うーん、こういうカルト的スプラッター映画はホント久しぶり。あっという間の2時間半。でも、解体シーンも3回目辺りは馴らされて来て【園子温】のブラックに十分嵌まっていることに気づく。
この映画は悪という概念を突き抜けてまさに人間の本来の闇を見せつける。日ごろそんなのは狂気の人間の為せる技よ、と言いつつ、自分がすぐその悪に慣れ親しんでいることに気づく人間の弱さよ。そう、実は人間こそが一番残酷で、一番獰猛で、一番イカレテイル動物なのだ、と、、。
だからこそ、人間は神を生じさせたのではなかったか、と帰りの打ちひしがれた観客の様相を見て想う。
もう、この映画に出演した俳優たちの並大抵ではない演技を超えた演技は筆舌に尽くし難いが、これこそ狂気の渦に入った現場でこそ生み出されたものだろう。その集中心は演出を始めスタッフがすべて一つに交わり、ぐつぐつ煮つめ生じせしめたのだと思う。
この映画のすごさは、見た人にしか分からない。それほどド迫力がありすぎる映画だが、それでも粗が結構あり、それが終わってから気になりました。
まず、村田が何故社本を必要としたのが結局僕には分からなかったこと。明らかに社本は要するにヒッチコック風捲き込まれ型だから、村田の意思が必要ではないのか。外国であれば性的なものが介入するのであるが、、。
次は死体処理場となる教会の設定である。3度目の面ではキリスト像が引き下ろされていて、しかしまた再度高く掲げられていた。これに映画的意味はあるのか?
次に、警察の存在があまりに軽すぎることでしょうか。途中の無謀な追跡シーンは置いといても、ラストのあの不存在はいかにもこの作品の価値を左右過ぎるぐらいの投げ方だと思います。何故警察が妻、娘を連れてきたのかも皆目分からず意味不明が残る。
投げたと言えば、社本が最後フツウに自殺するのがやはり解せない。これじゃ最後にこの映画を投げたと言っても仕方がないのではないか。あそこは、狂人になっても生かさせようよ、、。この作品のラストの求心力が失ってしまうような気がする。
でも、今これを書いていて、あの、村田の妻が人を愛してしまっていることに気づくシーンはやはり怖いよね。これは【園子音】が意図したものかどうかは分からないほどの【黒沢あすか】の怪演ぶりだったが、 この映画では、あってはいけない愛の情念ではないだろうか、、。そうこの映画では愛は余計だ。
この、愛のドロドロシーンは超昔に見た『女殺し油地獄』を連想しちゃいました。確か10歳ぐらいでこの映画を見た僕は、それから不幸な人生を送っているのです。
まあ、いいも悪いも後々印象に残る映画でしょう。でも、この映画をやり遂げた【園子音】には多いに拍手を送りたい。そんな明るい映画でもあります。
この映画は悪という概念を突き抜けてまさに人間の本来の闇を見せつける。日ごろそんなのは狂気の人間の為せる技よ、と言いつつ、自分がすぐその悪に慣れ親しんでいることに気づく人間の弱さよ。そう、実は人間こそが一番残酷で、一番獰猛で、一番イカレテイル動物なのだ、と、、。
だからこそ、人間は神を生じさせたのではなかったか、と帰りの打ちひしがれた観客の様相を見て想う。
もう、この映画に出演した俳優たちの並大抵ではない演技を超えた演技は筆舌に尽くし難いが、これこそ狂気の渦に入った現場でこそ生み出されたものだろう。その集中心は演出を始めスタッフがすべて一つに交わり、ぐつぐつ煮つめ生じせしめたのだと思う。
この映画のすごさは、見た人にしか分からない。それほどド迫力がありすぎる映画だが、それでも粗が結構あり、それが終わってから気になりました。
まず、村田が何故社本を必要としたのが結局僕には分からなかったこと。明らかに社本は要するにヒッチコック風捲き込まれ型だから、村田の意思が必要ではないのか。外国であれば性的なものが介入するのであるが、、。
次は死体処理場となる教会の設定である。3度目の面ではキリスト像が引き下ろされていて、しかしまた再度高く掲げられていた。これに映画的意味はあるのか?
次に、警察の存在があまりに軽すぎることでしょうか。途中の無謀な追跡シーンは置いといても、ラストのあの不存在はいかにもこの作品の価値を左右過ぎるぐらいの投げ方だと思います。何故警察が妻、娘を連れてきたのかも皆目分からず意味不明が残る。
投げたと言えば、社本が最後フツウに自殺するのがやはり解せない。これじゃ最後にこの映画を投げたと言っても仕方がないのではないか。あそこは、狂人になっても生かさせようよ、、。この作品のラストの求心力が失ってしまうような気がする。
でも、今これを書いていて、あの、村田の妻が人を愛してしまっていることに気づくシーンはやはり怖いよね。これは【園子音】が意図したものかどうかは分からないほどの【黒沢あすか】の怪演ぶりだったが、 この映画では、あってはいけない愛の情念ではないだろうか、、。そうこの映画では愛は余計だ。
この、愛のドロドロシーンは超昔に見た『女殺し油地獄』を連想しちゃいました。確か10歳ぐらいでこの映画を見た僕は、それから不幸な人生を送っているのです。
まあ、いいも悪いも後々印象に残る映画でしょう。でも、この映画をやり遂げた【園子音】には多いに拍手を送りたい。そんな明るい映画でもあります。
いよいよ季節が春に向かおうとしているようです。相変わらず朝夕の気温は低いですが、それでも春の匂いはします。いかがお過ごしですか?
最近、一日で一本の日が続いているんですよ。これはここ5,6年ではなかったことで、自分でも驚いています。多い時にははしごで5本を見た時もあったぐらいなのに、、。
ちょっと体のため運動もしたほうがいいと思い、なるべく映画を見た後歩くことに頑張っていると、時間調整がうまくいかなくて、いつもの時間が(ウインドウ)ショッピングなどに変わっています。このままだと、年間100本がやっとでしょうか、、。
それはそうと、この映画は見て多少時間がたつのにまだ余韻が残っています。
普通の生活をしていた人間がふとしたことで非日常空間にはまり込み、しかも自ら死を選んでしまうのですから、異常以外の何物でもありません。
でも人生って、そんなものなのかも、、。他人事だと思っていたことが自分に多い被ると、初めて人はなぜ自分がこんなことに、とおののく。
それはそうと、この映画、ラスト近くは監督の息切れが聞こえてきそうな展開でした。娘の性格付けがちょっと曖昧だったような気がしましたが、、。きらり+さまはガンガン映画を見てくださいね。
それでは、また。
「生きるって、痛ぇんだよ!」と言って頚動脈を突き刺したのは、まあそれを身をもって示したということなんでしょうね。
そうまでしても結局娘には伝わらなかった訳だけど・・
東京には通算20年ほどいたのでよく分かります。あの大きな劇場は時々満席になるんですよね。でも、あの映画で立ち見はちときつかったのでは。お察しします。
僕はいろいろ粗探しをしちゃいましたけれど、園はそんなこと分かってるんでしょうね。人間がどんなことにも平気になれるサガを持っているというのは、この映画を見た全員が感じるものじゃないでしょうか、、。
結構彼の作品は昔から見てます。そういえば彼の僕の初めての作品「夢の中へ」もテアトルでした。またお越しくださいませ。
では、また。
場内は満席で、立ち見の方も多かったですね。
この残虐性を笑うしかない状態としてとらえなければならない「現実」が恐ろしいですね。
人はこれを「悪」と呼ぶのでしょうか?
「悪」を「悪」と言えない良心の失墜が現実を蜂起させているような気がしますね。