珍しいトルコ映画。そしてカンヌパルムドールだという。でも最近のカンヌは信用できない映画が多いが、本作品はトルコ映画だけにひょっとしたら、と期待に胸ふくらませる、、。
うーん、そして最初の数分間を見ただけで、この映画が秀作だと言うことがわかる。トルコ映画にしては実に文学的で、何か一冊の本を読んだ読後感も生じる。そこにはベルイマンらしきものもあり(ある結婚の風景 )、何か懐かしい。
実に長い作品であるが、まあ退屈はしない。しかし、アイドゥン夫妻のどうしようもない会話。出戻りの妹とアイドゥンとのむなしい会話。そして大多数のトルコ人の実態でもあるのだろうイスマイル家の生活。そして彼らとの関わり。うまいなあ。映画的である。
この映画は会話が中心を構成する作品なのであるが、饒舌というか、同じことを繰り返し執拗にしゃべるなど、まさに我々が日常においてよく会話する、あの感じをそのまま映画に再現させる。
普通の作品だったら、もう少し脚本段階で煮詰めるものなのだが、ジェイランは生身の人間の姿を追い詰める。そこにはきれいごとはこれっきしもない。人間の本源的ないやらしさをどんどんクローズアップしてゆく。こわい。
私のような人生の大半をただずるく逃げて夫婦生活を送ってきた人間には、この映像はもうナマ過ぎて、もう目を覆い隠したいぐらい、きつい。
若い時には人生の真実を僕も知りたいと思ってはいたものの、いつからかもう流している。だからこの映画は、この映画に出てくる会話という会話は不快でさえある。見たくないものを3時間見る苦痛。まさにベルイマン的なのである。
でもそれがいいのだ。久しぶりに映画作家の作品を見た感もある。映像は決まっており、ドラマ的にも十分高まる。パルムドールとして最近では圧倒的な作品だろう。
途中出てくる日本人夫妻とパックパッカーの旅人たちが何気なく色を添えていて実に面白かった。世捨て人のような主人公も心を開けるのは旅人だけなのだろう。一瞬の邂逅には責任が伴わない、、。
今年の洋画では出色の映画でしょう。3時間はでもやはり僕には長かったなあ。
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