見てみるととてもいい映画だ。黒澤の「生きる」の現代版ではあるが、なかなかいい。
何かを求めて生きてきた青年が、夢破れ、淡々と日常を過ごしている。こういう若者は現代に多いはず。そういう意味でも親近感はある。その彼が突然癌で余命3か月と告げられる。
もしそれが自分自身だったら、さて、みんな、どうする? という映画である。
宏はあまりわめくことも、苦悩することもなくただ時間が過ぎる。入院しているのも時間が過ぎてその流れに乗っただけのようだ。だから抗がん剤治療で副作用が来るとすぐ病院から逃げ去る。
そう、ぼくもそうするだろうなあという展開である。うまい演出である。宏の心情はあまりセリフで吐露することがないので、観客は逆に宏の心情を背負うことになる。気がつくと一つになっているのである。同化しているのである。
させそれからは観客たる僕自身が宏に乗り移り、残り少ない生を生きることになる。今までの28年は何だったのだろう、という気持ちもなくなり、ただただ生きる。
とはいってもまだ死と生を交互に実感しているだけだ。時間は過ぎゆく。そして病院で人生の縮図を垣間見る。まだ幼い子供が死んでゆく。昨日まで声をかけてくれていた子供が死に今はこの世にいない。その理不尽。
宏はトイレにピエタを描き続ける。28年で初めて生を感じた瞬間だった。
親近感のある映画でしたね。生と死の手触り感もやさしい。この映画を見ると生きるということの感触が本当に愛おしく感じられます。
意外な秀作でした。
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