最近はブログにアップする文章を午前中に書いてから、講座を聴きに出かけたり、美術館・博物館に出かけたりしている。この午前中の文章がサブメインの記事である。CDの感想であったり、絵の感想であったりのパターンになっている。夕方から夕食後にかけて、講座の感想だったり、美術展の感想だったりする。これが一応メインである。最後に22時過ぎに日録風に記事を書いている。
本日はかなり朝寝坊をした。記事を書くエネルギーも湧いてこなかった。
3月も中旬になって、風邪もやっとのことで治り、腰痛もおさまり、これまでよりは多少暖かくなったので、久しぶりにウォーキングに出かけようと思っている。急にあまり長く、早く歩いてもまずいので、2時間未満のコースを想定していつもの道を歩いてみたい。
と思っているうちに雲が出てきて、陽射しが隠れてしまった。天気予報どおり。
「時には本の話でも‥」に白い佗助の写真が掲載されていた。思わず次のようなコメントを書かせてもらった。
佗助というと、「「もうひと花を‥」という執着心が湧いたら、それは前の花よりももう一回りも二回りも、さらにもっと小さく控え目なものを考えた方がいい。その方が深みがある」という趣旨のことを国語の先生が云っていたと記憶しています。ミッションスクールでしたが、言っていることは(日本的)仏教観の世界ですね。
佗助のいまひとたびのさかりかな 中村若沙
ここで「国語の先生」とは、確かもう亡くなった先生だったと記憶しているが、自信はない。別の先生だったかもしれない。直接聞いた授業の時はそのまま受け流していたようだが、大学生の時、なんのきっかけだったか、ふと頭に浮かんできた。言葉の趣旨は鮮明に思い出したが、どんな教材の時だったか、何年生の時だったか思い出せない。そのもどかしさとともに未だに記憶している。直接聞いた時からの記憶ではなく、ふと思い出した時からの記憶である。ひょっとしたら直接聞いたことは無かったのかもしれない。そんないい加減な記憶だが、未だにこの言葉は頭に残っている。
記憶とは不思議なものである。
そして「佗助のいまひとたびのさかりかな」の句はたまたまこの記憶に沿った句であることに気がついたのはいつのことだったか。数年前に歳時記をめくっていて気がついた。侘助は侘助とも書く。私は「佗助」という字が理由はないが好きである。
佗助の花と椿は違うのだが、見た目にはわからないのでネットで検索した結果をまとめると、佗助の特徴としては、
1.花は一般に小さく、一重・猪口咲きのものが多い。
2.雄しべが花粉を生じず、同時に雌しべも結実しにくい。
3.やや早咲きの傾向。
4.花に強い香りを持つ。
5.子房に毛がある。
6.花色が紫を帯びた桃色、赤、白になるものが多い。
名前の由来はよくわからないらしいが、「佗び数寄」によるという説や、「佗助という茶人が好んだから」という説などがある。
薄田泣菫が随筆『侘助椿』の中で以下のように書いているという記述にであった。
「この椿が侘助といふ名で呼ばれるやうになつたのについては、一草亭氏の言ふところが最も当を得てゐる。利休と同じ時代に泉州堺に笠原七郎兵衛、法名吸松斎宗全といふ茶人があつて、後に還俗侘助といつたが、この茶人がひどくこの花を愛玩したところから、いつとなく侘助といふ名で呼ばれるやうになつたといふのだ」
これも近代以降の伝聞による記述だから、本当のところは?にしておいた方が良さそうである。
本日はかなり朝寝坊をした。記事を書くエネルギーも湧いてこなかった。
3月も中旬になって、風邪もやっとのことで治り、腰痛もおさまり、これまでよりは多少暖かくなったので、久しぶりにウォーキングに出かけようと思っている。急にあまり長く、早く歩いてもまずいので、2時間未満のコースを想定していつもの道を歩いてみたい。
と思っているうちに雲が出てきて、陽射しが隠れてしまった。天気予報どおり。
「時には本の話でも‥」に白い佗助の写真が掲載されていた。思わず次のようなコメントを書かせてもらった。
佗助というと、「「もうひと花を‥」という執着心が湧いたら、それは前の花よりももう一回りも二回りも、さらにもっと小さく控え目なものを考えた方がいい。その方が深みがある」という趣旨のことを国語の先生が云っていたと記憶しています。ミッションスクールでしたが、言っていることは(日本的)仏教観の世界ですね。
佗助のいまひとたびのさかりかな 中村若沙
ここで「国語の先生」とは、確かもう亡くなった先生だったと記憶しているが、自信はない。別の先生だったかもしれない。直接聞いた授業の時はそのまま受け流していたようだが、大学生の時、なんのきっかけだったか、ふと頭に浮かんできた。言葉の趣旨は鮮明に思い出したが、どんな教材の時だったか、何年生の時だったか思い出せない。そのもどかしさとともに未だに記憶している。直接聞いた時からの記憶ではなく、ふと思い出した時からの記憶である。ひょっとしたら直接聞いたことは無かったのかもしれない。そんないい加減な記憶だが、未だにこの言葉は頭に残っている。
記憶とは不思議なものである。
そして「佗助のいまひとたびのさかりかな」の句はたまたまこの記憶に沿った句であることに気がついたのはいつのことだったか。数年前に歳時記をめくっていて気がついた。侘助は侘助とも書く。私は「佗助」という字が理由はないが好きである。
佗助の花と椿は違うのだが、見た目にはわからないのでネットで検索した結果をまとめると、佗助の特徴としては、
1.花は一般に小さく、一重・猪口咲きのものが多い。
2.雄しべが花粉を生じず、同時に雌しべも結実しにくい。
3.やや早咲きの傾向。
4.花に強い香りを持つ。
5.子房に毛がある。
6.花色が紫を帯びた桃色、赤、白になるものが多い。
名前の由来はよくわからないらしいが、「佗び数寄」によるという説や、「佗助という茶人が好んだから」という説などがある。
薄田泣菫が随筆『侘助椿』の中で以下のように書いているという記述にであった。
「この椿が侘助といふ名で呼ばれるやうになつたのについては、一草亭氏の言ふところが最も当を得てゐる。利休と同じ時代に泉州堺に笠原七郎兵衛、法名吸松斎宗全といふ茶人があつて、後に還俗侘助といつたが、この茶人がひどくこの花を愛玩したところから、いつとなく侘助といふ名で呼ばれるやうになつたといふのだ」
これも近代以降の伝聞による記述だから、本当のところは?にしておいた方が良さそうである。