こういう映画って、いつも言ってるけど評価に困る。歴史に埋もれた事実が圧倒的過ぎて、映画そのものより、この事実に対峙する勇気を観客はそれぞれ保持しなければならないのだ。
けれどこの、目の前に繰り広げられる大虐殺はただ単にカメラを回すだけではない。モノクロで遠景を意識した芸術写真風映像、ワンシーンワンカットの多用で,まるでヨーロッパの映画作家の面影まで感じさせるほどだ。
そう、オ・ミョルは事実をしっかり見てほしいという究極の目的のために、観客に2時間見させる細工(媚び)をしているのだ。
その結果、観客としては多少楽にはなっているが、それでも「アカ」だのという表現は時々散見されるが、ラストまで政治状況が全く説明されないまま観客は悲惨な映像を見続けることになる。(この映画を見る人はある程度知識があるということが前提のように)
日本に密航して来たほとんどの朝鮮人が済州島からであることはかすかに記憶があった。崔洋一の「血と骨」が確かそうであったように思う。映画を見ていてこのことなんだなあと認識する。
それにしても、いくらアメリカ軍の指揮下とはいえ、同民族(同国民)の人間を数万人も殺戮しレイプする人間って、一体全体何なんだろうと、(理解を超えて)訝ってしまう。よほど共産主義思想が怖かったんだろうなあとは思うが、そんなことで納得できない何かがあり過ぎる。
観客は韓国映画では異常とでもいうほど満席近い入り。韓国の人も実際多いように思ったが、読後感は普通の映画とは全く違い、ほとんど力がでなくなるほど叩きのまされた。
いい経験だったのかどうか、何とも言えない気分である。
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