映像がダイナミック。構図が優れているし、クローズアップの連続も面白い。激動の時代、世相、心理を表すのに十分な脇固めが出来ている。全体の映像の配分も計算されすぎているぐらい巧妙だ。だが、、、
クイズを回答する時に自分史を辿って行く。回答と自分史との結合。そんなラッキーがあるわけないじゃん、といってしまえばその時点でこの映画の大切なハートをつかみそこなってしまうであろう。この映画のキーはここにある。
一つの寓話なのである。いわば現実からは逃避したところに位置した映画であるともいえる。そんな、やさしい小世界の話なのである。
この映画で面白いと僕をうならせたのは、兄弟のある特殊な世界である。僕にも弟がいる。年は2つ離れているから映画と同じようなものだ。いい遊び仲間でもあるけれどライバルでもあるわけだ。
だから冒頭の、弟をトイレに閉じ込めて(完全にイジメだが)一人遊ぼうとする兄も気持ちは分かる。一つの食べ物も分けなければならない。着るものもお下がりを最初から期待させられていつもお揃いの同じ服。これって結構厭なんだよね。友達が来ても弟を放って置けない。弟が邪魔だ。
トイレのシーンが後々印象に残る。この映画の中でも一番秀逸なシーンだ。特に糞だらけで相当な臭気もあるはずなのにたっぷり糞のついたサイン紙をちゃんと受け取ってあげたあのスターは本当にいい奴。
そんな関係の兄弟で、好きな女の子が弟のほうを向いていたら、、。その感覚がこの映画ではよく出ていましたね。でもやはり兄弟。僕も恐らく映画のように携帯を彼女に託すだろうなあ、と思う。ここは感動的。
ハナシ全体は、少年の成長に合わせた自分史映画なので、それ以上のダイナミズムをこの映画に求めるのは無理かもしれないが、社会情勢、教育、宗教、身分制度等ちくちく刺し込んではいるが、それは抉り取るほどの深さはない。むしろそれらを映画的装飾にしているような錯覚さえ覚える作り方だ。
そう、この映画は問題提起に近い手法は採っているが、そこから何かが変わってしまうような激流にはなり得ない尺度の狭さは感じられる。インドの現実でさえ見世物にしている、まるで観客が映画の中の純真なアメリカ人夫婦のごとく見立てられているのである。
別に僕はそのことでこの映画を批判しているのではない。本当に少年の、恐らく二十歳ごろまでの自己成長映画であるので、視野を大きくするとまた違った映画になってしまう危険性もある。ただ、この映画を見て社会制度の矛盾、大人社会の不合理さ等を感じる人がいたら不幸かなと思うだけである。
この映画を見て日本にいてよかったなど思うような感想をただ聞きたくないだけなのである。この実際の貧困の現実は日本にだって浸透している。今や、若い世代が食物を欲するがゆえにコンビニ強盗をしてしまう時代ではないか。毎日毎日が一寸先は闇ではないのか。
少し前になるが、子供たちが捨てられ逆に子供たちが大人たちに最後に絶望する(見捨てる)『誰も知らない』、朝鮮人の、それこそ這い上がるためには泥水でも飲まなければならない生活をダイナミックに描いた『血と骨』、民族問題の不可侵『パッチギ』などで、日本の底流に流れる現実は厭と言うほど僕たちは見させられているのである。
スマートで、チャーミングな映画である。颯爽感がある。心地よい。そして意外なアメリカ的ハッピーエンド。やはり、『トレインスポッティング』の焼き直しかなあと思う。トイレの汚物まみれが西洋式、原始インド式の違いはあれどここに拘っているのがいかにも【ボイル】らしい。
楽しく、すこぶる秀逸な映像で映画の本来の楽しみを再認識させてくれた秀作であるけれども、僕の臓器をくすぐるまでは行かなかったのは事実。ひょっとしたら若い方との感覚が相当ずれ始めているのかもしれないかなあとも思う。それとも期待し過ぎたからだろうか、、、。
クイズを回答する時に自分史を辿って行く。回答と自分史との結合。そんなラッキーがあるわけないじゃん、といってしまえばその時点でこの映画の大切なハートをつかみそこなってしまうであろう。この映画のキーはここにある。
一つの寓話なのである。いわば現実からは逃避したところに位置した映画であるともいえる。そんな、やさしい小世界の話なのである。
この映画で面白いと僕をうならせたのは、兄弟のある特殊な世界である。僕にも弟がいる。年は2つ離れているから映画と同じようなものだ。いい遊び仲間でもあるけれどライバルでもあるわけだ。
だから冒頭の、弟をトイレに閉じ込めて(完全にイジメだが)一人遊ぼうとする兄も気持ちは分かる。一つの食べ物も分けなければならない。着るものもお下がりを最初から期待させられていつもお揃いの同じ服。これって結構厭なんだよね。友達が来ても弟を放って置けない。弟が邪魔だ。
トイレのシーンが後々印象に残る。この映画の中でも一番秀逸なシーンだ。特に糞だらけで相当な臭気もあるはずなのにたっぷり糞のついたサイン紙をちゃんと受け取ってあげたあのスターは本当にいい奴。
そんな関係の兄弟で、好きな女の子が弟のほうを向いていたら、、。その感覚がこの映画ではよく出ていましたね。でもやはり兄弟。僕も恐らく映画のように携帯を彼女に託すだろうなあ、と思う。ここは感動的。
ハナシ全体は、少年の成長に合わせた自分史映画なので、それ以上のダイナミズムをこの映画に求めるのは無理かもしれないが、社会情勢、教育、宗教、身分制度等ちくちく刺し込んではいるが、それは抉り取るほどの深さはない。むしろそれらを映画的装飾にしているような錯覚さえ覚える作り方だ。
そう、この映画は問題提起に近い手法は採っているが、そこから何かが変わってしまうような激流にはなり得ない尺度の狭さは感じられる。インドの現実でさえ見世物にしている、まるで観客が映画の中の純真なアメリカ人夫婦のごとく見立てられているのである。
別に僕はそのことでこの映画を批判しているのではない。本当に少年の、恐らく二十歳ごろまでの自己成長映画であるので、視野を大きくするとまた違った映画になってしまう危険性もある。ただ、この映画を見て社会制度の矛盾、大人社会の不合理さ等を感じる人がいたら不幸かなと思うだけである。
この映画を見て日本にいてよかったなど思うような感想をただ聞きたくないだけなのである。この実際の貧困の現実は日本にだって浸透している。今や、若い世代が食物を欲するがゆえにコンビニ強盗をしてしまう時代ではないか。毎日毎日が一寸先は闇ではないのか。
少し前になるが、子供たちが捨てられ逆に子供たちが大人たちに最後に絶望する(見捨てる)『誰も知らない』、朝鮮人の、それこそ這い上がるためには泥水でも飲まなければならない生活をダイナミックに描いた『血と骨』、民族問題の不可侵『パッチギ』などで、日本の底流に流れる現実は厭と言うほど僕たちは見させられているのである。
スマートで、チャーミングな映画である。颯爽感がある。心地よい。そして意外なアメリカ的ハッピーエンド。やはり、『トレインスポッティング』の焼き直しかなあと思う。トイレの汚物まみれが西洋式、原始インド式の違いはあれどここに拘っているのがいかにも【ボイル】らしい。
楽しく、すこぶる秀逸な映像で映画の本来の楽しみを再認識させてくれた秀作であるけれども、僕の臓器をくすぐるまでは行かなかったのは事実。ひょっとしたら若い方との感覚が相当ずれ始めているのかもしれないかなあとも思う。それとも期待し過ぎたからだろうか、、、。
いま、ヌートリアEさんのレビューを拝読しました。
>一つの寓話なのである。
なるほど、そういうことなんですね。納得できます。
ヌートリアEさんの鋭い鑑賞眼に敬服しました。やはり、沢山の映画を観て居られるからだと思います。勉強させて頂きました。ありがとうございました。