こういう特異な話っていうのが映画に向いているというか、大森お得意の材料なのである。
冒頭の隣の女の幼児殺しから始まる田舎の出来事がざわざわし不安感をあおる。その騒動にお構いなしに昼間のセックスをしている夫婦がいる。どちらかというと、女上位の体位が続く。その意味を僕たちは後で知ることになるのであるが、、。なかなか斬新な入り方。秀逸だ。
通常の夫婦と思っていた二人だが実はそうではなかった、という設定が重い。というか、それを見つめた映画なのだが、ある事件がきっかけで加害者と被害者とが結びついてしまうその過程を、暗く沈殿した思いを抱きながら観客は見ることになる。
レイプで人生がすべて狂ってしまい、気持ちの持って行きようのない女と、その贖罪を求め求道的とでもいえようか、女に付随して生きようとする男の物語である。普通ではありえない話であります。
セックスから起因する一連の出来事から、夫婦となってセックスの営みをするという矛盾の中で、男と女はお互いずっとその心の闇との闘いに挑んでいるわけである。異常な展開である。女の気持ちは分かる気もするが、男のその求道ぶりが僕には理解できない。
彼一人で女を犯したわけではないのである(こんな言い方をすれば女性たちに怒られるだろうか、、)。他の3人の男どもはいけしゃあしゃあとその事件がなかったかのように日常を生きている。彼一人が人生を捨ててまで女に添え遂げようとしている。そして当然ながら男と女は一緒に日常を生きると愛という幻想さえ抱いてくる。
ここがこの映画のテーマなのであろう。
この究極の愛が重すぎると見たのか、元ラガーマンの週刊誌記者の壊れかけた夫婦と多少対比させてはいるが、書けてはいない。描写が少ない。もっと深く描いてもよかったのではないだろうか。あの抱擁は安直すぎる。
戻るが、やはりあの二人が愛し合うことはできないのではないか。そんな人生を生きて二人に何の意味があるのか。憎しみからは何も生まれない。ましてや愛が生まれるはずもない。体位が正常位に変わろうとも同じだろう。事件を忘れることがあの二人にとって一番必要だと思われるからだ。
でも映画的には面白かった。大森の世界を十分堪能出来た。
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