Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

無為の一日

2022年03月26日 18時25分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 一日中どこにも出なかった。家の中でゴロゴロ。本を読んでも、あまり集中できず、テレビを覗いても10分もしないうちに飽きる番組ばかり。音楽を聴く気にもならず、ほとんど何もせずに夕刻になってしまった。家でゴロゴロしている日はたいがいこんなものである。

 ベッドの上で、風の唸り声に耳を傾け、時々聞こえる救急車の音の進行方向を探り、階上の家の物音や水道管の音を聞き、妻が見ている撮り貯めたビデオの番組の声から内容を想像し、いつの間に自分の寝息を心地よく聞いていたり、と無為の時間を過ごした。

 風の唸り声は朝から弱くならない。最大瞬間風速が17mの南風を15時に記録。横浜市域の強風・波浪注意報はそのままであるが、三浦半島域では波浪警報に切り替わった。
 外の気温は19℃を13時前に超えた。4月中旬並みの気温らしい。
 雨の音はまだ聞こえてこない。夜に降り始める、という予報は今のところあたっている。

 無為の日というとどうしても罪悪感に苛まれてしまう。昔から何かに追われて生きて来た性分なのかもしれない。何か、というのが未だに解らないのだが・・。「無為の日、おおいに結構」という心境にどうしたらなることができるのだろう。


強風・波浪注意報

2022年03月26日 12時46分26秒 | 天気と自然災害

 東北の太平洋岸など全国的に暴風警報や強風注意報が出されている。地震のあった東北では家屋被害の拡大などが心配される。

 横浜市域でも朝から風が強く、強風・波浪注意報が出ている。南風で11時には最大瞬間風速10mを記録しているが、丘の上のわが団地ではそれ以上の風と思われる。風の音が次第に強くなっているのがわかる。
 妻は、午後になって雨が降る前に、ということで11時頃に買い物に出かけた。自転車が風で煽られて苦労していそうである。
 洗濯物が風であおられて飛んでしまいそうなので、慌てて取り込んだ。埃がひどく、洗濯物はもっと早く取り込むべきであった。ベランダの植木鉢や箒の類も風で倒れないように寄せた。
 ベランダにはコブシの花弁が一枚飛び込んで隅っこにへばりついている。まだ白いので、咲いているのが風ではがされたものであろう。
 小鳥の声も聞こえない。小鳥もどこかで身を寄せて風を避けているはずである。


「漢字の成り立ち」 その4

2022年03月25日 22時02分54秒 | 読書

 本日は「漢字の成り立ち」(落合淳思、筑摩選書)の第六章「字義からの字源研究」を読み終えた。
 第四章と第五章で、字音を重視した加藤常賢と藤堂明保、字形を中心とした白川静の功績と問題点を述べ、第六章ではこれまで刑死されてきた字義による字源研究の可能性について言及している。
 字音、字形、字義等々の複合的なアプローチを著者はめざしている。いよいよ明日からは最終章である第七章「最新の成果」を読み始める。
 白川静の字形と祭祀・習俗の推定に基づく論理の飛躍と大胆な仮説、その成果に基づく中国古代と日本の古代の比較の世界を楽しんできた私には、いささか寂しさもある。しかし著者による白川静の研究の問題点については、私も感じていたものばかりで、私にとってはうなづけるものである。新しい成果を踏まえた、現在の地平を垣間見たいものである。

   

 


定点観測のサクラ3態

2022年03月25日 18時45分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 暖かい陽気に誘われて杖を突きながらフラワー緑道の端、一番横浜駅よりまで歩いた。



 カワヅザクラはもう葉っぱが主役になった。蘂もまた美しい。

   

 ヨコハマヒザクラは見ごろの時期を迎えた。本日の陽気に誘われて保育園のこどもも散歩に訪れ、サクラよりも日向ぼっこが楽しいようだ。



 足元のチューリップも花が大きく開いている。ずいぶんと早咲きの種類のように見受けられる。チューリップは雌蕊の形がなんとも不思議な形である。いつも真上から撮りたくなる。



 ユキヤナギも満開の時期を迎えた。ユキヤナギは延び放題の方がいいのだが、都会の中ではどうしても剪定されてしまうのが悲しい。

★雪柳風を貯めつつ風を生む    Fs

      

 住んでいるところの傍の丘の上にはソメイヨシノがある。一分~二分咲きという程度であろうか。ヒザクラを見続けてくるとソメイヨシノのくすんだ白さが地味な花に見えてしまう。
 それが理由なのか、咲き始めよりももう少し全体が開いてくると輝くように見えてくる。その変化が面白いと思う。

★桜咲く朝日が初めにあたる木に    Fs

 


スケジュール帳作成

2022年03月24日 22時30分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は読書タイムは取れなかったが、整形外科でマッサージを受け、今後の指導を受けたのち、有隣堂で新刊本や新刊の雑誌を点検。購入はしなかったが、いくつか気になった本を見つけた。

 帰宅後は4月~6月のスケジュール帳を作成。日付を入れ、当面予定されている日程を書き込んだ。自分でエクセルを使って作成したスケジュール帳、少しずつ改良をして自分なりにずいぶん使いやすくなったと自負している。
 日付を毎年入れなおさなくてはいけないのが面倒である。特に昨年のように「祝日」が政権の都合で右往左往するのは迷惑千万、面倒に拍車をかけられた。

 しかし夕食後しばらくしてから、寒気が始まり、慌てて体温を測った。ところで体温計の表示は35.5℃。私の平熱の下限よりもさらに0.5℃も低かった。15分後に再度測っても少しだけ上がったが、似たような表示。

 寒気は少しは治まったが、今晩も早めの就寝としたい。明日の午前中は近くの脳神経外科で眩暈の原因を探るためのMRA検査。前回MRI検査で問題はないと言われたが、念のためMRAも受けてみることにしていた。予約時間に間に合わせるために、早起きをしなくてはいけない。

 眩暈はさいわいにおさまっている。耳鼻科でもらった眩暈を抑える薬の影響かとと思われた発疹は薬をやめて、抗アレルギー剤と塗り薬で消えかけている。


右膝痛

2022年03月24日 18時05分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩は、小雨の中をいつもよりは早足で歩いた。居酒屋からバス停までとバス停から自宅まで併せて1500歩ほど。しかしこれがいけなかったようだ。
 今朝になって右膝の周囲の筋肉や筋がだいぶ痛くなった。足の曲げ伸ばしもつらくなった。本日の午後はちょうど予約していたリハビリの日。4日ぶりくらいに杖を突いて整形外科まで地下鉄を利用。
 理学療法士からは、右膝の周囲の凝りが強いということで、さまざまなアドバイスや対処方法を教えてもらった。
 早歩きせずに、雨を避けてタクシーを利用すればよかったのだが、油断をしてしまった。

 午前中に受講したオンライン講座は、「世界と日本の美術史」の第1回目。本日はメソポタミヤ文明、ギリシャ先史、中国古代、古代エジプト、ケルト美術、縄文文化の造形のお話。ちょうど甲骨文字についても触れられた。これから月1回で連続10回。

 


雨に降られた

2022年03月23日 23時12分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日、帰宅が21時になってしまった。20時半過ぎに居酒屋を出たときは降っていなかったが、バス停に向かっているうちにぽつぽつ降り出した。小雨だったので気にならなかったが、ダウンコートはそれなりに濡れた。
 しかし思ったよりは寒くはなく、助かった。

 帰宅後、ブログの記事をアップしてから、しばらくパソコンの前でウトウト。本日は久しぶりに1万歩を超えた。今の膝の状況からは歩きすぎだが、痛みはない。これからお風呂で十分に膝の周囲の筋肉をほぐしてから寝る予定。

 明日は10時から美術のオンライン講座。これは長い連続講座の第一回目。毎回二時間たっぷりといことになっいる。途中で寝てしまわないように早めに寝ないといけない。


「漢字の成り立ち」 その3

2022年03月23日 22時09分03秒 | 読書

 本日の午後には「漢字の成り立ち」の第5章を読み終えた。白川静による字形からの字源研究の評価と問題点の整理である。
 白川静の著書にずいぶん親しんだ私が抱いてきた問題点をきちんと整理してくれていると思った。

「漢字は中国の古代文明で作られたものであるから、文字の背後にあった当時の文化を探ることは、字源研究のうえで重要なことである。白川の手法は、漢字の字源について、それまでの研究で見落とされがちだった文化や思想の面からも分析したものであった。白川は字源研究で大きな成果を挙げたのだが、まったく問題がなかったわけではない。むしろ、字音からの事件研究とはまた別の課題が多く残ることになった。特に大きな問題は、呪術儀礼を重視ししすぎたことである。白川は字形からの字源分析法を確立した人物といっても過言ではないが、その白川自身が、字形からの分析よりも呪術儀礼としての解釈を重視して字源研究を行ってしまったのである。‥白川が字源研究をほぼ完了した1980年代以降、中国を中心にして甲骨文字や金文などの資料整理が進められており、それを元にすることでも、白川による字形の解釈や時代関係の分析に不備があったことが判明する。」

「白川は「万葉集」や「古事記」なども研究しており、それによって古代における日本と中国の文化的共通点を見出そうとしたのであるが、文明や社会の状況が違えば思想も異なるはずである。血液や死をケガレとした日本と、定期的に家畜や人間を犠牲してしていた中国では、忌避する対象が同じだったは考えられない。」

 おおむね了解できる白川静の方法に対する評価であると思いながら読んだ。特に文化大革命以降の考古学資料の評価をしながら、1960年代~70年代の資料の再検討は必要だと思った。
 後段も同意できるが、同時に「古代」、「神聖王権」という時代区分が千年の時を隔てても比較出来る場合についてもあり得るのではないか、とも思っている。殷・周の時代と万葉集の時代との比較文明論というのは、前提となるべき諸条件を踏まえれば、方法論としても成り立つと思える。
 白川静の場合、この諸条件の評価を抜きにして比較してしまったことが限界だったと思える。
 私は藤堂明保までの漢字字源研究の硬直した状況に対して、白川静の方法論の自由さと、それを中国と日本の文明比較まで飛躍せしめた自由な飛翔が痛快であった。そのことは否定し去ることはできない。それは白川静の問題点を論理的に批判したとしても、以前として評価すべき地平だと思っている。

   

 


「漢字の成り立ち」 その2

2022年03月22日 21時53分59秒 | 読書

 横浜では16時くらいには2.4℃まで気温が低下、寒い一日であった。寒い中、厚手のセーターを引っ張り出してきた。

   

 「漢字の成り立ち」(落合淳思)の第3章と第4章を読み終わった。第4章は藤堂明保の批判的検討。私は白川静に凝っていたので、白川からする辛辣で、感情的ともいえる藤堂批判は常に目にしていた。
 著者はかなり丁寧に具体的に例を上げながら藤堂批判を展開している。

「(字音を重視した藤堂の字源研究について)字音を反映して字形が作られたものてあっても、作られた後では字形が主体となって意味を伝達する性質のものなのであり、そのため字音は個別に変化してしまうのである。‥字形(視覚情報)を主体として字義(意味情報)が伝達されることが漢字の特徴であるが、これこそが漢字の強味なのである。後代の人々は漢字が作られた時代の発音を知らなかったが、それでも漢字を理解することができた。‥漢字が(言語体系が異なる)東アジアで共通の文字(書き言葉)として機能し続けた要因である。字形に比べて従属的な機能しか持たない字音を重視しすぎたことが(藤堂明保の)失敗だった。」
「藤堂明保の研究方法は、西洋言語学の理論を万能視して「イメージ」で字源を分析しようとしたり、甲骨文字や金文の知識が浅かったしたため、誤解や曲解が多く発生した。」

 私たちの世代にとっては東大教授という肩書のある藤堂明保という人の「説」は中学・高校の教師の金科玉条で「変だ」という意見が出せない「権威」でもあったと当時の高校の国語の教師から教えてもらったことがある。
 しかし藤堂明保が東大全共闘を支持し、封鎖排除に抗議して1970年に教授を辞したときは、さまざまな反応が飛び交った記憶がある。東大闘争時には、「東大という権威」そのものが問われていたが、藤堂明保が封鎖解除に抗議した理由はわからないまま、藤堂明保の名を私は忘れてしまっていた。
 その藤堂明保が白川静の「漢字」(岩波新書)に批判を展開し、白川が辛辣な批判を展開したことを白川の著作で知った。
 そんなことを思い出しながら、藤堂明保が字音によって漢字の起源を探ろうとしていたことをはじめて知った。
 著者の指摘は辛辣であるが、私には的を射ているように思える。

「殷代の発音については、上古音(周代の音韻)が正確に復元され、その上ではじめて検証が可能になる。」

 


塗り薬と抗アレルギー剤

2022年03月22日 14時16分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 冷たい雨が朝から降り続き、とても寒い。横浜の正午の気温が3.2℃となっている。雨に少しだけだが雪が混じっているように見える。

 午前中はいつもかかる内科に併設されている皮膚科で受診。皮膚科の医師からは「薬疹とは断定できない。また感染性のものではない」ということで、抗アレルギー剤と非感染性の皮膚炎用の塗り薬を処方してくれた。原因は特定・断定出来ない、季節の変化にともなう症状、ということくらいしか言えないとのことであった。

 耳鼻科の医師からも感染性のものではないことは言われており、その点では安心したが、原因が特定できない、というのは落ち着かない。もっとも皮膚科でかかる症状やアレルギーではそういうものであるらしい。

 紅斑はしだいに色が薄くなり、いわゆる枯れた状態になってきた。回復過程に入っているように感じている。

 宮城県の大崎市に住んでいる友人に地震のお見舞いはがきを出したら、お礼の電話をわざわざいただいた。携帯電話の番号を失念していて、それも教えてもらった。被害はご自身にも家屋にもなかったとのこと。一安心。本日はとても寒い、とのことであった。
 昨年の地震ではすぐに電話をしたが、かえって面倒をかけるかとおもい、今年はお見舞いのはがきにした。


チャールス・ミンガス「ミンガス・イン・ヨーロッパ」

2022年03月22日 10時00分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 昨日聴いていたジャズはチャールス・ミンガスの「ミンガス・イン・ヨーロッパ」。1964年の録音とのこと。いつ購入したかは覚えていないが、誰かにすすめられた記憶が微かにある。1984年の発売になっているものの、多分1990年以降に購入したのではないだろうか。チャールス・ミンガスのCDはこれしか持っていない。

 初めの曲は「フォーバス知事の寓話」という題名で37分を超える演奏である。解説によると「アーカンソー州リトルロックの白人大学に黒人学生の入学を力ずくで阻止したフォーバス知事への反撃」の曲だそうである。
 しかしその明るく、整った曲調に肩透かしを喰う。もっとも肩透かしはここまで。私は演奏者や作曲者の思想性云々で音楽の価値が変わるとは思っていない。

 コントラバスの音がこんなにも歯切れよく聞こえてくることにはおおいに惹かれた。まだこのCD全体に現代音楽の要素や、和風の旋律などを強く感じてこれも面白いと感じた。器用にいろいろな要素をちりばめてある。そしてベースが大きな顔をして全体を引っ張っていくことは私にとっては新鮮であった。ベースが中心に座っていることに驚いた。
 しかし、それでもこのCDは購入したときに1度聴いただけでご無沙汰してしまった。もう少しスローでしっとりとしてほしいと思ったのだ。
 それだけの理由で好き嫌いを決めてしまうのはもったいないとは思う。幾度も聴くとおのずと気に入るかもしれない。そのうちに誰かの勧めでまた聴きたくなるかもしれない。今回もまた棚に鎮座させておくしかないようだ。

 好き嫌いというものは、この歳になっては、もはや変えられないものばかりが多くなった。好き嫌いを転換できる契機もあまり無くなってきた。そしてどんなものがなぜ好きで、何が理由で嫌いなのか、自分でもわからなくなっている。変えられないものばかりの塊が70年積み重なって持て余している。


ミロ展から 2

2022年03月21日 21時00分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 「ミロ展」でひかれた作品をいくつか取り上げるつもりで延び延びになってしまった。
 この2枚は1917年ジュアン・ミロ(1993-1983)が24歳の作品である。初期の作品である。いろいろと試行錯誤の時代だと思う。
 第二次世界大戦が膠着状態から終焉にいたる時期につくられている。
 私はこの作品が今回展示された初期の作品群の中で一番印象に残っている。ふたつの作品は明るい色調と暗い色調で正反対の印象があるが、共通点がある。構図上もよく似ている。空や雲の配置、うねるような地面や畑の表現と、それらと建物の配置の類似である。
 同時にうねるような土や畑の表現に私は「紫」の効果的な配置がとても気に入った。紫の色はこれ以降の作品からは消えてしまう。少なくとも今回の展示の作品には出てこない。紫の本の少しの色調の違いや黒の縁取りで画面がこんなに明るくも暗くもなるものかと驚いた。
 解説によるとミロは「一枚の草の葉には、一本の木や山と同じだけの魅力がある」と語ったという。ふたつの作品に出てくる緑や黄の微妙な色調の変化もむろん見比べると変化に富んでいて見飽きることがないが、同時に紫の色がそれを引き立てているのに驚く。
 一つの色の配置が作品にさまざまな表情を与えるいい見本のように思えた。使われている色彩は多くはないが、実に豊かな表情に見える。

 


ヨコハマヒザクラが咲いた

2022年03月21日 17時50分40秒 | 山行・旅行・散策

      

 私のヨコハマヒザクラの定点観測としているフラワー緑道の横浜駅寄りの樹、予想に違わず、本日開花した。数輪ではなく数十輪が一斉に開いた。
 花を詳細に比べたわけではないが、カワヅザクラ、オカメザクラ、ヨコハマヒザクラそれぞれに微妙に違うのが面白い。ヨコハマヒザクラは花弁の色に濃淡が少なく、一様であると思った。
 この一角はカワヅザクラ、ヨコハマヒザクラと順に長い間サクラを楽しむことができる。

 本日は横浜駅の往復はバスを利用。しかし横浜駅からここのフラワー緑道の端までは往復とも歩いた。
 本日もゆっくりと横浜駅界隈を杖無しで歩いた。昨日のように少し大股で、お尻と脹脛と太腿の前の筋肉を使い込むように歩いた。
 


サクラ4態

2022年03月20日 21時56分38秒 | 山行・旅行・散策

         

 横浜駅までの道すがら見かけたオカメザクラはすでに散り始め、葉がだいぶ出ていた。オカメザクラはカワヅザクラより花の色が濃く、葉の色も濃いめなので色の対比がよい。
 隣に植わっていたソメイヨシノの幹の下部、株元では幹から直接出た花が1輪開いていた。
 フラワー緑道のカワヅザクラは葉がずいぶん大きくなった。葉の色はまだ透けるほど若い色である。一番横浜駅寄りではヨコハマヒザクラがいまにも開花しそうに赤く膨らんでいた。



 コブシは寂しげに咲いている。