Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

向こう15カ月のスケジュール帳

2019年01月22日 22時03分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 サボっていた来年のスケジュール帳を作成。来年3月までの15か月手帖である。エクセルを利用してフォーマットを自分で作成して毎年日にちを入れ直している。日程が入るたびに入力、一週間に一度は打ち出している。同時にスマホでも見られるようにアップ。
 これだけのことをこなすと一応日程が頭に入る。だいたいは記憶できる。念のためにスケジュール帳は持ち歩くが、新たに加える日程のメモとしての利用が多い。このスケジュール帳を作成するようになって、日程のポカは格段に減った。現役時代に作成しておけばよかったと悔やんでいる。

 しかし書き込むのを忘れるとお手上げである。


風邪は小康状態

2019年01月22日 18時17分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 水洟とくしゃみは小康状態。昨日と同じ状態か、あるいは昨日よりもすこしばかり少なくなったかもしれない。
 市営地下鉄で蒔田駅まで所用で出かけたが、いつもなら歩いて関内まで帰ってくる元気があるのだが、本日は無理をせず横浜駅まで地下鉄で戻った。横浜駅で喫茶店で読書&休息の後、少々遠回りをして帰宅。それなりに汗をかいた。水洟はその間は出なかった。

 来週の月曜日には予定が入ってしまった。油断をすると(?)すぐに予定が入ってくる。

インフルエンザなのか?

2019年01月22日 11時15分58秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 一昨日から水洟がよく出るようになった。一昨日よりも昨日の方が水洟は多くなった。クシャミも少し出る。
 妻に熱の出る前の症状を聞くと、水洟・くしゃみなどがしばらく続いき、ある日突然熱が出た、とのことであった。これは要注意なのであろう。
 25日(金)、26日(土)と新年会である。外で飲むのはまだ時期尚早だと思うので、もともとこの両日はアルコール抜きでお付き合いするつもりであった。26日は明日くらいまでに連絡すれば欠席は許してもらえると思う。
 25日は何とか出席したいのだが、まさかインフルエンザであることが確定していたり、熱が出ていたら参加するわけにはいかない。

本日もマスクを手放せなくなった。

★風邪の子の餅のごとくに頬豊か     飯田蛇笏
★風邪の眼に解きたる帯がわだかまる   橋本多佳子



凍月、冬の星

2019年01月21日 23時04分38秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 先ほど近くのドラッグストアに買い物に出かけた。火曜日までは禁足令の出ていた妻であるが、調子がよいようで、簡単な買い物に出てみたいとのことで同道した。

 外は昼間と違ってとても寒く感じた。マスクをして、厚着をしてでかけた。初めは寒さに俯いて歩いた。しかし足もとが明るいので、見上げると大きな月が美しかった。
 本日は満月。雲がどこにも見当たらなかった。冬の大三角(ペテルギウス、シリウス、プロキオン)の横に月があり、さすがにオリオン座も月のあかりで雄大な姿が淡く、弱々しく見える。

★寒星や地に物故せし聖者の数      飯田蛇笏
★地表出る凍月おとを喪へり       飯田蛇笏


 確かに昇ってくる月は音をうしなっている。音を水平線・地平線の下に忘れてきたかのようである。まして冬の、しかも満月であればなおのこと、あれだけ大きな図体をしているのに、静かにその姿を現す。第2句では凍月は間違いなく満月であると私は思う。


順調な回復と思われる

2019年01月21日 20時04分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく完治の道筋が見えてきた。本日の血液検査の結果は、上々。ワーファリンの効果を示す数値もよく、γGTPの値は正常値の上限を下回った。膵臓の炎症を示す数値も正常に戻っているとの診断。造影剤を入れたCT検査を4月1日に行うことになった。しかも次回の受診はCT検査後1週間目の4月8日とのことであった。
 お酒も解禁になった。ただし飲み過ぎないことと、飲んでも食べ過ぎずに栄養過多とならないことを申し渡された。

 さっそく横浜駅のスーパーで吟醸酒のワンカップを2本購入。夕食に1合の6割=6酌ばかりを飲んだ。飲んだのは「加賀鳶」の純米吟醸の1合入り。143日=20週と3日ぶりのお酒はとてもおいしく、胃に染み渡った。
 明日は、残りの4酌と、もう一つのワンカップである「出羽桜」を一口呑む予定。この残りは明後日かその次の日。2合を3日かけて飲むことにした。

 しかし眼科で1020円、市立病院で3030円、薬が両方で6400円と合計10450円というのはとてもつらいものがある。
 眼科は来月もまた通わなくてはいけない。


「佐藤鬼房句集」から 6

2019年01月21日 09時33分57秒 | 俳句・短歌・詩等関連


 句集「瀬頭」から 続き

★梅雨の月あげ道祖神歩き出す
★ものわかりよくて不実や泥鰌鍋
★星雲のくらきところに西瓜種子
★秋草のいづれの草か日暮れ呼ぶ
★解脱など及びもつかぬ隙間風
★みちのくは底知れぬ国大熊(おやじ)生く
★秋味や南部えみしはわが矜持(ほこり)


 句集「霜の聲」から

★首こきと鳴る骨董の扇風機
★霜夜なり胸の火のわが麤蝦夷(あらえみし)
★古暦生きるに厭(あ)くといふ声す
★耳鳴りの月下たどれば被爆の木


 句集「枯峠」から

★整はぬわが脊梁の春景色
★秋暑しわれを死なしむ夢いくたび
★日溜りの落葉溜まりの噴井かな
★飢ゑはわがこころの寄る辺天高し



 この各句集から少しずつ選んだ「佐藤鬼房句集」から私の理解できたように思えるものを選んだ。この「佐藤鬼房句集」に収録されている句を見る限りでは、「半跏坐」と「瀬頭」が私には一番好きな句が多い。私の好みの句集ということなのだろうか。

 第1句、梅雨の時期、晴れた日の月の出た方向に道祖神があり、月の光で照らし出された道祖神が上る月とともに浮かび上がったのであろう。道祖神が歩き出すように浮かび上がった情景だろうか。
 第2句、人と話して物分かりがよさそうな受け答えをされると、ついその人を信じてしまう。しかし相槌を打つのは的確でも、それに沿って動いてくれる保証は何もない。意外と何もしてくれない場合も多い。愛想は良くても不実な人は多い。そんな裏切りに似た行為がわかった時は、ひとりでお酒を味わいながら泥鰌鍋でもつつきたい衝動に駆られる。そう、一人で噛みしめるしかないのだ。
 第5句、「思いもよらず」ではなく「及びもつかぬ」というのがちょっと理解できない。解脱などという立派なことよりも、人には家の隙間風の方が重大な関心事である。
 第6句、作者のこだわったみちのくの風土、そこは人知れぬ大きな包容力を持つ。自然も人の世の在りようも、歴史も、底知れぬ魅力が横たわる。おやじと呼ばれる熊の生息する場所である。
 第7句、蝦夷の後裔がどのような人びとかはすでにわからなくなっているが、古代東北の地においてヤマトの政権にまつろわぬ民(「あら蝦夷」)として扱われてきたことは、東北の地に精を受け、根づいてきた作者の誇りへと転化している。この転化の過程に、作者の徴兵-戦争という生死の体験が横たわっている。
 第10句、権力、権威への抗い、不服従、異議を持続することの厳しさがふと作者にも顔を出すのであろうか。
 第12句、東北地方を南北に走る奥羽山脈と北上山地は東北地方の東西を分ける分水嶺であり、東西の文化の境界である。東北地方はヤマトの政権による分断で統合と統一と国家形成を阻まれてきた。そんな負の歴史も含めて「整わぬ」風土が形成されてきた。だが、春の景色はそんな歴史とは無関係に毎年かならず訪れる。
 第13句、第15句、晩年にも若い頃の戦争体験が人を苛む。


夜のウォーキング再開

2019年01月20日 22時43分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は団地での打合せののち、買い物担当として横浜駅まで出かけて、いくつかの食材を購入。喫茶店で佐藤鬼房の小さな句集を詠み終えた。あと1回ほど句を取り上げて終了ということになってしまう。ネットでは12の句集すべてについて佐藤鬼房の自選句が網羅されていた。これは後ほど読む機会があればいいのだが。

 昨日は運動と云えるようなウォーキングをしなかった。これより30分ほど出かけてくることにした。昼間の暖かさが残っていれば嬉しいのだが。

 明日の午後は市立病院へ行って診察を受ける日である。午前中は可能ならば眼科で緑内障の点眼薬を処方してもらいたいとは思っている。
 病院はインフルエンザにかかりる確率の高いところだといわれる。せめてマスクでもして行こうと思う。自衛となるか、ならないか、不明であるが‥。

ハサミとカッターナイフ

2019年01月20日 21時21分23秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 1975年に就職したての頃、模造紙大の紙を切る作業が必要になった。私は当然にもカッターナイフと大きなスケールないし物差し、そしてカッターナイフを使う際の下敷きとなるものがあると思って、当時の庶務担当、消耗品管理をしていた先輩の高齢者にその旨を伝えた。そうすると「何を言っているんだ?」という顔をされた。
 「ここにはそんなものがあるわけがない。ハサミがある」と云われた。当時は技術職員は設計書の添付図面に青焼きの図面を利用しており、模造紙大の紙は供えられており、必要に応じて切ったりしていた。当然カッターで処理をしているものと思って技術職員に聞いたら「ハサミしか買ってくれない」とのこと。ハサミを利用して必要な大きさに揃えていたり、折り目を強くしごいて手で切っているとのことであった。私は驚いた。
 ハサミで切るとまっすぐには切れない。入札用にいくつも設計図書の添付図面を作るにも大きさがバラバラになる。カッターナイフを丁寧に使えば、少なくとも青焼き用に紙でも10枚はまったく同じ大きさに揃えることが出来る。
 若い技術職員は、何回か折りを繰り返して手で紙を裁断して、出来るだけ大きさを揃え、切り口が一直線になるような努力もしていたのだ。
 事務職員の係では紙を裁断することはあまりない。自分たちが必要ないから購入しない、ということがまかりとおっていたことに私は唖然としたことがある。
 その日、技術職員と居酒屋で飲みながら。まずは技術職の係長をとおしてカッターを購入することを事務職の係長に申し入れさせてみることで、話をまとめた。それで要望は適った。

 そのときの会話で、「事務職はハサミ、技術職はカッターを使いたがる」という話が出てきたのを記憶している。その時は「そんなものかな」と思って聞いていたが、この後の経験ではよくあたっているような経験を幾度もした。
 新卒の学生でも文系の学生は「紙を切る」というとまずハサミを思い浮かべると聞いた。工学系の新卒の学生は私の知る限り「カッター」だという。こんなことですら理系と文系の差があるのかと未だに不思議に思っている。
 そして学生時代、立て看を作るときにどうしても模造紙の半端が出るのだが、私は折り目を3~4回ほどしごいて破っていた。ハサミを使わなかった。しかしどうしてもハサミを使いたがる友人もいた。ただし党派や寮やサークルによって細かいことは違いがあったことは覚えている。
 私がカッター使うきっかけは、中学校の美術の授業である。美術の教師はカッター派であった。今思うとちょっと変わった美術の先生だったのかもしれない。

 そして妻はハサミばかりを使う。私はカッターナイフばかりをつかう。二人の癖はいつもまじりあうことはなく、平行線である。


「佐藤鬼房句集」から 5

2019年01月20日 11時11分41秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 句集「半跏坐」から
★凍(しば)れ日の破船に据わるわが素首
★曼殊沙華噴き出で逃げ場なき齢
★魔の六日九日死者ら怯え立つ
★砂に陽のしみ入る音ぞ曼殊沙華
★野葡萄や死ぬまで続くわが戦後
★痛むゆゑ背骨がわかる寒の雨
★ふりむかぬ鬼籍のひとや朴の花
★一湾の眺めを肴年忘れ


 句集「瀬頭」から
★煩悩はむしろ生きがひ日脚伸ぶ
★落葉焚本物の吾などは死に
★いくつもの病掻きわけおでん食ふ


 第3句、「六日九日」は広島・長崎の原爆の日のこと。その犠牲者たちがなぜか「怯え」立つのか。すでに亡くなった犠牲者知多はいつになったら「怯え」ずにその死でもって自ら立つことが出来るのか。彼らは原爆によって亡くなり、戦後の在りようによって二度目の死を体験させられていないか。死を二度死ぬ、この句には果たして亡くなった方に何回死を押し付けるのであろうか。
 第4句、あの曼殊沙華の燃え立つ色は、太陽の陽が砂にしみいる音であるという把握。死を象徴する曼殊沙華の咲く地面の砂に、太陽の陽は、作者の紡ぐ俳句のように死に届くのであろうか。
 第5句、このように生きてきた人びととどう心を通わせることが出来るか。
 第9句のように私も生きてきた。現にそのようにして生きている。そして第10句のように若い時に抱いていた「本物の吾」への志向にもかかわらず、結局は「本物の吾」などは存在していないこと実感している。そんな年の取り方をした。

本日は休養日、明日は買い物係

2019年01月19日 22時29分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の夜のウォーキングはおやすみ。さすがに兼属したウォーキングで草臥れた。休息もまた必要、というよりもインフルエンザの予防として無理な体の酷使は避けたい。

 本日は朝のうちの病院までの往復などをしただけ。わずか3千余歩である。明日は13時から団地で打合せを長くて2時間くらいだろうか。
 今日・明日と休養日としたいものである。

 本日の夕食は、コブを敷いた土鍋に、ニラとネギとシメジをタップリと入れた湯豆腐。豚肉の大きめの薄切りを4枚ほど入れた。ご飯はお粥。食欲があまりない妻には食べやすかったようだ。
 私は豆腐は木綿豆腐でないと食べた気にならない。私のこだわりと云えばこだわりである。「豆腐は重量感がなければ美味しくない」というのが持論。ニラがとても美味しかった。ニラとネギで風が飛んでいってくれるといいのだが‥。

 妻は火曜日までの禁足令を医者から言い渡された。私が買い物係をしなくてはいけない。


「佐藤鬼房句集」から 4

2019年01月19日 18時40分00秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 句集「鳥食」から
★磯づたひ暮春に拾ふ錆ナイフ
★吐瀉のたび身内をミカドアゲハ過ぐ


 句集「朝の日」から
★打ちおろす斧が地を噛む春の暮
★年立って耳順ぞ何に殉ずべき


 句集「潮海」から
★またの世の枕に束ね置く銀河
★旅絵師に会ひしむかしのみぞれ雪
★綿虫夕空毀れやすきかな


 句集「何處へ」から
★花種子を播くは別離の近きゆゑ
★純粋とは狂ひしことか吾亦紅
★静まらぬ一魂魄や地に枯葉


 「ミカドアゲハ」は日本では近畿地方より西、南におり、アジアでは中国南部などの東南アジアに生息する。作者の活動範囲は日本の東北地方であるから、戦争体験に基づく句である。「吐瀉」という苦しく苦い体調をももたらす戦争体験に出てくる揚羽、それも「ミカド」の名がつく。作者には自らの存在そのものが否定された名を冠している。
 第4句「耳順」は60歳。悩み、もがいているうちに自分を見失いそうになるのは、いくつになっても同じ出る。
 第9句、第10句、魂の叫びの根源に戦争体験が戦後の生を規定した。それは半世紀以上作者を引きづりわしている。私はことばを失う。


インフルエンザであった

2019年01月19日 13時30分10秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 午前中に妻を連れて近くの病院に行ったらインフルエンザと診断された。予防接種を10月に受けたのだが、残念ながらかかってしまった。
 どこで移されたかはわからないが、私も多分もう観戦している可能性は高い。潜伏期間中ということだろうと思う。昨年は私がインフルエンザにかかった時、症状がおさまってから1週間後くらいに妻が発症した。医師からは私からの感染ではないといわれたという。

 今回病院はとても混んでいた。薬局も混んでいた。薬局では私は中に入らず、外で待っていた。この混雑がいちばん感染しやすい場所のような気がした。

 私は本日の夜と明日の昼間は会議と打合せ、そして月曜の午後は5週間ぶりの通院である。月曜日までは発症してほしくない。しかしインフルエンザにかぎらず病気というものはいつも期待を裏切る。希望を踏みにじる。予定を狂わせる。そういうものである。
 潜伏期間中ならばいまさらジタバタしてもあまり意味はない。おとなしく、体力の温存をはかるのが一番体にはいいと思われる。


★いつもより家路の遠く風邪心地      水田むつみ
★風邪心地部屋の四隅の遠さかな      遠山陽子


1月下旬から2月にかけて風邪に要注意

2019年01月18日 23時38分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 22時過ぎにようやく帰宅。21時に中華街を出て、歩いて聞く。歩き始めたときは関内駅、ないし桜木町駅からは地下鉄で帰宅するつもりだったが、横浜駅まで歩いた。その後は地下鉄と歩き。
 久しぶりに会った仲間ばかりか、20代の若い組合員と席が隣り合って楽しい時間を過ごすことが出来た。

 明日の夜の会議の資料は明日の午後に最後の仕上げることにした。妻の熱は37℃台にとどまっている。思ったよりは熱が下がっていない。このまま朝になっても下がらないときは明日午前中に病院へ行った方が良いかもしれない。

 昨年は2月になるとすぐに、私が先にインフルエンザになり、さらに風邪をひいてこじらせた。私が風邪をこじらせた時に妻がインフルエンザになったような気がする。今年は妻の方が先にダウン、ということになった。

 いつもこの時期に風邪やインフルエンザにやられる。気を付けなければいけない時期である。

「佐藤鬼房句集」から 3

2019年01月18日 16時07分53秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 句集「海溝」から

★ペン割れて木枯らしのあと吼える海
★雪ふきこむ一夜自転車病廊に
★女児の手に海の小石も睡りたる
★海鳴りが死者にも聞こえる冬日さす
★峡湾は暮しの歯型雪降り降る
★湯場の冬土方一匹死にもせぬ
★半夏の雨塩竃夜景母のごと


 句集「地楡」から

★霜割れの風鳴妻子いきるべし
★母の日の太陽液化して沈む
★よるべなき俺は何者牡丹の木


 第4句はチリ地震津波の時の句。第5区以降は塩竃市での作。第9句、沈む太陽は確かに「液化」して沈む。母とはこのような存在なのか。母との関係は抜きにしてもどこかで使ってみたい表現である。第10句、このような心境と牡丹との取り合わせが以外、ちょっと理解できないが気になる表現である。

「自由という名の哀しみ」

2019年01月18日 10時06分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 「世界わが心の旅 ベルリン・自由という名の哀しみ 旅人:三國連太郎(初回放送:1996年)」の再放送を凝視していた。以前にも見た記憶がある。忘れられない番組である。
 解説には「東西分裂時代のドイツでドラマロケを経験した名優が壁崩壊後のベルリンで共演者やスタッフと再会、自由について考える」と記されている。
 「国家」が個人を抑圧し、そして人を殺すことを強制する、さらには同国人すらも射殺する。それはベルリンの壁を超えようとした人々を射殺することをためらわせなかった「国家」というものの恐ろしさである。三國連太郎は「ヨーロッパの壁は具体的、日本のそれは心の壁で見えない」という趣旨の発言をしていた。
 ベルリンの壁崩壊後の高揚した施錠の中で前衛的な街頭パーフォーマンスをしていた歩若い演劇集団の俳優が、「私はお茶を飲む時も創造」といっていたものの、現在は「私にはできない」という自己の存在そのものの「否定」するようなセリフを繰り返す演劇を屋内で継続しているのが映し出された。
 私の1970年代前半の拙い体験がその後の5年ほどの人生と二重写しに見事に重なり合った。そこから抜け出すのは、継続した時間と生活という薬がどうしても必要なことを私は知っている。
 ブレヒトの演劇をとおして、芸術の自由という名の困難性、国家というものの怖さ・恐ろしさをあぶり出していた。


 ビデオは持っている。しかしビデオで保存するという習慣が私には身につかず、いつも番組が終了する頃に録画すればよかったことを思い出す。今回も同じでことを繰り返した。