Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

風も雨もおさまる

2021年03月21日 23時39分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 現在は「大雨・強風・雷・波浪注意報」が継続している。洪水注意報は解除された。雲に切れ目があり、星は見えないが夜空が覗いている。雨はもう降らないように思える。風も弱まっていた。
 本日の最大瞬間風速はどうやら19時50分頃の23.2mということになるようだ。終日南風で蒸し暑かった。絶え間なく降り続けた結果、42mmという雨量も多い。
 いったんは収まっているが、明日はまた夜は雨となる予想である。

 一日中閉じこもっていたので、肩こりもあり、30分ほどウォーキングで体をほぐしてきた。腕を大きく回しながら、歩いた。ある住宅の庭の草に拳がぶつかり、葉が2~3枚ほど散った。花ではなくてホッとした。そして生け垣にぶつけたら手が怪我をしていたかもしれない。怪我をしたらなんとも情けない話である。
 ゆっくり歩いたにもかかわらず、汗ばんだ。80%もの湿度のためだと思う。

 本日はこれにて就寝。
 


バッハ「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ」

2021年03月21日 21時27分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 本日聴いていた曲はバッハの「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ」全6曲。ヴァイオリンはヘンリック・シェリング、チェンバロはヘルムート・ヴァルヒァ。1969年の録音。1990年の発売のようだから、その翌年頃には購入していたと思う。
 私の生涯の中でもかなりきつく、厳しい時期にあたり、癒しをもとめて深夜の1時から2時ころに、リビングルームの再生装置で妻や小学生の子どもの安眠を妨げないように小さな音で聴いていたはずである。それでも当時のワープロを打つ音や、感熱紙での印刷の音で迷惑をかけていたと思う。
 にがく、苦しい思い出が沸きあがってくる曲でもあるが、半面、労働組合の仕事が終わってぬるくなった風呂で静かに体を洗うまでの時間、就寝前のホッとする時間を思い出させてくれるCDでもある。当時は朝ひげを剃る時間ももったいないので、この風呂の時間にひげを剃っていたことを今思い出した。
 実は私はシェリングのヴァイオリンの音色よりも、ヴァルヒァのチェンバロの音色と演奏に惹かれている。少し金属的な音がするシェリングの音を柔らかく、なめらかに聴かせてくれる。曲そのものがそのような構造なのか、両者の音の特質なのか、録音の問題なのか、いまだにわからない。
 シェリングのヴァイオリンはベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、ハイティンク指揮、1973年録音)をもっているが、こちらは鋭い音の響きではあるが、金属的な音色とは違って心地よい響きである。高音に比べて低音はとても柔らかい響きがする。


雨は上がったようだ

2021年03月21日 18時26分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 30分ほど前から雨は降っていないことに気が付いた。風は相変わらず強い。最大瞬間風速は20.0m(南南西)を14時過ぎに記録して以降、そのままの数値が表示されている。しかしピークを過ぎたと断言するにはまだ早すぎると思われるほど、風の音がすごい。
 昼間はネットサーフィンと読書をかわるがわる。途中30分ほど昼寝。年度末が近いので、退職者会の私の属するブロックの会計処理。エクセルで記帳し、残額・通帳残高とそろっているのを確認。コロナ禍で、行事などをしていないので、印刷費と郵送費がほとんど。会員と顔を合わせることがほとんどないのが、残念であった。あと10日あまりで会計の締めである。
 退職者会全体の総会も5月中旬。議案や会計処理で会議や打ち合わせもいくつか準備されている。
 まだまったく外に出ていない。


大雨・洪水・強風・雷・波浪注意報

2021年03月21日 13時29分01秒 | 天気と自然災害

 講座を聞いている間、ベランダ側を背にしてパソコンに向かっている。その窓ガラス越しに外の強風とその風にあおられた雨の音が止むことがなかった。
 私の住んでいるところは今のところ最大10mmの雨のようだが、実際はもっと強い雨に感じた。風は正午に最大瞬間風速17mを記録している。南風である。この風で実際よりも多い雨に感じるのであろう。
 横浜市域には、13時20分過ぎに、大雨・洪水注意報も発令された。強風・雷・波浪注意報は継続。最大30mmの強い雨の区域が線状に南西から北東に横浜市域に伸びている。この区域が私の住むところにもやってくるようだ。



 この風と雨では私などは、外出はしないほうが良いようだ。緊急事態宣言が解除になるということには疑問もある。私としては、大勢の人出の中に出かけるのは避けたい思いがある。

 昨晩の地震で幾人かのけが人の報道があり、さらに塩竃市では法面にコンクリートの吹き付けをした箇所が崩落したとの情報があった。この雨で被害が広がることも予想される。
 津波注意報は解除されたのだが、果たして津波が実際にきたのか、どの程度の変動があったのか、私の見ていたテレビでは報道がなかった。気象庁のホームページにも掲載がない。なかったらなかったとのきちんとした発表が欲しいと思う。マスコミや公的機関はこういう中途半端な報道や発表ではまずい。メリハリをきちっとつけることが信頼される基本だと思う。


本日のオンライン講座

2021年03月21日 13時07分09秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 午前中は、オンラインの講座「美術の物語」(ゴンブリッチ)の講読。今回は第19章「さまざまなヴィジョン ヨーロッパのカトリック世界 17世紀前半」。バロックの時代の建築と絵画。

 カッラッチ、カラヴッジョ、グイード・レーニ、グエルチーノ、プッサン、クロード・ロラン、ルーベンス、ヴァン・ダイク、ベラスケスなど盛りだくさん。私の頭の中では少々消化不良なのは残念だが致し方ない。


サクラを探して‥

2021年03月20日 21時48分42秒 | 山行・旅行・散策

 先ほどの地震、けが人が出たという報道もある。被害の全容は明日にならないと明らかにはならないと思う。現地では今夜はゆっくり寝ることができないのではないか。
 宮城県ではCOVID-19の感染拡大と度重なる地震、大変な状況と察する。

 さて、本日はさきほどまで、オンラインの音楽観使用会で第二次世界大戦前に作られたラヴェルのピアノ協奏曲と18世紀初めに作られたクープランの曲を聴かせてもらった。フランス音楽というのは、フォーレのピアノ曲以外はあまり聴く機会がない。じっくり聴いたのは初めてであった。

            

 本日の昼間、近くの緑道を散歩した。ヨコハマヒザクラが満開、シダレザクラも一部きれいに咲いていた。ソメイヨシノはまだ各樹に十数輪程度の開花で寂しい。オオシマザクラと思われる桜は、幾本か美しい色をした葉とともに白い清楚な花が見られた。


宮城県で震度5強・津波注意報

2021年03月20日 18時40分52秒 | 天気と自然災害

  マグニチュード7.2、深さ60キロで、津波注意報が出たとのこと。
 横浜でも広範囲に震度3であった。前回宮城県で震度6弱を記録した時よりも横浜市内の震度3の地域は広範囲だったのではないだろうか。
 東海道線・横須賀線・京浜東北線・横浜線・東急線・市営地下鉄などが点検のため止まったり遅れたりしている。

 津波注意報が出ており、心配である。被害が出ないでほしいものである。宮城県に住む私の友人は海岸沿いにはいないのが、せめてもの救い。

 急いで気象庁のホームページを見たが、従来とは変わっているので、思うような情報がうまく引き出せない。これは早急に慣れておかないとまずいと感じた。

 初めの縦揺れらしき振動から10秒位経った時に、強い地震になる可能性を感じた。急いでパソコンの電源を落とし、ガスストーブを消し、リビングルームでテレビを点けた。

 停電が栗原市で発生しているとのことが報道されている。また夜なので、山崩れや土砂崩れも心配である。

 


視力の減退が身にこたえる

2021年03月20日 10時59分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩アップした「司馬江漢と歌川広重の「五十三次」その3」の記事の誤変換を直し、一部の表現を変更。いつもながら誤変換は恥ずかしい。見直せばいいのはわかっているが、言い訳を言えば、出来上がるといつももう視力が限界で、ぼやけてほとんど見えていない。見直す気力がなくなっている。
 パソコンやスマホの画面は1時間が限度になりつつある。最近は遠近感があまりなくなり、階段の上から下を見ると、怖くなることがある。視力がこれまでよかったばかりに、歳をとってからの視力減退はこたえる。 


司馬江漢と歌川広重の「五十三次」 その3

2021年03月19日 22時16分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 いつものように上の大きなものが先行した司馬江漢の「東海道五十三次画帖」、下の小さいものが歌川広重の「東海道五十三次」。図柄はほとんど同じである。広重は江漢のものを利用したということらしい。
 司馬江漢と歌川広重の「五十三次」を比べながら、何が違うのか、いろいろ悩んでいた。江漢は構図の上では西洋風の遠近法と、ものの影を描いて、日本の風景を描こうとしている。広々とした空間が持ち味である。
 広重はどのように換骨奪胎したのか。ようやく先ほど気が付いたことがある。
 江漢は構図がおとなしく、広重は構図を大胆にデフォルメしている。これは誰でもが気が付くことである。
 その構図をどのような観点から大胆に変えたのか、ということを考えていた。
 ひとつは人物や馬などを増やしたり、間隔を狭くして密集させたりしている。それに合わせて背景の近景を人物に近づけて、遠景はさらに遠くに見えるようにして遠近を強調している。
 このことで人物に動きができて、画面に躍動感が生じている。

 しかしこれだけではない。一番重要だと感じたのは、人物が被っている編み笠や背負子の色であった。江漢の編み笠などはくすんだ暗い黄色である。広重の描く人物の編み笠や背負子はあざやかな黄色である。さらに人物の着ている服の色、特に藍色を目立たせるために地面や背景の色を薄くして、人物が浮き出てくるように描いている。
 特に編み笠の色が秀逸である。どの作品にも共通する楕円状の編み笠が印象的である。
 広重は遠近感の強調と、色彩の対比を強めにして、雨や風や雪を利用して人物に動きを出し、それによって画面全体に物語性を付与している。雨の中を急ぐ人物は駆け足に思え、かごを担いだ人物の掛け声が聞こえ、汗までがにおい、雪の中を凍えそうになりながら、道を急いでいる。先を急ぐのか、くつろぐのか、それもきちんと描き分けている。

 本日眺めていた成果は、このことに尽きる。

 


コブシは散り始めた

2021年03月19日 21時46分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 薄い木綿のコートを羽織って出かけたたところ、陽射しのある場所では汗ばむほどの温かさであった。しかし日陰に入ると風が冷たく感じた。
 組合の会館からの帰りに久しぶりに関内駅の傍をとおり、旧市庁舎の近くの喫茶店に入った。窓越しの明るい陽射しに当たりながら、読書タイム。頭のてっぺんから芽の出るように温かさになり、うつらうつらとしていたので、ほとんど読み進められなかった。「インテルメッツォ ベートーヴェンの愛 婚約説をめぐって」を読んだのみ。

 1時間ほどで店を出て、桜木町まで歩いた。関内駅から桜木町駅までは、ビルの間の日当たりの悪い道で、風も冷たかった。人通りは市庁舎があったころとあまり変わらずに多くの人が歩いていた。
 横浜駅も中央通路は多くの乗降客と通り抜ける人でごった返していた。それを避けるように地上を遠回りで有隣堂まで。店頭にならぶ本をチェックしたのち、歩いて帰宅。

 街路樹やビルの合間の小さな空間ではコブシがそろそろ終わりを迎えていた。またカワヅザクラはもう花はついておらず、葉桜になっていた。代わりにヒカンザクラが咲き始めている。横浜でもソメイヨシノが開花としたとのことであるが、私はまだ開花したものを見ていない。

 


久しぶりに作業のない日

2021年03月19日 12時53分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日も穏やかな日和。作業は本日はなし。退職者会のフォルダを開くこともなく、ベッドの上で昨日からの「ベートーヴェン」を1時間ほど読んでいた。昼前に30分ほどうつらうつらしていたようだが、読んだ内容は頭に残っている。
 「第1話 べートーヴェン以前のボン」「第2話 ボンの人々」「第3話 青春のボン」までを読了。
 ベートーヴェンの伝記とは直接は関係はないが、第1話の冒頭、ローマ帝国時代と中世から近世のかけてのボンという都市の成り立ちについてのわずか6ページの記述は恥ずかしながら基本的な知識の勉強になった。

 妻は所用があって出かけるとのこと。私もこれから庁内メールを1通出すために組合の会館へ出かける。途中でいつものとおりの時間に一服予定。


本日から「ベートーヴェン」

2021年03月18日 22時24分41秒 | 読書

   

 本日から読み始めたのは「ベートーヴェン――巨匠への道」(門馬直美、講談社学術文庫)。今更、と言われると思うが、私はベートーヴェンの伝記を読んだことがなかった。気に入った曲の来歴などを知るためにつまみ食いの様に生涯のエポックを聞きかじっていただけであった。
 そういうわけで、あえてベートーヴェンの入門書的な本を選んでみた。
 本日読んだのは、「ブロローグ 波乱の生涯・スケッチ」のみ。


明日からはゆとりある生活

2021年03月18日 20時16分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 退職者会の30周年記念誌の校正刷りのチェックは9時から14時までかかって何とか終了。訂正依頼個所は付箋を着けて、郵送した。データは別途電子メールにて送信。

 日差しのある心地よい天気のもと、1万3千歩ほどのウォーキング。途中の喫茶店で一服して、「洋画家の美術史」を読了。つづけて「ベートーヴェン――巨匠への道」を読み始めた。夕刻からはプリンターのインクの値段を調べに横浜駅の家電量販店へ。そののちは有隣堂で本を眺めてから、再び歩いて帰宅。本日は心地よい汗をかくことができた。

 明日からは退職者会の作業からは少し離れることができる。気分的にゆとりが生じている。明日から来週いっぱいは読書タイム・音楽鑑賞タイムを充実させたいものである。


「洋画家の美術史」読了

2021年03月18日 19時46分11秒 | 山行・旅行・散策

   

 最後に「須田剋太」、「三岸節子」、および「おわりに」を読んで、読了。
 須田剋太という画家については初めて名前と簡単な経歴と掲載されている4点の作品を知った。私の好みの作品である。具象と抽象の狭間に位置するような、行き来してしまうような作品が私は好みである。その点でとても惹かれた。
「週刊朝日の「街道をゆく」の挿絵を担当し始めたのは、1971年、65歳になってからだ。20代から30代にかけては具象絵画のみだが、40代を過ぎて作風は抽象化し、その後再び具象に回帰している。‥須田剋太の最高傑作は、この抽象画だと思っている。」
 作品を見る眼はやはり鋭いと思う。著者が所有しているという「抽象」(1971、水墨画)は、和紙に描かれていると思われる。印刷もいいが、実際に和紙の風合いも感じながら眺めたい作品だと思った。同時にサインと描かれたものが、不思議な一体感を感じさせてくれる。
 「花」(1980、油彩)は具象の範疇の作品なのだろうが、抽象的な雰囲気を味わいたい。

 三岸好太郎の作品は、いくつも見ているが、三岸節子の作品はあまり見ていないが、赤い花を中心に据えて周囲を黒く縁取りした絵の記憶がある。掲載されている「赤い花」(制作年未詳、リトグラフ)は私の記憶の絵と似ているが、黒い縁取りの印象が違っている。しかしこれも直に見たい作品である。赤を著者は気に入っているらしい。私の印刷を通しての感想では、赤い花の右下の黒に惹きつけられた。私の記憶にある作品も赤い花の周囲の黒がよかった。
「造形的には、ジョルジュ・ブラックから大きな影響を受けている。特にブラックの形を自由に開放したキュビスム、強い感情を表現したフォーヴィスム的感覚を大胆に取り入れている。」
 この指摘にある「ジョルジュ・ブラックの影響」というのに納得した。

「西洋人が「木を見る」のに対して、東洋人は「森を見る」といわれるように、日本の画家たちはどこか見ている視点が違うような気がする。アジア的な土着的感性、アニミズム、不完全さ、余白の美のようなものがどの作品からも薄っすらと感じられるのが興味深い。近代絵画は、西洋と東洋の間で揺れ動きながら、試行錯誤を繰り返した実験の記憶であり、飽くなき探求心の結晶」(「おわりに」から)。

 私は、この論は1950年代まではある程度理解できる時代把握だと思う。近代という尺度を持ち込めば、「進んだ西洋、遅れた日本」という側面は、幕末・明治維新から戦後まで一貫した日本の社会を言い当てている。「西洋人は「木を見る」、東洋人は「森を見る」」という一把ひとからげの断定はとうてい肯定できないが、西洋と東洋の間を揺れ続けた日本の近代の絵画の歴史はその通りである。
 私は、1990年ごろを画期に、そのようなことは若い芸術家たちはもう拘泥せずに自由に飛翔している、と思った、西洋と東洋という枠組みなどもはや不要なのかと思っていた。しかし安倍政権以降の湧いてくる政権擁護の言説を聞くと、日本の封建遺制の根強さに驚くと同時に恐ろしさを感じている。


柳の芽・芽柳

2021年03月17日 22時38分59秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日妻と買い物に行く途中の住宅街で、芽を吹いたばかりの枝垂れた柳の木を見つけた。眩しいばかりの若い緑色の芽が若々しく、風に揺れていた。
 挙句の様に水に面した道端の柳ではなかったけれども、あの若々しい枝垂れた枝の先の緑は春を感じさせてくれる。
 以前には団地の中にも柳の木があって、毎春それを楽しみにしていたが、枯れてしまって今は団地の中に柳が無くなってしまった。残念であった。
 あの柔らかな感じの芽を目にすると、話している言葉も柔らかくなる。道行く人の刺々しい言葉を聞いても、優しく聞こえる心地がする。春たけなわになりつつある。公園のベンチでのんびり缶コーヒーを飲んでいるときも、若いカップルが春らしく目につくようになった。

★橋わたることの愉しさ柳の芽      草間時彦
★辛うじて芽やなぎ水にとどりけり    久保田万太郎
★芽柳や声やはらかく遊びをり      遠藤千鶴羽
★人の恋気になつてゐる柳の芽      後藤比奈夫