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ブルーバレンタイン (2010/米)(デレク・シアンフランス) 80点

2011-05-13 15:52:23 | 映画遍歴

愛の映画だなんて、そんな生易しいものではないだろう。この映画は、男と女のある一つの出会いと別れの話であり、それを風景として映像化した息の詰まりそうな厭な映画でもあります。

ある一日の夫婦の生活。まだ若そうな二人なのにいかにも倦怠期真っ最中のようでもある。そんな鈍い日常の流れも愛犬の失踪でプチっと糸が切れたように、女は新しい空気を吸いたいと男に背を向け始める。

男はまだ未練があり、女に揶揄し付きまとう(夫だから当たり前なのだが)。近所のモーテルでセックスをしようとするも、女のギリマン姿勢に苛つくことになる。こういうのって、映画で見たくない代物である。いわゆる変にリアル。僕らが日常気にせず過ごしているいわゆる通常の生態そのままだ。

それを映像でこれでもかと見せつける。しかし、作品は倦怠ムードと恋愛初期のほんわかムードを交互にフラッシュバックさせ、憎いほどテクニカルなカメラであり、一瞬酔わされるほどいい演出である。それは濃い文学小説を読んでいる感もある。

しかし、そのうち当然愛の別れに到達する夫婦。ただそれだけの話といえばそれまでだが、これは男と女の鮮烈な日常のほとばしりをキャッチした映画でもある。愛とは何なのか、なんてこの作品は語っていない。愛は生まれるが、枯れ果てて死滅するのも早いのだ、ということも言っている。

一応女は医学を目指す中流家庭育ち。対して男は高校も中退する仕事も続かない流れ者タイプ。でも、自分がちょっとしたことで宿した子供を育てようという男の大きな愛の幻想の前に、女は酔ってしまい男と生活を共にすることになる。

でも、やはり人生観の違いは愛やセックスだけでは補えないのだろうか、結婚して5年ほどで二人は破綻するのである。

日本人で、これぐらいの夫婦関係は僕の身の回りにもざらにいるように思う。というか、結婚して5年も立てば、同じ臭いを共有した男と女には、ただそこにある日常だけがすべてであり、この映画の夫婦のように、こんなはずではなかったという失望感から倦怠感を伴っているのが通常ではないか、、。

男と女がどちらが悪いというのではなく、勢いで結婚した女もふと自分に戻る瞬間があったということなのである。この関係は夫婦を営んでいる男と女であれば誰もが経験することで、何故映画でそれを確認しなければならないのかという気持ちは僕にはある。

見た後疲れはしないが、もう一度じっくり見たいなど決して思われない映画であることも事実だろう。でも、男と女の永遠の課題である「愛の不変」ということを浮き彫りにした作品である。愛は一瞬で始まり、あるとき不意に終わるのである。しかし普通、生活だけはそのまま続く。

でも、いい映画には違いないが、誰がこんなリアルな映像を見たいものか、とも思う。この映画は夫婦連れであれ、若きカップルであれ、本当は一人で見るべき映画なのだ、と思う。いや、実は誰もが見てはいけない希有な映画なのかもしれません。


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