉弾戦があったとは思われない。作品では日本兵が優位にアメリカ兵と対峙し殺戮を行っている。それが日本の軍部の意向であることは間違いがない。たがいろいろな話を聴く限り、米軍の兵器による一方的な殺戮によりほとんどの日本兵が命を奪われている。
 そして日本兵の顔はとても現実の人間の顔ではない。神がかり、というのは憚れるほど人間性を喪失した顔である。戦争による殺戮そのものが人間性を喪失した極限の状態であることを描いていることは確かであると思う。
 フジタはこれらの絵を描くことで、ようやく絵画で日本に受け入れられたという時代を得たのかもしれない。だが私の気になるフジタのことばがある。
 「(アッツ島玉砕の絵を前にして)膝をついて祈り拝んでいる老男女の姿を見て生まれて初めて自分の画がこれほど迄に感銘を与え、拝まれたということは未だかつてない異例に驚き、しかも老人たちは御賽銭を画前に投げてその画中の人に供養を捧げて瞑目していた有様を見て一人唖然として打たれた。この画だけは尤も快心の作だった」
 私は自分の作品を見て肉親や日本兵の死に首を垂れ鎮魂している人を見て、ひとり悦に入っているフジタを思うと、背筋がゾクッとするほど怖くなる。人を感動させる絵を描くことができたという満足があったのだろう。だがこの「満足」はとてもゆがんではいないだろうか


その3へ

「冬」の俳句

2015年12月17日 23時45分20秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 冬の俳句というと私の頭の中では次の四つの句が浮かんでくる。キチンと覚えていないので始めの2句は句集に、後ろの2句は歳時記に印をつけてある。傾向も違う句だが、惹かれている。

★あかあかと没日つれなし冬の牛    石田波郷
★冬の薔薇すさまじきまで向うむき   加藤楸邨
★中年や独語おどろく冬の坂      西東三鬼
★山河はや冬かがやきて位に即けり   飯田龍太

ようやく冬の様相になってきた

2015年12月17日 21時36分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 久しぶりに書店でじっくりと本を眺める時間をもった。午前中の講座が昼に終わり、次の講座の始まる16時まで、みなとみらい地区にある書店と横浜駅にある書店とを往復した。購入したい本はいくつかある。俳句、美術、社会学、歴史、文学、科学‥いつものとおり関心の範囲は広いのだが、自分なりに50年間継続している関心事である。購入したい本を頭の中でピックアップはしたが、現在まだ手を着けていないものがたくさんあるのでぐっとこらえた。しかし購入しておかないと絶版になったり、在庫切れになってしまう。悩みどころである。

 本日は雲が多かったものの日差しもあり、それほど寒いと感じることはなかった。しかし夕方からは微かだが冷たい雨が降ってきた。少し冬の様相を感じた。明日からはようやく冬の気温になるらしい。
 明日は朝一番で歯医者の予約を入れざるを得なくなった。被せてある奥歯が若干傷み始めた。痛さよりも毎食後被せてあるところに物が挟まってなかなか取れない。そして被せてあるものが尖がってしまったようで舌が当たるとチクチクと痛い。

セキセイインコの不思議な習性

2015年12月16日 22時05分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 我が家のセキセイインコには不思議な習性がある。大体20時過ぎには2羽ともうつらうつらしている。そして22時にはカゴに風呂敷をかけて暗くする。
 ところがその30分くらい前になるといつも2羽揃って羽をバタバタとしてひとしきり大騒ぎをする。いつも大体時間が同じである。時計を見ているわけではないし、30分前に予告をするわけでもない。この時間をどうやって知るのかわからないが、まず間違いなく21時30分から45分の間に騒ぐ。羽をバタバタするので直後には掃除機で掃除をしないと細かい羽毛が散乱してしまう。これが毎晩の作業になってもう半年くらいになる。
 体内時計があるとしてもかなり正確だと思う。私ども夫婦がその時間に決まったことをするわけでもない。いつも夫婦で首を傾げている。

山茶花

2015年12月16日 20時25分55秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 山茶花という花は不思議な光を放つ。花は明るい、しかし花の後ろ、葉に囲まれた空間は闇が支配している。椿よりもその支配されている空間は暗い。そのことは加藤楸邨の句によって知った。そんな闇を表現した句が私は好みである。山茶花には夜の句が適している。そんな優れた読み方を超える句も欲しい。

★山茶花のこぼれつぐなり夜も見ゆ   加藤楸邨
★山茶花に月差し遠く風の音      加藤楸邨
★こぼれても山茶花薄き光帯び     眞鍋呉夫
★山茶花の散るとき人の立ちあがる   林  徹
★山茶花に咲き後れたる白さあり    宮田正和
★山茶花の根元の夕日掃きにけり    西山 誠
★山茶花や噴水は今尖りけり      庄司 猛
★山茶花に遺影の眼鏡はし光る     沢木欣一

団地の紅葉と、柚子マーマレード

2015年12月16日 09時03分51秒 | 料理関連&お酒
      

 昨日団地号棟の北側の紅葉が目についた。ふと写真を撮りたくなって撮影してみた。毎年号棟の北側に咲いていることは承知をしていたが、実際に撮影したのは初めて。団地の中で写真を撮っているときに知っている人に会うととても気恥ずかしいという気持ちが先にたってしまってなかなか撮影することができない。自信がないというか、気が弱いというか、引っ込み思案でとおしている。
 ということで出掛けに、人のとおりの少ない時を見計らって慌ててシャッターを切った。



 昨日、いただいた柚子の半分の10個を使って妻がマーマレードを作った。ネットで作り方を調べてい妻が「火をとおして作る方法ばかりではなく、砂糖漬けのように火を使わずに作る方法もある」と驚いていた。砂糖の量もまちまち、切り方もいろいろ、白砂糖を使えというものも氷砂糖を使えというものも‥。どれがいいのかわからなくなってしまったらしい。
 そして種を丁寧に取り除くと体積も重さもかなり減ってしまう。それでも10個でジャムの瓶で3個も出来た。皮の部分の苦みがとても新鮮でおいしい。それほど粘り気はないがそれは気にならない。黄色の透明の液体が美しい。
 明日からはヨーグルトの上に少しかけて食べてみようと思う。写真はピントが合っていないがご勘弁を‥。

 本日は気温は20℃に近くなるという。12月の半ばでこの気温というのは驚きである。ただし明後日からはかなり寒さが戻って来るらしい。

モーツアルト ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」、第27番

2015年12月15日 21時41分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日聴いていた曲は、モーツアルトのピアノ協奏曲第26番「戴冠式」と第27番。「戴冠式」という表題があるだけ第26番の方が演奏される機会も多いが、私は最後の27番の方がずっと気に入っている。出だしの第1楽章のヴァイオリンの刻みがとてもいい響きである。全体をとおしても大変落ち着いた雰囲気があり、聴いていると気分が落ち着く。私にとっては鎮静剤のような曲である。
 さてこのCDの演奏者の内田光子は1980年代に入ってからモーツアルトのピアノソナタ全曲演奏・録音から俄然注目されてきたと思う。このモーツアルトの協奏曲のシリーズはソナタに続くシリーズである。私は多分1989年頃にこのCDを始め、モーツアルトのピアノソナタと、ピアノ協奏曲の全曲録音を一生懸命買い続けた。ボーナスをもらうとその足で3枚くらいまとめて購入した記憶もある。妻には「いつ購入したの? いつの間にかCDが増えていない?」と嫌味を言われたことがある。もうその時には定年になったらじっくりと聴きたいという思いもあった。無論当時からいくつかの協奏曲とソナタは繰り返し聴いていた。
 定年を迎えて3年9カ月、どういう風の吹き回しか、ようやくこのCDを続けて聴く気になってきた。当時買いそろえておいてよかったとおもう18枚のCDである。