文革後のひとびとの暮らし、営みを大河のようにじっくりと描く中国映画の真骨頂。スタイルとしては特に新しいわけではなく、どこか中国というより台湾映画のタッチを感じるセンスを持っている。茫々とした人生の流れ、よどみもあれば急流もある。そんな当たり前のごく普通の人々をカメラに収めている。
3人の子供をそれぞれパート別に描き、それぞれが輻輳していく演出方法は、散文的でそれぞれの心情が観客に沁み渡り的確だ。最初のパート、羽ばたきたくて仕方がない長女の空への思い、青春そのものの悲しさを十分窺わせ素晴らしい。
生まれた所からどこにも行けなく、気持ちだけは遠くへ行きたいという思いは誰にでも経験のあるところ。そんな、自由への憧れを大きな青空、また青い落下傘をこぐ自転車に託す長女。しかし解放されない感性は彼女を自堕落な日常へと埋没させる。そんな不確かな青春の一ページを切り取りこのパートは特に秀逸だ。
少々脳性まひ気味の長兄、姉思いの次男も障碍はあろうと、それでもそれぞれ自分の人生を生きていく。生きていけば何とか人生は開けるものなのだと映像は語らってくれる。
ラスト、それぞれの3家族の、動物園で孔雀を見ようとして結局みんな孔雀の開いたところを見れず立ち去っていくところで映画は終わるが、みんながいなくなった後で映像はじれさせながらやっと開く孔雀を観客だけには見せるのである。
皮肉いっぱいの映像とも取れるが、人生ってそんなものでしょう。思いどおりにならなくても人は生きてはいけるのであります。大河であれ小川であれそれぞれたゆまない流れはあります。また、それに伴う歳月も、、。いい映画です。
3人の子供をそれぞれパート別に描き、それぞれが輻輳していく演出方法は、散文的でそれぞれの心情が観客に沁み渡り的確だ。最初のパート、羽ばたきたくて仕方がない長女の空への思い、青春そのものの悲しさを十分窺わせ素晴らしい。
生まれた所からどこにも行けなく、気持ちだけは遠くへ行きたいという思いは誰にでも経験のあるところ。そんな、自由への憧れを大きな青空、また青い落下傘をこぐ自転車に託す長女。しかし解放されない感性は彼女を自堕落な日常へと埋没させる。そんな不確かな青春の一ページを切り取りこのパートは特に秀逸だ。
少々脳性まひ気味の長兄、姉思いの次男も障碍はあろうと、それでもそれぞれ自分の人生を生きていく。生きていけば何とか人生は開けるものなのだと映像は語らってくれる。
ラスト、それぞれの3家族の、動物園で孔雀を見ようとして結局みんな孔雀の開いたところを見れず立ち去っていくところで映画は終わるが、みんながいなくなった後で映像はじれさせながらやっと開く孔雀を観客だけには見せるのである。
皮肉いっぱいの映像とも取れるが、人生ってそんなものでしょう。思いどおりにならなくても人は生きてはいけるのであります。大河であれ小川であれそれぞれたゆまない流れはあります。また、それに伴う歳月も、、。いい映画です。
このコメントでぜひ観たくなりました。
頑張っても報われない事の方が多いのが人生と思えるお年頃ですので(笑)地味ながらもこういう内容の静かな訴えにかえって感動を覚えるのです。
余談ですが、孔雀には子供の頃に苦い思い出がありまして、
手に持ったおにぎりを狙われ襲われそうになった事がありました。『孔雀っておにぎりを食べるんかい、ひぃ~』
大河であれ小川であれそれぞれたゆまない流れはあります。また、それに伴う歳月も、、。
良いですねぇ~琴線にふれるような気がしました。
以前、BSで撮りだめしていたのを何とはなしに見たのです。2時間を越えていたというのも見終わってから気づいたことで、いい映画というものは時間が気にならないんですね。
劇場で見たわけでもないのにこの映画はとても余韻が残ります。中国と日本とは20年ぐらい時代がずれているような気がします。
この映画は1970年代を想定しているようなので、日本では1950年代ぐらいということになります。
まだまだ家にはクーラーもなく、冬には火鉢というもので暖を取っていて、でも家族はそう裕福でもなかったのですが、兄弟で唱歌を歌ったり、何かこの映画から感じ取るところは多いです。
勿論僕の家庭では子供たちが唱歌を歌うなんてことはなく、それぞれが部屋で音楽を鳴らしているのを聞こえてくるばかりです。これも歳月なんですよ。
では、また。