昔だったらゴマンとあった貧乏映画が現代では逆光のようにまばゆいから不思議です。東亜優が現実を静かに受け入れていく姿勢が感動を呼ぶのかなあ。
対照的にその現実を呪いただ逃避している兄に対してそれさえ受け入れていく少女。不思議な優しいおばさんが新興宗教のただのゼニゲバだったり、世の中の悪臭を一手引き受けざるを得ない生活の中で、彼女はただ生き続ける。
少女にとって安心できる巣である文化住宅は相変わらずジコチューの父親により炎と化し、まさに赤い文化住宅になってしまうが、それはささやかないでたちのときの恩賞であったのだろう。
少女にはモノではなく恐らく世界中の誰より素敵なキスで彼女の茨の青春を祝福してくれるヒトがいる。それ以上の至福があろうか、、。
筆で言えば薄い墨で書いたような映像詩にしっかりと確かな青春がそこにはある。そう、世の中はきれいそうで見えていて実は汚辱にまみれており、息さえ出来ぬほどの悪臭が立ち込めているのであります。それを吸い込んでただ枯れなければいいのであります。ましてやあくどい花弁になる必要もない。ただ、単純に命の営み、すなわちそこにある日常を生きていけばいいのだ。少女の嫌いな「赤毛のアン」を携えて、、。
現実を直視し、きびしくたまらない映像ではあるが、全体に詩情があるのがこの映画の上等なところだ。まさに秀作といわれるすべての要素があります。
対照的にその現実を呪いただ逃避している兄に対してそれさえ受け入れていく少女。不思議な優しいおばさんが新興宗教のただのゼニゲバだったり、世の中の悪臭を一手引き受けざるを得ない生活の中で、彼女はただ生き続ける。
少女にとって安心できる巣である文化住宅は相変わらずジコチューの父親により炎と化し、まさに赤い文化住宅になってしまうが、それはささやかないでたちのときの恩賞であったのだろう。
少女にはモノではなく恐らく世界中の誰より素敵なキスで彼女の茨の青春を祝福してくれるヒトがいる。それ以上の至福があろうか、、。
筆で言えば薄い墨で書いたような映像詩にしっかりと確かな青春がそこにはある。そう、世の中はきれいそうで見えていて実は汚辱にまみれており、息さえ出来ぬほどの悪臭が立ち込めているのであります。それを吸い込んでただ枯れなければいいのであります。ましてやあくどい花弁になる必要もない。ただ、単純に命の営み、すなわちそこにある日常を生きていけばいいのだ。少女の嫌いな「赤毛のアン」を携えて、、。
現実を直視し、きびしくたまらない映像ではあるが、全体に詩情があるのがこの映画の上等なところだ。まさに秀作といわれるすべての要素があります。
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