乾いていてそれでいてユーモアとふとした哀しみを感じ取るゆったりとした時間の流れ、、まるでカウリスマキタッチの映画がイスラエルからお目見え。
アラブとイスラエル、言わずと知れた敵対国同士だ。
隊長のまるで硬い表情は国家の象徴か。イケメン隊員のヤング(でもないけど)とは対照的だ。隊長と隊員はおそらく分身的存在なんだろうけれど、アラブ世界を象徴している。対する食堂の女主人とその取り巻きはイスラエルそのものなんだけど、とか、そんな関係性はこの映画では特に考えなくてもいいのではないか、、。
この映画では政治性とか、社会性は一切出てない。
砂漠の真ん中に取り残されたような本来やってはいけない警察の迷子の話である。警察と言えば国家権力の最たるものである。しかし、警察でも音楽隊であり、こういう文化交流があったのかどうかさえも現代では忘れ去られているという、地味な存在である。
国家権力でも、迷子になることはある。しかも、明日も分からない存在になろうとしている音楽隊である。つまはじきされている存在である。だから、簡単に大使館に電話できない。この辺りは何か恐らく深読みしなければならないのであろうが、まあしないでおく。
隊長が自分自身の人生の苦しさを女主人に話すシーン、何気ない二人の顔のやり取りであるが、深い人生を感じてしまう。それは彼女も同じで隊長の代わりに若いイケメンを抱く。それは分身であるからこそ当然の成り行きであろう。
ローラースケート場での若いうぶな二人を取り持つイケメンたち3人のやり取りのとぼけた優しさ、おもしろさ、まさにこれも人生。初々しくていい。
アラブとユダヤなんて関係ない。人と人とのぬくもりが人生のすべてだ、と言いたいようだ。
と、本当に淡い水彩画のようで中を覗くとかなり渋く、深い人生の深淵が見えるようだ。人生って、政治、社会問題いろいろあるけれど、そんなに捨てたもんじゃないでしょう、そんな声が映像の裏側から聞こえてきそうだ。
イスラエル映画、「パラサイトイブ」でまさに自爆という生死と青春を対峙させた直球の秀作映画もあれば、こんな変化球映画もあるんですね。特に、演出的にはヌーボーとした間合いが素晴らしく、拾いものの映画だと思います。
アラブとイスラエル、言わずと知れた敵対国同士だ。
隊長のまるで硬い表情は国家の象徴か。イケメン隊員のヤング(でもないけど)とは対照的だ。隊長と隊員はおそらく分身的存在なんだろうけれど、アラブ世界を象徴している。対する食堂の女主人とその取り巻きはイスラエルそのものなんだけど、とか、そんな関係性はこの映画では特に考えなくてもいいのではないか、、。
この映画では政治性とか、社会性は一切出てない。
砂漠の真ん中に取り残されたような本来やってはいけない警察の迷子の話である。警察と言えば国家権力の最たるものである。しかし、警察でも音楽隊であり、こういう文化交流があったのかどうかさえも現代では忘れ去られているという、地味な存在である。
国家権力でも、迷子になることはある。しかも、明日も分からない存在になろうとしている音楽隊である。つまはじきされている存在である。だから、簡単に大使館に電話できない。この辺りは何か恐らく深読みしなければならないのであろうが、まあしないでおく。
隊長が自分自身の人生の苦しさを女主人に話すシーン、何気ない二人の顔のやり取りであるが、深い人生を感じてしまう。それは彼女も同じで隊長の代わりに若いイケメンを抱く。それは分身であるからこそ当然の成り行きであろう。
ローラースケート場での若いうぶな二人を取り持つイケメンたち3人のやり取りのとぼけた優しさ、おもしろさ、まさにこれも人生。初々しくていい。
アラブとユダヤなんて関係ない。人と人とのぬくもりが人生のすべてだ、と言いたいようだ。
と、本当に淡い水彩画のようで中を覗くとかなり渋く、深い人生の深淵が見えるようだ。人生って、政治、社会問題いろいろあるけれど、そんなに捨てたもんじゃないでしょう、そんな声が映像の裏側から聞こえてきそうだ。
イスラエル映画、「パラサイトイブ」でまさに自爆という生死と青春を対峙させた直球の秀作映画もあれば、こんな変化球映画もあるんですね。特に、演出的にはヌーボーとした間合いが素晴らしく、拾いものの映画だと思います。
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