『レスラー』が静なら本作は動、と対照的な作品です。シンメトリーがお好きな【アロノフスキー】、今度は鏡を使い、人間の内部を解体し、うごめく。そう、人間の脳裏には実にさまざまな万華鏡がからみ合っている、、。
冒頭の電車で映る同僚バレリーナが自分の姿の裏返しといったところから鏡ごっこが始まる。それはチャンスをもぎ取った者に絶対現れる脳裏現象なのだ。驚愕、喜び、絶頂、即現れる不安、けれど欲望だけは際限なく続いてゆく。なんら、僕たちが日常的に経験する不安と陶酔と変わりはない。しかしこの鏡はラストでは我が身を一片の凶器と変貌し「パーフェクト」と彼女を陶酔させるまで昇華させる。
大女優でさえ常に舞台の幕開きまでの不安感は筆舌に尽くしがたいとよく言われる。もうその劇場を燃やし尽くしたいぐらいだと言うほどらしい。超一流の人間でさえそうなのだから、初めて主役を勝ち取ったプリマに重くのしかかった重圧は実際はこの映画の映像以上のものでもあるのだろう。
とにかく、2時間弱の映画だが、登場人物が多い割にはほとんど一人映画のような設定である。この映画の映像の全てが温室育ちの少女のまま急に女になったプリマの心象風景を執拗に映している。
その押し込められていた20数年の念気が初演までに解凍されていき、女は舞台で見事花開きそしてすべてを出し尽くした後もぬけの殻になり果てる。彼女の精神的高揚感と不安感は尋常ではなく、ドッペルゲンガーまで登場させてしまうほど自分を追い詰めている。(ということはやはり死をイメージさせるが、、)
ここまで自分を追い詰めさせ演技を最高の状態にまで昇華させ作品を創造してゆくプリマ。いやはや芸術家とか作家は本当に大変でございます。でも、同じようなことは多かれ少なかれ、僕たちは日常的にビジネスでも学校でも経験しているはずだ。だからこの映画を見ていてみんな卑近な自分と照らし合わせている。
先日モーツアルトの原稿の話を聞いた。彼ほどの天才であの若さでものすごい量の作品を生み出したのだが、楽譜はすべて添削添削の山であったと言う。頭の中に泉のように生まれ出た楽譜をそのまま書いていたわけではないのだ。天才とはそういうものなのだろう。人に言えぬ努力という積み重ねがあって初めて生じるものなのだ。
内容は違えど僕は、日本映画の『告白』と映像の作り込みのイメージが近いように思いました。この【ポートマン】の脳裏を全編映像化したような強い演出(だからこそ一人映画なのであるが)は本当に秀逸で驚くべきであり、現代のサイコスリラーの代表作となり得る作品であろうと思う。何より2時間弱観客を一気に終盤まで持っていくその力量は目を見張るほどだ。今年のベストテンに入るべき作品だろうと思う。
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