Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

元長崎市長本島等氏の死から1年

2015年12月15日 18時52分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨年の11月1日、私は以下の記事をブログにアップしていた。人の記憶は本当にあてにならないものである。その前日の2014年10月31日、長崎市長であった本島等氏が92歳で亡くなった。私は来年もまたこの記事をアップしようと当日は心に決めていたのだがねすっかり失念していた。

★長崎新聞の報道(11.1)
 昭和天皇の戦争責任発言で右翼から銃撃され、全国に論争を巻き起こした元長崎市長の本島等(もとしま・ひとし)氏が31日午後5時27分、肺炎のため、長崎市内で死去した。92歳。旧五島北魚目村(現在の新上五島町)出身のカトリック信徒。自宅は長崎市下西山町7の1。葬儀は密葬で執り行い、お別れ会を後日、長崎市内で開く。
 長崎市長に初当選したのは1979年。市長3期目の88年12月、昭和天皇が重篤な状態にある中、定例市議会一般質問に答え「昭和天皇の戦争責任はあると思う」と発言し、全国から抗議や称賛が殺到。当時顧問を務めていた自民党県連などは発言の撤回を要求したが、本島氏は「(撤回は)政治家の死を意味する」として応じなかった。発言から1年余り後の90年1月、市役所前で右翼団体幹部に銃撃されて瀕死(ひんし)の重傷を負い、その名が「平和市長」として国内外に知れ渡った。
 この事件以降、過去の侵略戦争に対する反省とアジア諸国への戦後処理の不十分さを「平和宣言」などを通じて鮮明に主張。核兵器廃絶と同時に、アジアへの真の謝罪と和解の必要性を一貫して訴え、外国人被爆者への日本人と同等の援護も日本政府に求めた。5期目を目指した95年の選挙で、新人の伊藤一長氏(2007年に死去)に大差で敗れた。
 かくれキリシタンの子孫として生まれ、受洗。貧しい子ども時代を過ごし、戦時中は陸軍に入隊、熊本県で終戦を迎えた。京都大工学部卒業後、長崎南山高教諭などを経て59年から県議に連続5期当選。自民党県連幹事長も務めた。市長時代には故秋月辰一郎氏らと長崎平和推進協会の設立に貢献し、初代会長に。市長退任後の97年、広島・原爆ドームの世界遺産登録に異議を唱えた論文「広島よ、おごるなかれ」で被爆者の被害者意識を批判。以降、原爆投下を「侵略と加害の帰結であり、仕方なかった」と言い続け、物議を醸した。
 02年、日本の原爆・戦争被害だけでなく加害の立場も認めた平和政策が評価され、ドイツ政府の功労勲章一等功労十字章を受章。韓国の被爆者団体などが同年に創設した「韓日平和交流功労賞」も受賞した。03年に結成された「長崎の中国人強制連行裁判を支援する会」の代表としても活動をけん引した。
 09年春、平戸市沖で沈没した巻き網漁船「第11大栄丸」の船体引き揚げを求める県民有志の代表として尽力。平和団体の各種行事に積極的に参加し、独特のユーモアと庶民派のイメージが市民に親しまれた。今年7月から体調を崩していた。

 【http://blog.goo.ne.jp/shysweeper/e/354387e75f28449535c81ec9470ed161?utm_source=admin_page&utm_medium=realtime&utm_campaign=realtime

「藤田嗣治、全所蔵作品展示。」(国立近代美術館) その1

2015年12月15日 14時01分22秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 私が初めてレオナルド・フジタ=藤田嗣治の作品を見た時の印象は、ヨーロッパ風の精緻で格調高い磁器作品を見たような気分であった。今回国立近代美術館で開催されている「藤田嗣治、全所蔵作品展示。」を見ても第一印象は、変わらなかった。
 人の表情については無表情ではない。ひとりひとり違う表情があり描き分けているようでいて、どこか現実味が希薄である。
 室内装飾として絵画作品そのものを壁に掛ける選択もあるが、これが精巧な磁器として棚から取り出してとっておきの日に使用する晴れやかさにあふれている。そんな魅力が確かにある。様式美と芸術作品との均衡の上に成立しているように感じる。
 多くの人はこの画家の描く「猫」の姿態に共鳴する。私には猫は画家の分身のように思える。画家の目でモデルや背景を見ながら構図や色彩のあれこれを見つめ、人物に合わせた布地のガラを想定する。同時にモデルの視線で描く画家自身を覚めた目で観察している視線でもある。

   

 ここに掲げた始めの2点は1923年37歳、サロンドートンヌの審査委員となるなど絶頂期の作品。自画像は1929年、一時帰国している。パリでの成功の一方で日本では中傷記事も出る。世界恐慌直前の作品でもある。
 この猫の視線は、異国のパリという芸術仲間と交流しつつ自身の様式を確立しようとする格闘と一定の評価を得たことに対する自信も窺える程度に落ち着いている。
 私は先ほども述べたように様式美と、魅力的な色彩を生み出す優れた職人性が、猫の視線から受け取るレオナルド・フジタ=藤田嗣治の印象であると思う。
 解説ではパリ時代のフジタについて「1920年代に評判となったのは、「乳白色の肌」と呼ばれる、しっとりしたツヤ消しの画肌に、墨色の線描を用いて裸婦や猫を描くタイプの作品でした。これは、異国の地で日本人の持つエキゾチックな魅力を最大限活かそうと考えた末、浮世絵などを参考にして藤田が編み出した画風でした。」とある。
 極めて自負心が強く、負けん気の強い画家が、パリで画家として認められるために「日本人性」の否定と利用という二律背反のような苦闘を経て得た評価は、フジタという画家の立ち位置の難しさと表裏だったと思う。それは当時の日本とヨーロッパの両方の、いや社会そのものを見つめる目、観察する眼にどこか歪みをもたらしたのではないだろうか。それは第一次世界大戦という生存の危機すら味わったパリで、画家はどのような社会に対する眼を得たのかという疑問が私のなかに浮んでくる。いつも私はこのことが気になっている。



 画家の自画像からは、強い意志と自らを飾る自己主張をさらけだす計算されつくされた構図や背景とが窺われる。手にした極めて細い筆と硯と墨は手紙を書いているのであろうか。パリでのそこに自負というか自己主張が感じられる。手にした日本的なものと背景や自信の容貌の乖離、これが画家の中では何の摩擦もなく共存している。現代の私も不思議に思うのだから当時の日本の人々からはもっと奇異の目で見られたのではないか。そしてそのことに画家は自覚的ではないように思える。逆にそれを誇示しているようにも思える。



 1931から32年にかけて南米を訪れる。掲げた作品は1932年の「リオの人々」。いわゆる乳白色の肌色は影を潜めるが、オロスコの壁画という大画面に関心を持ったようである。しかしこの絵を見ても人間の表情よりも手足の関係、体の表現、そして布地の配色に極めて大きな意識が割かれている。この絵でこの時期の特徴として断言するのは無理だが、気になったのは後ろ向きの人の存在、そして残り4人のうち2人が瞳がこちら側、あるいは画家を見つめていない。中央の子どもと右側のしゃがんでいる女性の瞳はこちらを見ているようでいて、不信の眼である。
 壁画の中の群像群の習作とすれば理由はあるのかもしれないが、ここでもフジタは異邦人として振る舞っている。そしてそれを自分で否定していない。溶け込むことを端から想定していない。リオの人々を観察しつくそうという姿勢に思えない。オロスコの壁画に影響を受けたといっても、その絵を生んだ風土や社会的背景や歴史や、には思いは至っていない。技法上の新しい刺激として見ていた、と思える。私はそのこと自体を否定して、フジタという画家の存在を否定しているのではない。フジタという存在のあり方の特質を私なりに把握したいと思っているだけである。

 「藤田嗣治」は晩年、洗礼を受け、フランス国籍を取得し、ほぼ同時に日本国籍を抹消している。さらに「Leonard Foujita」(レオナルド・フジタ)と彫られた墓石の下に葬られているという。私は「藤田嗣治」と表記するよりも「フジタ」と表記すべきだと感じている。
 なお、自画像では手紙を書こうとしている、と記載したのは、フジタの肌色を際立たせている黒い描線は墨汁ではなく、リンシードオイルなどが検出され油性であったとの指摘から絵画制作のための仕草ではないと類推した(近藤史人「藤田嗣治「異邦人」の生涯)。
 さらに南米での作品が、フジタがパリであの乳白色をもたらした3層の下塗りによる独自のキャンパスを使用したのかどうかは私にはわからない。人物を描くにあたり黒い描線は私の眼には映らなかった。

      

アンサンブル・ウィーン演奏会(ミューザ川崎)

2015年12月14日 22時58分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         

 ミューザ川崎シンフォニーホールで「ミューザアコースティックコンサートVol.5ウィーンは踊るアンサンブルウィーン」を聴いてきた。
 ヨハンシュトラウス一族のワルツやマズルカの曲を中心とした、約1時間の演奏会である。昨日のちょっと身構えた演奏会とはうって変わって楽しい音楽が並んでいる。
 アンコール2曲を含めて、12曲を聴いた。
しかしかなかなか鍛えられたアンサンブルとそして技巧を聴かせてもらったと思う。私が感心したのは第ヴァイオリンとコントラバス。特にコントラバスが表情豊かにそして厚みがあると同時に軽快に音を紡ぎたしているのに感心した。コントラバスと云うと細かい音符が並ぶと少し掠れたような音になりがちだという先入観を払しょくしてもらったと思う。
 モーツアルトやハイドンの時代はチェロよりもコントラバスが室内楽で使われていたというのが、チラシに記載されている。どんな感じだったのか、是非体験したいと思ったが、想像した以上に音の豊かな響きに驚いた。新しい体験が心地よかった。



 なお、ホールもなかなかいい。いびつで不思議な形をしているが、特に音響に問題はなく、とても自然な音に聞こえた。舞台と客席がとても近く感じる。そして大きくて音域の広そうなパイプオルガンは見ていてとても存在感のあるデザインである。これは昨日のサントリーホールのオルガンとともに、是非とも演奏を聴いてみたいと思った。

年末の大掃除のはじまり

2015年12月14日 11時35分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜はどんより曇って寒々しい。朝から午後の退職者会の役員会に提出する担当部門の報告書作成。パソコンの前に座りっぱなしである。
 妻は年末の大掃除の一環でアルミサッシを磨き、隅のパッキンの汚れを雑巾できれいに拭いている。肉体労働にいそしんでいる。毎年この作業が年末の大掃除の開始である。
 私はまったく役に立っていない。自分でも「役立たず」と自覚しているが、とうとうその役立たずのまま37年経ってしまった。
 反省とは来年からは「俺もやるぞ」という決意のもとにするものなのだが‥ダメ夫は継続しそうである。
 仕事はしていない、家事の手伝いはしない、美術館めぐりなどとお金ばかりかかる趣味で生きている、到底世間では通用しないと自覚はしているのだが‥。

そろそろ出かけなくてはいけない時間である。後ろ髪は引かれる思いで‥。

本日は「ミューザ川崎シンフォニーホール」へ

2015年12月14日 10時09分41秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日は13時から退職者の役員会。19時から昨日に続き、かなり格安でチケットを手に入れたミューザ川崎シンフォニーホールでの「アンサンブルウィーン」の演奏会に二人で出かける。弦楽四重奏のチェロの代わりにコントラバスという編成でヨハンシュトラウスⅡのワルツやモーツアルトの作品などが演奏される。チラシの情報ではモーツアルトやハイドンの初期のカルテットというのはチェロではなくコントラバスであったとのこと。どんな音であったのか聴いてみたい。
 ミューザ川崎シンフォニーホールも昨日のサントリーホールと同様初めて行くホールである。パイプオルガンも備えた本格的なホールと聴いている。楽しみにしている。

東京交響楽団定期演奏会、チャイコフスキー交響曲第5番外

2015年12月13日 21時47分21秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
     

 久しぶりにオーケストラの演奏会を聴いてきた。東京交響楽団第636回定期演奏会がサントリーホールで行われた。サントリーホールは初めて中に入った。ホールは2006名入る大きなホールである。割り当てられた席は1階席の後方だがA席となっている。一番右端の2席で2階の脇の席の真下。右側の楽器ばかりが聞こえるのではないかと心配したが、音のバランスは気にならなかった。ただし2階席の真下なので頭に圧迫感がある。
曲目の始めのムソルグスキー「禿山の一夜」(R-コルサコフ編曲) はどんな曲か重し出さなかったが、聴いてすぐ思い出した。そういえばディズニーのアニメ「ファンタジア」で使われていたという。しかし聴かないでいるとすぐ忘れてしまうというのも悲しい。
2曲目のラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」は残念ながら聴いたことはなかったようだ。パガニーニの主題といわれる「24の奇想曲」の24番目で使われる主題はよく覚えているが、このラフマニノフの曲は記憶には無かった。あるいは聴いているかもしれないが印象にまったく残っていない。本日は、途中のヴァイオリンのソロの直後までは記憶していたが、つい寝息をたててしまって隣の妻に起こされてしまった。

        

 チャイコフスキーの第5番のシンフォニーは好きな交響曲のひとつである。しかしこの第5番は演奏会で聴いたことはない。テレビでも記憶していない。いつもCDで聴いていた。スコアを追いながら聴いたこともあるが、実際に聴いてみて新しい発見というか印象を得た。どうしてもこの交響曲は出だしのクラリネットのソロと、第2楽章のホルンのソロに魅入られる。私のその一人だが、今回新しい印象をもったのはティンパニーが有効に使われていたのだということ。「今更」の感想かもしれないが、ティンパニーがとても良かった。



 実は第1楽章の最後のところでティンパニーの音がとても印象に残った。特に静かに終わる最後の5小節。ファゴットとチェロとコントラバスで暗く終わるとばかり思い込んでいたが、本日の演奏でティンパニーのリズムがとても重要であったことに気がついた。これがないと実に間の抜けた印象のはずである。スコアを見ていてもまったく気がついていなかった自分が情けなくなった。 これに気がついて本日は最後までティンパニーの音をずっと注目して聞いた。
 今後はチャイコフスキーの管弦楽曲を聴く時はティンパニーに着目して聴いてみることにした。またあらたな印象を受けるかもしれない。そういった意味では実にいい発見をした演奏会であった。
 そしてこのホールのパイプオルガン、是非聴いてみたいと思った。

       

初めてのサントリーホール

2015年12月13日 10時36分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日の午前は団地の管理組合の諮問機関の会議、先ほど終了。



 午後はサントリーホールで東京交響楽団の演奏会。サントリーホールは初めての会場。音楽会は久しぶりである。曲目はチャイコフスキーの第5番のシンフォニー、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」、ムソルグスキーの「禿山の一夜」。指揮はマルク・ゴレンシュタイン、ピアノはセルゲイ・カスプロフ。指揮者、ピアニストいづれも初めて聞く。もっとも私は最近の演奏家はほとんど知らない。
 新聞購読者に割安ということで紹介がされていたものを申し込んだ。しかし席は選ぶことはできない。送られてきた席は舞台に向かって右端のようだ。



 チャイコフスキーもラフマニノフもムソルグスキーも最近は聴いていない。チャイコフスキーの第5番のシンフォニーは好きで以前は何回となく聴いていた。最近は室内楽曲や独奏曲を聞く機会が大きなり、疎遠になってはいるがこの曲が好きであることに変わりはない。最初の出だしが何といってもいい。
 ムソルグスキーはオペラ「ボリスゴドノフ」を高校時代に聴いてレコードを購入したのをおぼえている。確か映画でも放映されたように記憶している。ビデオを借りて見たことがあるはずだが、細部は覚えていない。暗い筋と音楽が気に入っていたと思うのだが、ほとんど覚えていない、というのが悲しい。記憶というものは本当に曖昧で、頼りにならないものである。しばらく聴かないとほとんど忘れてしまうようだ。「禿山の一夜」はよく覚えている。
 ラフマニノフで覚えている曲はピアノ協奏曲第2番だけ。映画音楽のような甘い旋律は私の好みではないが、一度聴いたら忘れられない曲である。「バカニー二の主題による狂詩曲」というのは題名だけは記憶に残っているが、曲は覚えていない。記憶にないというのが悲しい。
 チャイコフスキーの5番の交響曲を除いて、こんな記憶の曖昧な曲であるが、どんな記憶が蘇ってくるのか、楽しみである。


スキャナーと思考回路

2015年12月12日 23時02分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の午後は久しぶりにウォーキングで23000歩、約16キロ程。片道8キロの行程を往復した。2時間50分ほどだったから、1時間あたり約8000歩。かなりの運動量だったと思う。気持ちのいい汗をかくことができた。寝る前にもう二周ほど団地の中を歩いてみたい。

 本日の夜の作業は、国立近代美術館の藤田嗣治善処爽作品展示の感想を書くために、図録からいくつかの作品をスキャナーで取り込む作業を行った。
 解説や評伝を読んでも頭の中でうまく文章が構成できないし、考えもまとまらない。不思議なものでこのスキャナーで作品を取り込む作業を行うと不思議に取りあえずの考えは像をなしてくる。もっともそれが的を得た感想なのか、独断を超えた独りよがりや底の浅いものであっても一応はまとまってくる。
 多分スキャナーの操作のための蓋を抑えたり、ずれないように抑えたりという一連の肉体的な作業や、画像修正ソフトなどを使っているうちに、思考回路が働きだすのであろう。そんなことをここ何年も繰り返してきたことによる条件反射かもしれない。

柚子をいただいた

2015年12月12日 21時50分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日友人Kさんから荷物が届いた。箱には「ゆず」と書いてあった。昨年もいただいた柚子である。
 箱を開けで覆っている新聞紙を取ると柚子の匂いが立ち上ってくると同時に、箱がパッと黄色の光を放つように室内が明るくなった。鮮やかな黄色は暗い室内を照らしてくれているようだ。玉手箱を開けたように感じる。白い煙で一気に髭面となって歳を取るのとは違って、気分までもが若返るようだ。

 形はいびつでスマートではないし、昔の檸檬のようにワックスがかかって輝いているわけでもない。自然の果実は人の気持ちを大いに和らげてホッとさせてくれるものだ。
 柚子という明るい黄色だから、というわけではないはずだ。これが例えばリンゴや柿でもきっと箱から生気があふれてくると思われる。やはり室内は明るくなると思う。

 このようなものをいただいた時は、もったいぶって大事にしまっておくのは送ってくれたKさんに失礼だ。さっそく酎ハイに垂らして飲むことにした。

 実は一昨日まで小さなシークワーサーを酎ハイにたらしていた。これもとても美味しい。柚子と違って酸味や味は薄い上品なものである。柚子はもっと強い酸味ともっと強く爽やかな風味なので口が驚いたが、すぐに慣れた。あっという間に缶酎ハイ1本を開けてしまった。罪作りな柚子である。
 鍋ものに加えるためにいつ鍋の夕食にするか、妻と相談中である。


仙台市営地下鉄東西線

2015年12月12日 11時50分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 仙台市営地下鉄東西線が12月6日に開通していた。もう少し先かな、と思っていたのでびっくり。開通に伴ってバス路線の改編や、駅の設備の問題、駅周辺の駐車・駐輪問題、運行上の問題などいろいろ噴出したり、課題が浮かび上がったりしているようだ。
 妻の出身地でもあり、お墓もあるので今でも年に2回くらいは仙台に行っている。鉄道そのものは特にマニアではないが、それでも私が学生だった頃からの計画路線でもあり、是非とも乗ってみたいと思っている。長年の工事帯の後も見てみたい。
 年明け近いうちに機会を作って訪れることにした。全駅で下車するわけにもいかないが、八木山、青葉山、川内あたりは降りて周囲の景色も見たいものである。
 宮城県美術館に訪れるのも便利になった。

 思い出したのが、某大学教授が仙台を訪れた昨年10月、SNS上で「仙台地下鉄ってSuica使えない。ダサすぎる、仙台市」と喚いたという。
 大学の教授ともあろう方が、まず強い言葉で発信してアドバルーンを上げるというのに驚いた。せめてなぜ使えないのか、導入のメリットや導入するための経費等々の検討内容を確かめながら、問題点の指摘をするというのが、人を指導する立場の人間のすることと私は思った。しかもこの方は実業家という肩書もあるようだ。組織を運営するという姿勢がこのようでは下で働く者はつらいものがあろうと同情もしたくなる。教わる学生が果たして社会に出てどのような振る舞いをするのかも見たいものである。教育者としても実業家としても、またこの人を教授として採用した大学にも問題があるように思える。ついでに言えば「ダサい」ということばの意味が私にはわからないが、ダサいこと=悪いこと、という価値判断も一方的な価値の押し付けに聞こえる。
 このような手法は、今の政治家にもみられるものである。一見わかりやすいという、演出方法であるが、このことは本当に物事の進展、改善に役に立つのであろうか。強いリーダーシップと、観測気球とは別物である。私はこのようなことは社会の劣化の一環だと思える。人と円滑なコミュニケーションとはこのようなものなのだろうか。人の組織を円滑に動かすということはこのような手法なのだろうか。
 自分の思いだけが正しいのだろうか、ということの自問自答からすべては始まらなくてはいけないと思う。この自問自答がきちんとできるか、自分の思いを自分の中でさまざまな角度から検討する能力が、他人に対して問題点を投げかけた時のよりよいコミュニケーションのもとになるということがこの人には欠けているとしか思えない。

 そんなことを思いながら、偉そうに吠えたこの人の問いかけ以前から導入が検討されていたというSuicaを利用して仙台市営地下鉄に乗車してみるのも悪くない。


風はおさまらないが、星が美しい夜

2015年12月11日 23時19分27秒 | 天気と自然災害
 横浜はまだ風がおさまらない。13時40分位に本日の最大風速13メートルを記録したらしい。気温も12時過ぎに23.7℃と12月としてはもっとも高い気温であったとのことである。
 嵐の後ということで空は普段よりも多くの星が輝いている。オリオン、ふたご、おうし、おおいぬ、こいぬ、ぎょしゃ、ペルセウス、カシオペアなどがとても美しい。残念ながら今話題の金星は今は見えない。明けの明星として明け方には見えるはずだが‥。

 藤田嗣治の評伝を先ほど復習がてら開いた。明日は特に予定が入っていないので、この続きを読んだりして、少しのんびりとする予定。

横浜の強風注意報はまだ解除されない

2015年12月11日 20時46分05秒 | 天気と自然災害
 横浜では大雨・雷・波浪・洪水注意報は会場にはなったがいまだ強風注意報は解除になっていない。夕刻に一時おさまっていた風が逆に今また強く吹き始めている。朝のような強い風がうなりを上げている。台風の拭き返しのようにも感じる。葉を最後まで留めていた落葉樹がこれで葉をほとんど落としてしまいかねない勢いである。明日の朝には木々はすっかり冬の様相になってしまうかもしれない。

   

 団地の公園にある紅葉も今朝の段階でこのように葉を落としてしまった。

 午後からの会議の模様を退職者会ホームページにアップして本日の作業は終了としたい。後は藤田嗣治の絵を眺めながら頭の中の整理をしてみたい。
 人間というもの、不得意と思うものにはなかなか手が伸びない。頭の切り替えもそちらの方にむかないものである。これは子どもの頃から変わらないようである。

横浜は大雨・洪水警報

2015年12月11日 11時37分04秒 | 天気と自然災害
 朝7時20分頃に大雨・洪水警報、強風・雷注意報に変わった。雨は9時ころには上がったものの風がとても強い。暴風警報は出ないの?というほどに強い。気象庁のデータでは10時少し前に風速12.9mとなっている。気温も10時前に21.4℃にまで上がっている。予報は曇となっていたが、雲一つ見えず太陽が極めて眩しい。
 強風の影響で鉄道にも影響が出ている。

 南側のベランダはすっかり水で洗われた。落葉がびっしりと張り付いている。植木鉢は重いので持ちこたえているが、塵取り、小型スコップ、箒は室外機の後ろにおさめていたものの風に煽られていたので物置に移動させた。

 雨は降っていないが、今外に出るのは勇気がいる。横浜駅まで30分以上歩くの怖い、何が飛んでくるかわからない。多くの人はあまり気にしてはいないが、災害時に幾度も外で災害対応したこのある人間は、都会では風のこんなに強い日にはどれほどの危険があるか、よくわかっているはずである。どうしても外を歩かなくてはいけない場合は頭や身体を保護する方法を考えたり、出来るだけ長時間外に身を晒さない方法を考えるなど、対策が必要である。
 放置された広告物や看板、ビルやマンションの窓・ベランダからの落下物、路上のゴミ、切れた電線・通信線、壊れた傘などが飛んでくる。電波障害の線、有線放送の線などは見た目にも放置されたり使われなくなったものなどが多い。町内会管理などの防犯灯の電線類も維持管理はあまりよくない。なかでも幟などの看板は極めて危険である。強風が吹いても取り込まない店が圧倒的である。いくら注意してもそれこそ「どこ吹く風」の店や会社が多かった。

 はっきり言わせてもらうが、このような危険物の管理がしっかりしている店や企業は、他の時もしっかりとした対応をしていることは間違いがない。商品も信頼できると判断できる。物の購入、仕事の依頼のときの大事な私なりの判断基準としている。
 私も午後からは会議で出かける。お昼までのもう少しでも風がおさまって欲しい。



横浜には大雨・洪水・強風・雷注意報

2015年12月10日 22時09分39秒 | 天気と自然災害
 ようやく宿題となって引き延ばして来た退職者会のホームページの残り二つの記事のアップを先ほど終了した。宿題として残っていると心に何か引っ掛ったような気分で落ち着かないものである。やっとホッとした。
 明日からは来年の機関紙の原稿作りをボチボチとはじめることになる。すでに記事はホームページにアップしているので、これまでの報告記事はその要約で済ますことができる。正月号なので大体は記事は決まっている。一面トップの記事もすでに依頼済み。通常号よりははやく仕上げられそうな予想である。ただしあくまでも予想。

 横浜では、先ほどから雨の音がしている。一時はかなり強かったが今は弱くなった。21時30分頃、大雨・洪水・強風・雷注意報となった。しかし風は強くはなっていない。明日にかけて全国的に強い雨の予報となっている。気温はかなり高めの予報である。横浜の予報は最低気温12℃、最高気温20℃。
 明日は午後からの会議のために昼前に出かけなくてはいけない。傘を持たなくてはいけないようだ。夜には晴れる予想、ということは傘を忘れて帰る可能性が高い。

横浜美術館「中島清之展」のアートクルーズ

2015年12月10日 19時41分58秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨晩は19時から21時まで横浜美術館で開催されたアートクルーズに参加した。企画展ごとにアートクルーズが行われているが、参加したのは今回が初めてである。3000円というのがチョイとハードルが高くて参加してこなかった。
 今回は中島清之展の解説があるので参加した。中島清之という画家は馴染みがなかったし、よくわからないというのが正直なところである。
 近くでもあり年間5000円の協力会員なのでいつでも無料で閲覧できる。すでに4回ほど見て回ってようやく私なりに作品に慣れてきた。ギャラリートークも45分ほど聞かせてもらった。今回は正味1時間半は解説を聞くことができた。違和感と同時に惹かれる作品もあり、私なりの評価も出来上がりつつある。解説としてはとても参考になった。
 もう一度くらい見て回ってから感想を記載できるようにしたいと思う。もったいぶったからと云って記事の出来はよくはならないと思うが、自分なりに表現できればうれしい。