午後、久しぶりに横浜駅まで歩いてみた。以前は早ければ25分でJRの改札口まで歩いた。本日は少し遠回りをして、サクラの花を撮影したこともあるが、1時間以上かけてたどり着いた。
家を出てから急坂を降りるのがコースである。急坂はやはり右膝に痛みが走る。途中で数回立ち止まってお皿の周りをマッサージ。お皿を優しく動かすようにマッサージをすると痛みはひいてくれる。
急坂をおりきって平坦になると痛みはでなくなった。そのままフラワー緑道を歩いてサクラの咲き具合を撮影しながら横浜駅まで歩いた。
横浜駅近くの喫茶店でいつものとおり、コーヒータイムと読書タイム。帰路はバスを利用。歩数は8000歩。
ゆっくりと、少し大股で足とお尻の筋肉を意識して歩いた。前かがみになってちょこちょこと歩くと膝周りに痛みが走る。平坦なところや少し上り坂では快適に歩いた。少しでも下る坂は痛みが走った。帰宅後は湿布薬をたくさん塗り、膝をさすりながら休養。
本日から読み始めたのは「漢字の成り立ち 「説文解字」から最先端の研究まで」(落合淳思、筑摩選書)。
私は白川静の出版物はかなりお世話になった。ほとんどの一般向け著作は読み込むというよりも読み飛ばしてきた。甲骨文字の字形的な解釈に基づく漢字の独創的な解釈と体系化、呪術的な観点からの文明論的な解釈、万葉論などの日本と中国の古代の文化史的な解釈はとても刺激的であった。
ただしいつも不満に思ったのは、考古学的な新しい知見、解釈の考古学的裏付けが希薄に思えた。むろん白川静の研究の時期は中国の文化大革命期でもあり、肝心の中国における研究や考古学的な進展が見られなかった時期に重なっていることは不幸であった。
例えば「章」の字について「入墨のための針である辛(針の形)に、墨だまりを加えたもの」(「」中国古代の文化」第1章)と記している。しかしこのような器具の考古学的裏付けは残念ながら見かけていない。
さらに文字が神聖王権の誕生とともに成立したということについては、なるほどと思う。しかも甲骨文字が成立した古代中国と、万葉の時代との比較文明論はとても刺激的である。しかしその比較をするには、さまざまな前提の検証がされないと一般化するのは難しいのではないか、という違和感はぬぐえなかった。戦争のあり方、祭祀の違い、タブーや穢れの観念の違いなどを無視してはいないか、などの疑問が常に湧いてきた。
白川文字学、漢字体系化からもうかなりの年月が立ち、考古学的な進展も見られるなか、白川静の批判的な継承を求めてこの書物を購入した。
しばし、古代漢字の世界に遊びながら、楽しみたいと思う。
本日は第1章と第2章は漢字の成り立ちの概要である。ここを読み終わった。第3章以降がが楽しみな書物である。
「1980年代以降に研究者が減少し、字源研究についてもほとんど行われなくなった。過去の研究者が権威化したことも研究を妨げる要因であった。‥残された研究者たちも彼らの学説に反駁しにくい状態になった。結果として「漢字の成り立ち」は30年以上も前の古い研究が中心であり、誤解や曲解が多い。」(はじめに)
雨と風が1時間ほど前の22時ころにようやくおさまった。月齢17の立待月ほぼ天頂付近にあって美しい。月に照らされた雲もまた美しい。
明日は気温が少し下がるが午前中は晴の予報。21日の月曜日は雨時々雪の予報になった。来週前半は天気が悪いようだ。
背中の薬疹は少し枯れてきた。しばらくは薬を塗り続けることにした。眩暈の薬は本日の夕方より中止。服用する薬は少ないほうがいいに決まっているが、同時に眩暈への恐怖が蘇ってくる。
本日は通院の行き帰りは杖を突かずに歩いた。急坂を2往復した。脹脛、太腿の前側、おしりの筋肉を意識して、筋肉を鍛えるつもりで力を入れながらゆっくりと歩行。
右膝をかばうために杖を突いて歩いているうちにこれらの筋肉がだいぶ衰えたようだ。膝が少し良くなったという前提で、これから筋肉をつけないといつまでも杖を手放せなくなる。急坂の上までたどり着くと、筋肉が衰えているのがよくわかる。息も切れる。歳をとると筋肉の衰えが早いものである。
じっくりと楽しんだ「万葉読本Ⅱ 万葉の歌びとたち」(中西進、角川選書)を読み終わった。読み終わった、という感覚よりも「読み終わってしまった」という少しがっかりした気分である。中西流万葉の世界に遊んでいたのに、万葉読本Ⅱまでが終わってしまった。残るは万葉読本Ⅲの1冊である。
この万葉読本Ⅱは、女流歌人と柿本人麻呂と山上憶良、不遇であった「王(おおきみ)」たち、そして大伴家持を取り上げている。家持については、私は特に興味がある。
最後の今回は第Ⅳ章とあとがきから。取りあえずいつものとおり覚書として引用。
「家持には「ひとり」が鬱情と結びつく図式があるようで‥連帯する人間存在を欠いた孤独をいっていると見える。‥身辺にみちようとしてまだ平静を保っている親しき人々の凋落のけはいを、敏感に感じとっていた詩人の魂がある。‥詩人には予測される生命感といったものがあるのではないか。‥そうしたことが可能だったのは、正と負の世界をともに見、想念を風景の中に見てしまう彼の詩心があったからである。‥かれの詩性をしてここに到達せしめたものは、彼をとりまく政治情況であった。もっと正しくいえば政治情況の中に感じられる人間関係であった。それは溶暗のほのぐらさの中にあったのだが。」(「大伴家持(二) ――勝宝五年の春」)
「私にとって万葉集の面白さの大半は、人間の面白さだといえる。‥万葉集に限らずすべての文学の面白さはそこに表されいる人物や作者という人間への関心から発している‥。投じよう人物にしても作者の人間性にしても、あまりとりつくろっていない方がいいし、いささか出来の悪い方が、一層面白い。‥やはり人間は愚かしい本姓をさらしているのがいい。こちらも安心して愚かしさをさらけ出していけるからである。」
「ことに万葉集は、多様な人たちが作者として登場する。その多様さとは万葉集の時代が遥かな古代の伝統を宿しながら急激に文化が発達していったという背景に培われたものでもあるし、万葉集の作者たちを画一化する美学的規範を彼らが持っていなかった‥。」(あとがき)
次は最後の「万葉読本Ⅲ 万葉のことばと四季」であるが、もう少し先に読み始めたい。次に読む本は今晩中に決めたい。
本日聴いているCDはマックス・ローチほかの演奏による「WE INSIST! FREEDOM NOW SUITE」という1960年録音のもの。
解説にわかりやすくブラック・パワー運動の歴史が記されている。1963年以降の激しくアメリカを揺さぶった運動である。ただし解説の記事中、キング牧師の有名な“I Have a Dream”のスピーチが行われたワシントン大行進(1963年)の3日前にこの録音が行われた、というのは違うようだ。録音は1960年8月で大行進の3年前である。
1860年のリンカーンの奴隷解放宣言から100周年にも関わらず黒人差別が解消しないアメリカの現状に対して向けられたプロテストソングでもある。
「ジャズとはそもそもプロテストソングである」、と1960年代半ばに中学生になった私は教わったものである。しかし他人事のようにそのことばは私の頭上を通り過ぎていた。1970年以降の学生時代に再びそのように教わったものの、そのころにはこの種のジャズはジャズ喫茶でもあまり聴かなくなっていたと思う。ジャズ喫茶にはずいぶん誘われ、自分からも行ったけれども、静かで孤独な曲ばかりを追いかけていたと思う。
そもそもメッセージ性の強い音楽のプロパガンダ臭が嫌で敬遠してしまっていた。
それがジャズに限って私は惹かれるようになったのが30代末、1980年代末になってからである。もっとも学生時代と同じで静かで孤独なものを中心に聴いていた。
しかし次第に、自分の十代半ばの頃、世界がざわついていた時代の息吹に身を浸すことが多くなったと思う。そのころに購入したCDである。
時代に対して奥手だったのか、音楽に対して奥手だったのか、自分ではわからないが、最近はいつも自問自答を繰り返している。
4週間前に背中が痒くなり、鏡では見えないので妻に診てもらったら小さな赤い発疹があった。そのときは気にもとめなかった。しかしここ3日ほど痒みが増し、妻に再度見てもらったら大きな赤い発疹となっていた。慌てて以前に皮膚科でもらった副腎皮質ホルモン剤を塗った。
4週間前というと眩暈の薬を処方してもらったころである。土曜日なので午前中に眩暈の薬を処方してくれた耳鼻咽喉科・アレルギー科の病院を受診。自宅のすぐ近く。土曜日で患者がいっぱい。1時間を超えて待った。途中いったん帰宅して時間を潰して再度病院へ。月曜も休診なので余計に混んでいたと思われる。
医師の診断では発疹は、1箇所ではなく首筋や腰回りにも小さな赤い発疹があるので、薬疹であることは間違いないだろうということで、薬はとりあえず中止となった。
眩暈の薬単独での薬疹なのか、他の薬との複合作用による薬疹なのかはなんとも判断は出来ないらしい。
人にうつるものではないが、人には見せたくないものである。
さいわい眩暈は2週間前からおさまっている。薬を中止することで症状が再び出ては困る。
とうとう横浜も19時過ぎには4.2℃まで気温が下がった。寒い1日となり、再び部屋でガスのファンヒーターに点火した。
地震のあった福島・宮城の太平洋岸では雪が降っているうえに、暴風警報が出ている。家屋被害のあったかたには厳しい気象状況である。
関東地方では明日は天気が回復して、ふたたび最高気温が18℃となった。昼過ぎの気温で比較すると13℃も上昇することになる。着るものの選択が難しい。本日は厚いダウンコートを着用したが、明日はウィンドブレーカーで十分であろう。
そして午後からは雲が暑くなり、雷雨の可能性があるとのこと。
明日のは出かける予定はないが、せっかく太陽が顔を出してくれるのだから、やはり散歩に出たい。
読書はふたたび「万葉の歌びとたち」(中西進)にもどり、これを読み終えたいものである。
気象庁の画面では、0時の10.4℃が最高気温、最低気温として15時に4.6℃が表示されている。最低気温はまだ下がる可能性が大きい。昨晩はかなり強い雨の音がしていた。朝のうちはほとんど降らず、元気な子どもの声が団地の遊び場からにぎやかに聞こえた。うらやましい限りである。残念ながら予報通り午後から再び雨が強くなってきて、子どもも外に出てこなくなった。
14時近くになって、厚手のダウンコートを着て買い物に出かけた。横浜駅はいつもと変わらない人出。しかし読書タイムに入ったいつもの喫茶店はガラガラ、出入り口からの風が冷たく、寒かった。
昨日に続いて杖無しでゆっくり歩行。昨日は6千余歩、本日は3千余歩と元気な時の1/3から1/6。おしりの筋肉の復活を意識しての歩行。膝は段差のある箇所で痛くなるが、階段の昇降を除けば意識することはかなり少なくなった。しかしまだまだ追い抜かれるばかりで、追い抜くことはない。
明日は終日雨が降るという。しかも北風のため最高気温が横浜では11℃と本日よりも9℃も低い。その最高気温も本日から明日への日付の変わるころの気温で、昼間は10℃に届かないらしい。明日は半袖などでは風邪をひいてしまう。
本日は近くのバス停からいつもの薬局経由で横浜駅まで歩いて、地下街の有隣堂と、駅近くの喫茶での読書タイム。杖を突かずに歩いてみた。むろんゆっくりである。このコースはほぼ平坦で階段もない。横浜駅で地下に行くにはエスカレーターがある。
杖を突かないほうが、足腰の筋肉を使うので、リハビリになる。歩き過ぎなければこのほうがいいのかもしれない。
階段を上ったのは地下街からバス停までの階段だけ。この時は手すりにつかまって昇った。右膝が多少痛かったものの、前を杖を突いた高齢者がゆっくり昇っており、その人に従うようにゆっくりと昇った。
バス停に並んでいる間にお皿の周りをマッサージ。
明日は雨だが、一応買い物に出かける予定。傘を差して横浜駅までバス。薬局には寄る必要はないのでバスにて直行である。歩数は本日よりは少ないはず。
「地球外生命」は全9章のうち5章まで読み終わった。残り4章なので、もう1日伸ばして読み終えてみたい。
今回の地震の報道で気になったことがある。いづれも原発関係の報道である。私の見聞きした範囲が狭くて、すでに詳しく報道されているのなら、問題はないのかもしれないが、気になったことを書いてみる。
まず福島第二原発について、「圧力が低くなっている」という報道があるのだが、何の圧力なのか、どこの圧力なのか、その圧力低下がどのような影響をもたらすのか、という言及がない。私の聴き洩らし、ということなのだろうか。
福島第一原発について「火災報知器がなった」という報道が当初あった。しかし今はそのことの言及がない。誤動作だったのか、誤動作ならばなぜ誤動作となったのか、軽微な出火だったのか、それが軽微だという根拠は何か、だれもが知りたい情報である。まさか東電の情報の垂れ流しでしかなかったのか。
さらに東北電力の女川原発は異常がなかったのか、報道がないように思われる。
ロシア軍によるウクライナの原発への攻撃と破壊で多くの人の関心が原発に向いている。こんな時期だからこそ、きちんと後追いも含めた報道と、電力会社・政府の情報の検証をきちんとしてほしいものである。
横浜は13時過ぎに19.9℃とほぼ20℃になった。ちょうどその時間帯にいつもの薬局に薬を取りに出掛けた。バスを待っている間、あまりに暑いのでウィンドブレーカーを脱ぎ、長袖のシャツを半袖のようにまくり上げたが、それでも暑いと感じた。
薬局で薬をもらってから、フラワー緑道を横浜駅近くまでゆっくりと歩いた。
13日に見たカワヅザクラは若い葉が成長し葉の形をなして緑色が濃くなっている。カワヅザクラは早く咲くことと、鮮やかな色合いがいいのかと思っていたが、それだけではなく、葉の色と花の色の対比が美しいのだということがわかった。陽ざしを受けて花弁も葉も輝いていた。
さらにヨコハマヒザクラの蕾も赤くほどけてきており、いまにも咲きそうな状態になっていた。このヨコハマヒザクラはこの緑道の横浜駅近くには2本だけである。
またコブシが数輪控えめに咲いていた。コブシはこの控えめに咲くことに惹かれる。
家の近くでは、モクレンが溢れんばかりに咲いている。これはこれで見ごたえはあるが、あまり私の好みではない。
ちょうど風呂から出て、寝巻に着替えばかりに揺れ始めた。横浜でも震度4だったが、もっと揺れたような気がする。揺れている時間も長かった。
関東でも、鉄道はほとんど点検のために運転見合わせとなっている模様。高層マンションでは停電。東電の発表では200万戸以上が関東で停電しているとのこと。エレベーター内の閉じ込め、あるいは長周期地震動による家具の転倒などの事故も考えられる。
すぐに11年前の東日本大震災を思い出した。余震は今のところ感じないし、11年前に比べれば、揺れは小さかったのかもしれない。しかし震度5、震度6がこれほど広範囲なので被害は必ず出ている。
夜が明けないと被害の全貌は明らかにならない。被害の小さいことを祈るばかりである。
東北在住の友人が心配である。
午前中は整形外科での理学療法士によるマッサージと体操の指導、午後からはいつもの内科で降圧剤の処方をしてもらい薬局へ。
整形外科では約20分の診療で、質問にきちんと応じてくれるのがありがたい。まだ2回目であるが、こちらの筋肉や関節の状態を丁寧に探ってくれている。
内科には毎日の血圧などの推移表を毎回見せている。本日はその紙をプリンターで打ち出したにもかかわらず、持参するのを忘れてしまった。机の上に出しておいて、出がけにわざわざリュックをもって机の傍まで行きながら、他のことに気を取られて入れ忘れてしまった。しかも玄関で他の忘れ物に気がついてリュックに入れ直したにも関わらず、思い出さなかった。
現役のころのように毎日決まった時間に決まったものを持って出かける、というのではないので、そもそも退職者が出かけるときは忘れ物の頻度は高くなる。
毎日違う時間に、違うものを用意して出かけるのだから、やむを得ないのだが、それにしても用意していたものを忘れるというのはショックは大きい。これが日常茶飯事というのが悲しいのである。
本日薬局では薬が一部揃えられなかったとのこと。明日まで薬局に出向いて残りの分をもらいに行く必要が出来た。特に用事はないし、出かけなくてはいけない理由が出来たということは、うれしい。
平地を歩くときは明日からは杖を突かずに歩いて見たいと思う。階段と急坂の昇り降りは杖なくてはとても無理であるが、平地はなんとかなりそうである。右膝のお皿の周囲がすぐに堅くなってしまうらしい。お皿を少しの間だけでも両手で動かしてみると痛みが出なくなる。これを整形外科で推奨された。急には無理だが、少しずつ馴れることを願っている。