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桜田門外ノ変 (2010/日)(佐藤純彌) 75点

2010-10-22 11:35:14 | 映画遍歴
幕末。特にペリー来航で揺れる日本国の激動を感情をほとんど交えないドキュメンタリータッチで描いた政治劇だ。水戸、彦根等思想的にどちらにも肩入れをしないという姿勢が全編を貫いている。

そのためだろうか、逆に観客の感情面での持って行きようがなくなったのも事実で、僕たちはこの歴史的事件を距離を置いて見ることになる。そこにあるのは、変の直前に脱藩してテロリストにされた集団とそのみじめな逃避行である。正道が一転して逆族になる政治のルール。これを繰り返し、時代は変遷して来たのだ。そんな政治の厳しさを現代に呼び起こし、今の時代だからこそこの映画は輝いている風にも見える。

驚くべきは桜田門の変が惜しみなく映画の最初の方に描かれていることである。雪の決戦。赤い血が白い雪面に散らばっている。残酷だがやはり映画の美がそこにある。また通常のチャンバラでなく、史実に近いと思われる殺戮のぎこちなさまで伝わってくる演出で迫力満点である。これもリアリズムであろう。史実に観客がたまたま遭遇した感が強い。

その後描かれるのは政治の裏切りと悲惨な逃亡劇である。どんな大義名分があろうと、テロリストが政治の表に立つことはないのだ。あるとすればクーデターだけだが、桜田門外の変はそれではない。脱藩していることがすべてを表している。

幕末といえば会津と長州の確執が有名だが、水戸と彦根もそれは存在するのだろう。大老を守れなかった変に遭遇した家来たちは死罪もあったと告げていた。ことの原因は「安政の大獄」に反抗する反動分子の決起という意味合いが大きいはずなのだが、映画ではことさらそれをさらりと描いているだけなので、変の奥にある意図が分かりづらかったのではなかろうか。

ともあれ、この映画は志を遂げた武士たちも、明日は無明。世直しどころか殺人集団として追われる身になってしまうということである。悲惨である。薩摩の裏切りもあり全国散りじりと逃亡するのだが、特に大坂での父子の自刃は見るに堪えないほど哀しいシーンであった。

こういう事件を通して歴史は大きなうねりを過ぎていく。現代の我々も大きな歴史の中ではどんな通過地点なんだろうか、今まさに現代に生きている我々が現代のこの時点を一番分かっていないのではなかろうか。黒船襲来、太平洋戦争勃発という同レベルの危機(両方アメリカ)と対峙した我々の先人たち。これらの史実は今・現代を考えるに一番の教科書ではないか。有意義な映画だと思います。

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