退職者会ニュースは特別号をA4裏表、別に私のブロックだけの会員向けニュースをやはりA4の裏表。一応出来上がった。共に印刷所に印刷を頼まないので、今回も娘に校正をお願いしている。最終原稿を再度チェックしてもらって、今晩中に完成予定。やはり仕事としてこなしているので、良いアドバイスがもらえる。ありがたい。
目はとりあえず、この時間まで何とかもった。これより暑い中を散歩して、気分転換と目の保養。
連休なので、書店に行っても新しい本が並ぶわけではない。家電量販店も混雑している。喫茶店も店内はそれなりに人が入っている。外のテーブル席は暑い。公園の木陰もつらい。
結局、空いている喫茶店で店内の席に座るのがいちばんいい。目の保養のためなので、読書は止めて、窓際に座って外を眺めるだけである。
これより、15分ほどのウォーキングならざるゆっくりの散歩。少し外を歩きたくなった。風を少し感じられるようだ。
室内のクーラーの風よりは、気持ちが良さそうである。
明日は目の具合はどうなっているやら。これまでは朝起きた時に悪くはなっておらず、かなり良くなっている。昨日よりは本日のほうが、長い時間ショボショボしない。
根を詰めて作業に没頭すると、途端に悪くなるようだ。近いうちに眼科で見てもらうことにした。来週にも時間を取りたい。
夜のオンラインの美術講座「「美術の物語」(ゴンブリッチ)の講読」は午前中とは違って何事もなくすんなりと入室できた。何が原因で午前中に入室できなかったのかは未だに不明である。時々表れる症状である。Zoomのソフトそのものはすでにインストール済みであるし、問題のなく入室できるときのほうが割合は高い。
しかし本日の講座は受講者が私ひとり、ということで講師と1対1で少々気恥ずかしかった。長年教えてもらっている講師なので、気さくに対応してくれたと思う。何とか無事終了。90分の予定時間だが、110分を超えた講座になった。
目の状態は最後のほうで、少しショボショボしたものの何とかもった。途中で目をつぶるような状態になるかとの心配は杞憂に終わった。
今回の講座は全体で27回の予定で、早くも26回目が終了。ほぼ1か月に2度だったので、もう2年以上続けていることになる。再来週が最終回。次のシリーズは決まっているようで、引き続き申し込みたいと思っている。
読書も、俳句の歳時記に目を通すのもつらいので、ブログのネタが少ない。他のかたのブログを訪問するのも目を酷使してしまうそうで、遠慮させてもらっている。エッセイのネタも暑くて思いつかない。当面は身近な愚痴を続けることになりそうである。
午前中に予定していたオンライン講座、幾度も入室を試みたものの、残念ながら入室ができなかった。こちらの接続が悪いのか、原因はよくわからない。やむなく受講は断念。
90分のオンライン講座でパソコンの画面を注視し続けるのは、目には良くないとは分かっている。夜に再度入室を試みるつもりである。最後まで目がショボショボにならずに済んでほしい。
昼食後、速達郵便を出そうとしたが、近くの郵便局は窓口を開いていない。本日は休日であった。横浜駅の東口にある郵便局まで出向いて、やっと投函。喫茶店に寄り、外のテーブル席で読者はせずに空の雲、行き交う車を見ることで、目を少しでも休めることにした。国の休日、あまりに移動させるのは、不便極まりない。政府のイベントの都合にわれわれの生活が右往左往されるのは迷惑そのものである。
外のテーブル席ではとても暑く、汗はひかなかった。しかし室内から眺めるよりはずっと視界は広い。広いけれども太陽光線が果たして目に優しいのか、ちょっと疑問が湧いた。
本日も読書はしなかった。というよりも避けた。目がショボショボになると作業ができなくなるからである。読書よりも歩きながら遠くを見ていたほうが目にはずっといいはずである。
とはいえ、夜になって作業がひと段落すると落ち着かない。本棚から「墨子」(浅野裕一、講談社学術文庫)を引っ張り出して、解説を10頁ほどを読んだ。しかし目が疲れたのですぐに本から目を離した。「墨子」は読んだことがないのだが、いつかは読みたいと昔から思っている書である。全部を読み通すことは到底できそうもないが、惹かれるものが多々あると期待している。
明日以降、原稿の修正個所などが指摘されたら、目が疲れたといってサボることはできない。
私がまだ現役のころ、ある評論家が大きな拡大鏡を使い、必死に読書を継続しているのを見た。歳を重ねるということは、つらいことなのだなぁ、と思ったことがある。いよいよ自分もそのような状態に近づいている。違いは、読書の質と思索の深さという悲しく、そして私にとっては超えることのできない致命的な溝の幅と落差である。
目が覚めると視力はかなり回復。目がかすんでしまう前に作業を終えようと、ねじり鉢巻きで退職者会ニュースの特別号を午前中に概略は仕上げることができた。
目の休養のため、午後からは「原則運動中止」という熱中症予防情報が出ている最中であったものの、2時間半ほど外出した。途中は電車・バスも利用し、喫茶店でも水分補給をしたので、8000歩ほど。
帰宅後、ニュースの原稿の細部の修正や、枠の飾りなどを施して、一応完成。何とか目がショボショボになる前に作業を終了。これより他の役員に送信・送付して本日の作業は終了。
目がショボショボになるので、眼精疲労の点眼薬を1時間に一度差しながら、A4おもて面の95%を何とか作成。11ポイントの字がほとんど見えていない。勘で変換を確定している。後は見出しの修飾でおしまいだが、明日に持ち越すことにした。
裏面のメイン記事は、明日、組合の本部からもらえるはずの資料を流し込んで、完成するはずである。オリンピック・パラリンピックの影響で22日(木)、23日(金)が休みになり、4連休となってしまったことが、こんなにも私を苦しめるのかとイライラ。とんだところでオリンピック・パラリンピックの余波を受けてしまった。
文句をいっても八つ当たりになるだけであるものの、愚痴りたくもなる。
しかも肝心な22日の集会も中止になってしまった。これの記事が消えてしまうのも痛かった。
本日も暑い日、外に出るのが怖かったが、思い切って横浜駅まで歩いてみた。35℃には届いていないが、横浜市からは熱中症注意情報が配信されている。途中コンビニで昼食休憩。横浜駅付近のいつもの喫茶店でコーヒータイムとしたが、読書する気力は湧いてこなかった。
平日なので、地下街は少し人通りが少ないので、家電量違反店と有隣堂、百円ショップを一巡。
午後は早めに帰宅して、26日に発行する退職者会ニュースの特別号の編集作業とそのための資料作りに追われた。部屋のなかは暑いが、リビングルームのクーラーの冷気はここまでは届かないのが悲しい。
もらった資料を時系列に並べ直したり、チラシ類の整理も必要になった。思った以上に作業量が多く、戸惑っている。
明日までにとりあえず、おもて面は仕上げないと間に合わない。今晩は、遅くまで作業。
★わが死にしのちも夕焼(ゆや)くる坂と榎 加藤かけい
★夕焼に遺書のつたなく死ににけり 佐藤鬼房
★夕焼雀砂浴び砂に死の記憶 穴井 太
夕焼けの句を探しているといつの間にか、死や廃墟のイメージの句に着目していた。あざやかで色彩鮮明な夕焼けのどこかに「死」や「滅び」を嗅ぎつけているる自分というものに慄然とする。
第1句、真正面から「死」を扱ったが、「死」に現実感がなく、一般的な死であるがゆえに「カラっ」としたイメージが浮き出ている。だがこんな「死」の思いを、私は幼稚園児のころからときどき味わった。その想念が夕方に起きると、夜も眠れなかった。宇宙のことを記した図鑑を向かいの中学生にもらって、私の命がなくなっても続く太陽の営み、そしてその太陽にも寿命があり、地球が飲み込まれる、という記述が怖かった。この句の場合は天文現象ではなく、もっと身近な「坂」と「榎」に「死」が張り付いている。
第3句、佐藤鬼房の句であるから、おそらく戦争体験であろう。「つたなき」とはいえ、生きることの困難な時代の叫びが静かに横たわる。
第4句、土や砂とはいえ、ひょっとしたらそこには「人の死」や小さな動物の「死」が絡んでいた来歴があったかもしれない。その土や砂が今は、雀の一途な生の再生に寄与している。その一般性を読み取ることもできる。しかしこれは長崎の原爆のことを詠んだ句でもあるらしい。句にはそれは触れていない。背景を知ると長崎の原爆の地の重みがひしと伝わる。しかしそれをわざと匂わせないことで、この句のイメージはもっと一般化されているといえる。それが成功したと句ととらえるか、一般化しすぎととらえるか、私にはその評価を決定する力はない。
「近代絵画史」(上・下)を読み終わったのち、美術関係の本は何を読むか物色中。先ほどまではちくま学系文庫の解説目録をめくって4冊ほどの候補を探した。
昨日までに有隣堂で見かけて候補としたものが2冊、神大の生協の棚に並んでいた本が2冊。8冊のなかから値段、興味、内容から選択することにした。
明日午前中にもう一度有隣堂の図書の検索画面で在庫状況などを調べたい。注文は10%の割引がある神大の生協である。
文庫サイズの本とはいえ、決して安くはないのがこの手の本。財布に厳しい。
本日の読書は、「近代絵画史(下)」(高階秀爾)の第20章「エコール・ド・バリ」と、「日経サイエンス8月号」から「天文学の常識を覆す大質量星の様々な最後」と「空飛ぶドラゴンの解剖学」の2編に目を通した。
昼間は「近代絵画史(下)」、夕食後は「日経サイエンス8月号」。明日は午後遅くなってから組合の会館で会議。
退職者会ニュースの校正刷りの最終版と、その他の資料を用意することになっている。いづれも26日の幹事会の資料でもある。
明日もまた本日のように暑いとのこと。暑い最中に家を出ることになる。何とか一番暑いときを避けたいものである。昼前に家を出て、時間まで喫茶店で時間を過ごしたい。
横浜では13時頃に32.6℃を記録した。今年の夏の最高気温ではないが、それでもとても暑いと思った。家から歩いて20分ほどの園芸店に出向いて、朝顔の鉢を購入した。妻は先に電動自転車で店に到着していたが、暑さで疲れたようで、店の外の朝顔の棚を裂けて店内で涼んでいた。私も少し蔵っとしたので、二人で店内のベンチでペットボトルの冷たいお茶で一服。店内の冷房と大型の扇風機がありがたかった。
体調が戻ったところで、朝顔の鉢を一つ選び、自転車に鉢をしばりつけて妻は帰宅。私はさらに横浜駅近くまで25分ほどを歩いた。やはり暑さでくたびれたので、地上から家電量販店の1階に入り、入り口近くで涼んだ。
喫茶店に入ったが、涼を求めて席は満席。店外のテーブル席に座った。意外と風があり、気持ちのいい30分を過ごすことができた。西向きだったので次第に夕方の太陽が迫ってきたので、店を後にした。歩くのは西日がつらいのでバスで帰宅。バスのなかがいちばん涼しい時間であった。
いよいよ暑さがピークの季節、熱中症対策が重要な季節になった。マスクをしているのがつらい。厚生省のホームページに熱中症対策のチラシがアップされている。一応信ずることにした。
チラシのとおり、人との距離が確保できるところではマスクは外したほうが良いと思われる。
私は呼吸がしやすいように、マスクの内側にプラスチックのインナーを糸で固定して装着している。空間が確保できると息もしやすい。ウォーキングで呼吸の間隔が短くなると、プラスチックに水分が付着するので、時々それをハンカチで拭く。マスクを外して呼吸を整えることもできる。
ドラッグストアで2個入りで400円未満で購入できる。百円ショップでもさらに頑丈で無骨なものも購入できる。100円ショップのものは夜のウォーキング用。こちらのほうが確保できる空間が少し広いし、押しても変形しない。どちらがいいかは、好みだと思う。