出演者が出演するかどうか未定、というのも村上が手紙を送って出演を依頼する。それを受けるかどうかは当日になって初めてわかる。
ということは出演者不在のまま演劇は行われることになる。観客は、つまりぼくは今回でも12,3人中、4,5人の出演者不在のまま舞台を見ていることになる。
こんな演劇って初めてである。4バージョンあって、僕が見たのは記録編。
あらゆる記録装置を舞台に持ち込み、現場の一回性とその記録によって生まれるもう一つの時間軸を内包させたまま上演は展開する、という展開。要するにダブルで演劇は行われている。
だから、出演者不在のときでも、記録部隊が舞台で作業をしているので特に不在という感覚は持つことはない。
これはどういうか、演劇というより、何か美術のアンデパンダン展示を舞台で見ているような感覚でもある。美術展で、空間を利用した大きな作品を見ているような、、。
まあ、僕が見たのは出演者不在の時でも、もう一方では記録という舞台を見ているわけで、出演者不在というのはなかった。でも他のバージョンだったらそうはいかないだろうなあ、、。
演劇の可能性を考えるには面白い出し物だが、こういったものもたまにはいいけど、やはり僕にはオーソドックスな演劇がいいかな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます