確かにマイク・ニコルズの「バージニア・ウルフなんかこわくない (作中で素顔で美しいと評判のリズ・テイラーが主演)」、ベルイマンの「秋のソナタ」、日本では向田邦子の「阿修羅のごとく」を足して割るとこういう作品になるのではないかな。
家族って結局血縁関係なんだからきれいごとでは済まされない。どす黒い血の匂いがするまでみんな言ったら引かない。人類って、何十万年も生きてても結局そういうものから逃れることは出来ない。そういう意味ではペシミズムも仕方がない。
僕が驚いたのはアメリカでも家族という血縁関係は日本とそんなに変わらないということなんですよね。もっとサバサバしているか、と思っていた節もあります。でもそうではないんですね。まったくおんなじ。
それにしても豪華な俳優陣ですね。ユアン・マクレガー まで眼鏡でイメチェンして、正統派演技にチャレンジしてる。実質的に主役のジュリア・ロバーツも出演シーンのすべてが安定した心理のない難しい演技を要求されている。そして見事それに応えている。
だいたいがこういう映画、メリル・ストリープ を母親役に設定した時点でどういう映画になるのかファンからは既に分かり切っているのだ。しかし、ジョン・ウェルズは彼女に抑制というものを示唆せず、むしろドラマ的に吠えることを採った。そりゃあ、彼女に吠えさせれば、見事な動物園になりまっせ。
一方、女どもに挟まって男たちの静かな抵抗も結局は実らず不発するのみ。この形式は向田とおんなじです。
夫の静かな自死も真相をすべて知ってしまったら、観客としても、男としてもそれは少々耐えられないなあ。それは妹の旦那も同様で、あれほど立派に見えていて全く同類に見えてしまうのだから何だか男は哀しくなる。原作者のトレイシー・レッツは名前からして男なんだろうが、女っぽいね。自虐的だ。
そう、男の僕からいわせてもらえれば、この映画は不快極まりない。至極キモイ女の映画である。その意味で向田邦子に通じるものある。(向田邦子が嫌いなわけではないんだが、、)
でもこの作品が映画的にかなり秀逸であるのは事実であるし、実に面白かったと恥ずかしながら告白せざるを得ないだろう。
この作品を「めぐりあう時間たち(バージニア・ウルフが主役)」のスティーヴン・ダルドリーが撮ればまた違った映画になったような気もする。もっと醒めた感覚の映画を作ったのではないか、と思う。いわゆる男ももっとちゃんと描いてくれる作品になったのではないか、と思う。
でもたまにアメリカ映画のこんなシリアスな映画を見ること自体希有なのだから、この作品に出合えて良しとしよう。実に秀作です。
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