冒頭の横顔から入る映像が人間の孤独を深く追う。すーと感情移入できる出だし。なかなかいい。心地よい予感。
アンヌは介護をしていた実母を亡くす。夫とはもうかなり前に離婚したようだ。母親の葬式でも子供たちは寒い家の外に置き去りにされている。親族とさえ孤立している映像がつらい彼女の心境を物語る。この映画は孤独の話だ。
電話が入る。新しい就職先だ。パリである。最初あまり乗り気がしなかったが子供たちが特にノンとも言わないのでそれは新たな、かすかな希望へと変わる。それは何十年彼女になかったものだ。
パリに入る。空港で荷物を受け取る。エトランゼである。彼女の孤独は消えることはない。
新たな介護者はブルジョアの老女だ。同じ故郷を持ちながら断然たる差。心どころか彼女の存在そのものを拒否する。一瞬にして淡い希望が消える。
それでも我慢して仕事と割り切り、老女に仕えるパリの日々。
ジャンヌ・モローが圧巻である。女優になりたくて歌まで歌ったこともあるが、結局はなれずじまいだったとか。彼女の経歴を知っているだけに少々お茶目なシーンでもある。
モローは老醜さえ感じられる年齢になっているが、女優としてのたたずまいはまだ一流である。息子ほどの男とベッドに並び、服の上からだとはいえ男性器を触る仕種もショッキングだが、濃密な演技は相変わらず達者である。はっとさせる。
エストニアという国がどういう国か僕にははっきり分らないが、フランスから見れば小国なのだろう。祖国を捨て自由奔放に生きた女性とただただ人生の半分を生活の犠牲にした女性。けれど孤独という器の中では彼女たちは同じ色を持ち、一心同体でもあった。
エッフェル塔の観光客でにぎわう昼と一人ぼっちの明け方との対比の描写も優れている。
エトランゼという言葉が何故かこの映画を見ていて心に響いた。この映画、主題は他国で生きることの孤独を描いていたような気がするなあ。僕はかなりのめり込めた。
観客のほとんどは中年以上の女性たちだったが、彼女たちは何を感じたか。多少興味のあるところでございます。
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