
まあ題名でヒットラー暗殺未遂事件の顛末を描いたものであることは明白なのだが、これをやってのけたのが市井の一家具職人だったということがミソですね。実際他にもいたらしいですが、彼らはすべて組織立ってますからねえ。
普通の人間が、人間が生きてゆく上で障害となるべき存在を抹殺することの意味、実行してそもそも何が悪いのか、そういうことを一人の普通のどこにでもいる人間の眼から問いかけている映画です。
ヒトラーは単独犯であることを信じず、組織をあぶり出し見せしめにするために、彼を拷問にかけ、そしてそれは終戦年まで続き、彼は独房に閉じ込められることになる。即銃殺しなかったのが何となく不思議ですが、、。
冒頭のビヤホールでの演説会におけるジークハイルの不気味さ。大衆が全員それを行っている中で彼一人がただ呆然となっている表情。それはある意味、現代のどこかで進められている状況をも暗示しているような気がしてならない。
そんな中でも、取調室で彼とフラットに対応する秘書の女性、ヒトラーの直接の部下でありながら、反ヒットラーに転じたネーベなどは、ドイツの良心の呵責として表現されており、現在の微妙なドイツ感情を示している。
市井の人間が市井の人間を何人か巻き込んでテロを実施した。それがためというのでもないのだろうが、彼は戦後70年たっても復権しなかったそうだ。
何の特権階級でもなく、学識があったわけでもない普通の人間が、まっとうでない生き方を強制する者たちをいくら非合法とはいえ排除しようとしたことを、今まで70年も抹殺してきた歴史観。
考えさせられる映画である。そういう意味でも映画は強いと思うのである。
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