Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜七福神 2

2019年01月13日 21時43分07秒 | 山行・旅行・散策
 本日は横浜市の港北区にある興禅寺というお寺に行ってきた。七福神の福禄寿が松ってあるとのことであった。市営地下鉄の高田駅から歩いて10分ほどであったろうか。少し遠回りしてお墓を一周してから境内へ。
 境内を一巡りしてから、速足で地下鉄の駅でとなりの日吉本町駅と日吉駅の間にある金蔵寺を訪れ寿老神を巡った。その足で日吉駅経由で帰宅。
 出かけるのに手間取り、時間が少なく、金蔵寺までは小走りで向かった。金蔵寺は40年ほど前に甘酒を振る舞ってもらったが今回はすでに七福神ののぼりばたもなく静かな境内。むかしは幼稚園を併設していたが、いまは幼稚園は廃園となったいた。代わりに立派な葬儀場が建っていた。園児を集めるのが難しくなったのであろう。時代の流れというのであろう。
 興禅寺で写真を撮影してみたが、しかし抗してみると如何にピントが甘いかよくわかってしまう。
 あまりに情けないものがある。落ち着いてピントを合わせたいものに合わせるということがまるで出来ていない。
 落ち着きのない自分が嫌になる。

                  

七福神巡り

2019年01月13日 12時11分43秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日・明日と世の中は連休。現役や若い世代が楽しむ連休中の混雑をひどくするようにはしたくない。わずか一人、二人の高齢者が出ていかなくとも混雑には変わりはないが、そもそも混雑の中に行きたくないのが本音である。
 私たち夫婦がひっそりと外出を楽しむとすれば、三が日に行った七福神巡りくらいが無難ではなかろうか、というのが先ほどまでの夫婦の会話である。若い人が訪れていることも少なく、混雑もしているとは思えない。人出があったにしても夫婦二人がその混雑を増幅することもないと思われる。
 そろそろボチボチと‥。

 七福神網では新年の季語。解説では元旦から七日までとある。果たしいこの記述、性格なのだろうか。

★何もかも捨てて生きたし七福神      藤井静三

冬の雨

2019年01月12日 23時34分45秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 一昨年亡くなった高木純さんの一周忌を兼ねた新年会が終了し、つい先ほど帰宅。待ち合わせの駅構内は寒く、外は雨も少し降り始めた。中華料理の広い個室内は暖かく、楽しく過ごすことが出来た。9人ではもったいないほどのスペースであった。
 あまりお酒を飲まなくなり、料理も少なめでちょうど良かった。私はこれまで通りお酒は飲まずに過ごした。皆が驚いていた。
 再来週の診断までは我慢である。帰りは近くの私鉄の駅から歩いて帰宅。毎日の目標歩数をクリア出来た。冷たい雨がほんの少しだけ額にポツンと落ちてくる道であった。

★人の世の窓打ちにけり冬の雨      西嶋あさ子
★戸一枚だけの灯もらす冬の雨      田中午次郎
★街路樹の山側濡れて時雨雲       菅原 涼


寒さの中の横浜駅界隈

2019年01月12日 17時39分00秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 横浜駅界隈で集合ということになっている。皆寒さで体を小さくして歩いている。地下街やビルから出ると寒さが身にしみる。冬本番という言葉がピッタリである。
 横浜駅は長期間の駅の改良工事の最中。工事に伴い狭い通路のあるところは人がひしめくように歩いていく。人がひしめいているところは暖かい、とはいっても人の気持ちは急かされてゆとりがない。出来れば近寄りたくない個所である。

★くれなゐの色を見てゐる寒さかな          細見綾子

底冷えのする寒さ

2019年01月12日 16時50分08秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 横浜は15時原罪で6.6℃と底冷えがしてとても寒い。朝一瞬だけだったがばらばらと降ってきた。音からすると霰のようにも思えたのだが、9時過ぎに家を出たときには道路もすっかり乾いており、霰だったか雨だったか、判らなかった。
 用事が住んだ後、そのまま夜の新年会に参加しようと思っていたが、喫茶店で3時間過ごすのもつらいので、取りあえずいったん帰宅した。熱いお茶で一息。
 昨日トレチャコフ美術館展の感想を急いで記載したのだが、何か書き足りていない。不達成感があるが、どうしたらいいのかまだわからない。暫くはそのまま、気持ちの推移を見計らって再度必要なら挑戦することにしたい。

★きしきしと帯を纏(ま)きをり枯るる中      橋本多佳子
★父死して厠の寒さ残しけり            有働 亨
★働いて耳を冷たく戻りけり            西嶋あさ子

トレチャコフ美術館所蔵「ロマンティックロシア」展 その3

2019年01月12日 00時08分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 Bunkamuraザ・ミュージアムはだいぶ混雑していた。まだ会期末の27日までゆとりがあるので、それほど混雑しないかと思っていたのだが、やはりファンは多いようだ。
 コントラストの強い風景画は、ポストカードではなかなか原作に近い色合いや輝きの再燃は難しいのだろうか。どのポストカードも残念ながら原作の雰囲気から遠かったようなので購入しなかった。
 可能ならばもう少し作品数が多いと嬉しいのだが、それはやむを得ないのだろう。1500円で私なりに満足した。
 今回展示されている諸作品の多くは、日本では明治維新、近代国家の歩みが始まったころから明治の半ばまでの時代に重なる。制作年代を見ながら、その時代と対比さて見るのもまた楽しい。激動のロシアに対比させながらの鑑賞はまたいろいろな感慨をもたらしてくれる。

トレチャコフ美術館所蔵「ロマンティックロシア」展 その2

2019年01月11日 23時38分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 私が見に行きたかった作品は、以前にも観たことがある作品ばかりであると思う。特に前回のトレチャコフ美術館展で観た記憶があるが、定かではない。当時は図録を購入していなかった。

 今回の展示で新たに惹かれた作品は、3点あった。



 まずはフィリップ・アンドレーエヴィチ・マリャーヴィンの「本を手に」(1895)。これは女性の肖像画のコーナーにあった。私としては「忘れえぬ女」(イワン・ニコラエヴィチ・クラムスコイ、1883)よりも惹かれた。
 むろん美術史的にも、技術的な面でも、さらに影響力からも「忘れえぬ女」の価値は高いのだろうが。決して上流な家庭の人でもないが、本を読むだけの知識もあり、だが着飾ることもない女性の像は、社会が大きく胎動している当時のロシアの女性のある側面を描き切っているように思えてならない。根拠は何かと問われるとこれを示すことはできない。解説では画家の妹で、28歳という若さで亡くなった女性であるらしい。
 顔の皮膚の艶などから早世したにしては、たくましさすら感じられる。意志の強さも感じられる。知的な印象を強く受ける。背景の白い壁とそこに写った濃い影が人物の存在感を強くしている。白い壁と白い服、それをきわだたせている暗い椅子の後ろの闇、そして手にする書物が物語を感じさせる。現実の生活に裏打ちされた存在感のある女性像である。



 「忘れえぬ女」(イワン・クラムスコイ、1883)は、チラシの面を飾っている。わたしにはこの女性の視線はとても冷たく、馬車の上にいて人を見下す位置にいる自分の位置に無自覚である、と感じる。この時代の新しい女性像のような解説にいまひとつピンとこないところがある。トルストイの「アンナ・カレーニナ」の主人公、ドストエフスキーの「白痴」のナスターシャ・フィリッポヴナなどのヒロインになぞらえたりしているらしい。解説では貴族ではないが豊かな女性でもあるとされているが、どこか意志を持たない表情に思える。その割には高い位置から画家を見おろすことで、見るわれわれを見下している視線である。画家とモデルの関係が近代的ではない何かに支配されている。
 「本を手に」の女性と比べるとどこか架空の、存在感の薄い女性である。



 グリゴーリー・クリゴーリエヴィチ・ミャソエードフの「秋の朝」(1883)を見たとき、どこか病的に執拗な執念を感じた。
 この細部にまだ異様にこだわった写生の根拠は何処にあるのか、中心のない一面の黄葉の森のせせらぎの一場面へのこだわりは何か。疑問が湧いて来た。その答えを見つけるだけの情報はない。
 解説では、皮肉屋であり美術界の周囲とも打ち解けず、孤独感を深めていたという記述がある。それがこの作品に反映しているのかは私は断定はできない。だが、このように執拗な写生へのこだわりに、当時の美術界のありように対する違和感をぶつけたような気迫を感じることも確かにできる。



 ロシアの大地では白樺が思い出される。この白樺を描いた作品ではエフィーム・エフィーモヴィチ・ヴォルコフの「10月」(1883)に惹かれた。川に向って拡がる白樺の疎林は、岸辺に立つ人物に向って開かれているようだ。手前から人物に向かう踏み跡でてきた道が、白樺の年輪よりも長い時間の経過を暗示している。人の営みの長さを暗示している。このような景色に私はいつも惹かれる。描かれた肖像画よりも人の営みについて多く語ってくれるのが、このような風景画ではないだろうか。

 

トレチャコフ美術館所蔵「ロマンティックロシア」展 その1

2019年01月11日 21時32分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日は渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催している「国立トレチャコフ美術館所蔵「ロマンティックロシア」」展を訪れた。
 久しぶりの美術展、しかも久しぶりの渋谷である。

               


 お目当てはチラシに掲載されている「ジャム作り」(ウラジ-ミル・マコフスキー、1878)、「帰り道」(アブラム・アルヒーホフ、1896)、「正午、モスクワ郊外」(イワン・シーシキン、1869)、「雨の樫林」(イワン・シーシキン、1891)、「樹氷」(ワシーリー・バクシェーエフ、1900)など。

 いづれの作品も強いコントラストで同時代の西欧の絵画に比べてとても明るいと思った。自然の描写がなぜか私の気持ちに沿った景色に仕上がっている。

 中でも「帰り道」は実にロマンティックな物語りを匂わせる。馬のお尻、御者の背中、馬具の上のひとつの鈴、馬の足が跳ね上げる埃、遠くの日の沈むそら、手前の草花、古い年季の入った馬車、どれをとっても物語が自然と出来上がってしまうような構図であり、筆致である。

 「雨の樫林」の真ん中左の曲がった気には大きな洞(うろ)があり、男女のカップルは馬車のわだち跡も生々しい泥んこ道を素足で歩いている。逃避行のような情景である。深い霧は何を暗示しているのだろうか。不思議な情景である。

   

過剰な想念を持て余す

2019年01月11日 10時27分24秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 毎日そまざまな想念が頭の中を駆けずり回る。ひとつひとつ覚えてなどいられない。子どもの頃は今の私のさらに数倍、数十倍のことが頭の中を走り回っていたとおもう。それこそ暴風のように。4つ、5つの子どもはそのごく十分の一以下のことを次から次に言葉として大人に問いかける。親や周囲の人がそれに答えていたら目がまわってしまう。問は際限ない。ふと思いついたこと、目にしたことをそのまま口にしているように思う。
 保育園や幼稚園、小学校の先生は夕方には風の直撃を受けたように頭の中がかき回されているのではないかと、いつも同情する。だが、子どもにとってはそれなりに考えた末に問を発している場合もある。それは真剣に答えなくてはいけないが、それを聞き分ける能力も備えなくてはいけない。

 私は学校の先生にはなろうとは思わなかった。大学に入ったころ、教職課程を取ろうとすると単位数が多く必要だったので、さっさと諦めた。しかし理由はそれだけではなかったと思う。
 絶えず何かを聞いてくる大勢の子ども、それも大声で問いかける子どもの集団を見るたびに、私は嫌悪感にも似た拒否反応を示していた。具体的には、道を歩いていて正面から子どもの集団がやってくると、逃げるように道の反対側に避難した。小中学校や幼稚園などの傍は遠回りをして避けた。電車やバスで幼稚園や小学生の集団に会うと、たとえ30分待たされても次の便に乗った。なにしろあの甲高い騒々しい問いかけの塊に会うと、自分の脳が防衛反応を示してしまうのだ。人から見れば要するに子ども嫌いである。
 そんなわけで小学校の教師は自分には向いていないと20代の早い段階から気がついた。中学、高校の教師もその延長で断念した。

 60代後半になっても、私の頭の中ではさまざまな想念や思い付きや疑問などが湧いてくる。しかしそれは最初に述べたように幼少期に比べて数十分の一である。それでも自分のその想念を持て余している。その想念の渦に疲れて最近はますます静かな環境を好むようになっている。喧騒の中でも他人に干渉されずに一人になりたいのだ。そうして次から次に湧いてくるたいしたことでもない想念に浸る場合もあるし、出来るだけ何も湧いてこないように蓋をして上から押さえつけて何も考えない時間をつくるか、どちらかである。後者はとても難しい。蓋をしながらまた何かを考えている場合すらある。
 これが過剰に思えて、そして自分で自分を統御できなくなると、「疾」ということになるのだろう。
 現役で仕事をしている頃は、仕事に追われて自分の想念に押しつぶされることはあまり意識しなかった。定年の2~3年前になって定年後には仕事をしないと決断したころから、徐々に自分のあまたの中の嵐を意識し、そして持て余し気味になってきた。
 この7年余りをかけて徐々に自分の脳内を駆けずり回る想念の嵐と付き合う方法を少しずつ身に付け始めた、というところでもある。仕事に変わって何かに夢中になることは対症療法としては有効だろう。

 生きるのをやめるということは、脳内の想念が死滅する時期でもある。「人間は考える葦」だそうだが、確かに「想念がなくなるのは死を迎える」時であると思う。
 認知症といわれる「疾」がある。きっと物理的に委縮した脳の中で、想念が過剰に駆けずり回っているのではないかと思う。彼らは考えることをやめてはいないはずだ。逆に想念が中性子星のように過剰に脳内に侵入してくるのではないか。その処理に悲鳴が上がっている状態ではないのか。


水洟

2019年01月10日 23時35分45秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 ブログの前の記事の投稿後、ベッドに横になったらそのまま寝入ってしまった。21時過ぎにいったん目が覚めた。10分後に読みかけの本をもって再びベッドに横になったら、またしても寝てしまった。いびきはかいていないが、気持ちよさそうな寝息だった、という。本はわずか1頁進んだだけ。23時を過ぎて再び目が覚めた。
 1時間半に満たないで起きたのは、寝間着に着替えずに寝たのが原因かもしれない。寝心地に多少違和感をもったまま寝てしまった。着替える気力が湧いてこなかった。
 体力的にはかなり疲れていたのだろうか。

 風邪もひいていないのに水洟が出る。それも人と会話をしているときに出る。どういう加減であろうか。それを気にするようになったのは、どうも中年以降のようだ。
 食事のときや、急に外に出て冷たい風に当たったとき、運動をしたあとには、若い頃だけでなく今でもよく水洟がでる。匂いにはほとんど反応しない私の鼻であるが、水洟は良く出る。

★水洟や鼻の先だけ暮れ残る        芥川龍之介
★念力もぬけて水洟たらしけり       阿波野青畝

寒い一日

2019年01月10日 19時35分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日はとても寒い。同時に月曜日からの疲労も蓄積、何もする気が起きない。本日は休養日かよいだろう。横浜駅まではウォーキングがてら出かけるが、安価なコーヒー1杯で、静かにしていようと思う。

 横浜駅周辺の繁華街は皆寒そうに厚着でモコモコとなっていた。地下街は暖房が効いて暖かいのだが、厚着で身を固くしたままの人も多い。風邪気味なのか、インフルエンザなのか、マスク姿も多い。最近黒いマスクが流行っているようだ。どうせなら明るい青やオレンジや緑もいいと思うのだが‥。
私はマスクはまずしない。メガネが曇るし、息苦しさも感じる。ときどき洗面所で嗽をする。帰宅してもまずは嗽をすることで、喉を保護したつもりになっている。

ヴェルディ―「レクイエム」公演申込み

2019年01月10日 11時39分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日は久しぶりに神奈川県民ホールに行った来た。音楽を聴きに行くためではなく、レストランの下見。まだ営業しているのかということとランチ(900円~)などのメニューを仕入れてきた。コンビニのイートインコーナーで安く昼食を食べたので、ここでは食べなかった。
 眺めは相変わらず抜群。



 帰りがけにチラシを見ていたら、ヴェルディのレクイエムの公演を知った。B席3000円と大編成の合唱団付の管弦楽の割には安い。さっそく先ほど妻の分とあわせて2枚を申し込んだ。二つ並んだ席が残っていた。
 演奏は神奈川フィル。県民ホールは音響が気に入らないが、大編成の会場としては此処しかないような気もする。このホール、私は音響に難があるように思えて敬遠している。今回は値段に釣られた。

 チケットにシニアは10%割引と記載があり、期待しながら詳しくみたら、70歳以上であったので残念ながら割引はない。

 ヴェルディのレクイエム、劇的なレクイエムである。モーツアルトのレクイエムとは正反対の音楽で、聴くのは実に久しぶりである。公演は来月。それまでに我が家のCDで一度位は聞いておきたい。


昨日からの読書

2019年01月09日 23時21分37秒 | 読書


 昨日から読み始めた本は「ジャポニスム 流行としての「日本」」(宮崎克己、講談社現代新書)。年末に購入して数ページは読んではいたが、そのまま放置をしていた。発行は昨年12月18日、出版されたばかりである。
 まだ第2章に入ったばかりなので、感想も書けないし、評価も出来ない。が勉強にはなる。

 夕方帰宅すると、一太郎2019の案内が来ていた。すでに6年前に更新しているので、まだ更新の必要性は感じない。軽快に動いている。
 一太郎はワープロがパソコンに変わったころからのお付き合いである。宣伝するつもりではないが、私にとっては使いやすく重宝している。退職者会の新聞は割り付けも含めて一太郎で作成している。縦書き、エクセルの貼り付け、レイアウト枠、オブジェクト枠など重宝している。
 しかし最近はワードに押されっぱなし。簡単な文書は一太郎で作成して、ワードでも保存したりしている。作り替える必要がなくなった文書はPDFでも記憶させている。


新年会

2019年01月09日 20時38分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 寒い風が吹いていた。特に日が陰った後は寒さが身に染みた。土・日と関東地方は雨または雪となるらしい。横浜市域の北部は雪の可能性が高いようぶ。私の住む場所は雪か雨か、微妙なところであるようだ。
 土曜日は夜に学生時代の友人たちと新年会を横浜で予定している。夜遅くなると関東地方北部から遠路やってくる友人にとってはつらいかもしれない。

 職場の新年会というもの、上司にとっては上座に座らされて、あまり面白くないらしい。新年会にかぎらず忘年会でも異動の歓送迎会でも、同じだと愚痴を聞かされた。管理職のそのような愚痴を聞かされるのもまた、長年その職場にいて、年寄り扱いの私のようなものの役割でもあった。
 そのような立場の私も実際は管理職と同じように宴席では煙たがられていたのだろうとは思う。私は上座に座らされることはなかったし、末席に座る方が好きだった。いつの間にか上座に座っているはずの管理職二人が末席にやって来て、わたしと向かい合って飲み始めることが多くなった。かようにして50歳を過ぎるといつも上司のお守り役であった。上司は宴会がお開きになる頃には、上座に戻って挨拶の言葉を考え始める。
 立場は違うが、境遇は同じようなものであった。近しい友人との新年会はそんな上下関係などまったく関係ない。実に楽しい。

★ねんごろに推されし上座新年会      横山清華

正月飾り

2019年01月09日 11時04分36秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日山下公園の近くを歩き回ったら、門松が立ててあるビルがいくつかあった。だいたいが7日撤去するようなので目立っていた。気分的には正月気分となるから不思議だ。
 縁起かつぎや、信仰心とは無縁な私は気にならないのだが、こだわる人はとてもこだわる。こちらが辟易としてしまうくらい蘊蓄を方群れられてしまう。
 私が小さい頃は15日の成人式のころまで正月飾りを飾っていたと思う。周囲の家や商店では飾りは一斉になくなるということはなく、いつの間にか無くなっていたという記憶である。

 正月飾りを年末の28日には飾らなくていけないというのは語呂合わせの世界である。29日が二重苦に通じるとか、31日の一夜飾りは歳神に失礼だとか、語呂合わせ・こじつけの世界でしかないのだが‥。細かな「礼儀・作法」ほど、つまらない語呂合わせで権威付けをしている。語呂合わせの最たるものは「お節料理」であるが、それは言及する気にもならない。
 正月飾りを片付ける日も小正月や二十日正月という習俗が残るところは15日、20日まで飾るようだ。現在の社会は極めて同調圧力が強い。とくに最近は都会もひどくなっている。7日は片付けないと、といけないと一斉に片付けるようだ。私はそのようなことは次第に廃れてくるものだと20代のころは思っていた。同調圧力が強まるという、逆の流れに戸惑いが強まっている。

 正月飾りをいつまで飾る・飾らない、餅を用意する・しないということに強くこだわる心性、人に強制する心根が私にはどうしても理解が出来ない。飾りたい人が飾りたいように飾る、食べたい人が食べたいときに食べる、人に強制しない、拝みたい人だけが参拝する、そうあってほしいものである。「初詣は行きましたか」という挨拶を私はしない。聞かれてもこたえない。さいわいなことに返事にこだわる人に出くわしたことはほとんどない。

 そういうわが家でも、妻が小さな正月飾りを玄関に吊るしている。そして7日に片付けた。来年また使うということで、どこかに片付けていた。
 玄関に正月用の花を活け、小さな鏡餅を設えてその上に小さな葉付きのみかんを載せるのが楽しいようだ。
 花を活けることは、いつもしており悪いことではない。しおれかけたら取り換える。特に日にちにはこだわっていない。
 鏡餅も割って揚げ餅にすると独特の味わいがあり、わたしも餅を乾燥させるためのものとして面白いと思っている。鏡餅はカビが生える頃に割ってしまう。これも日にちにはこだわっていない。みかんはいつの間にか妻の口に入っているようだ。

 正月飾りが不信心の私に何となくそぐわないが、異論は言わない。歳が新しくなった、という雰囲気はそれなりに味わっている。年末から正月はすべて妻におまかせである。

★城山が撒く星粒や鏡餅         波多野爽波
★つぎつぎに子等家を去り鏡餅     加藤楸邨


 「新年」に関わる季語は割と強いものが多いが、季感を重視して、そっと添えたように使ったように思える鏡餅の句を選んでみた。