尊厳死をテーマにした『海を飛ぶ夢』の高踏的な死生観を現実的でないと思ったのだろうか、【バルデム】は一転して視点を大衆に戻し、不幸のどん底におけるがん宣告を受けた一市民にこそ思いを寄せ、現代におけるキリスト受難劇を鋭く見せつける。
赤い色の小便。便器についた液体をペーパーで拭き取る。そのうち男は紙おむつを身につけるようにまで病状は進む。トイレの中で崩れ落ちるように座り込む男。子供たちの前では強い父親でなければいけない。眠ることも叶わぬ男は気持ちを振り絞って夜の街を歩く。
彼は死者と話ができる。最後の声を家族に伝えることができる。それさえときには罵倒される時もある。現代におけるキリストである。受難の連続である。そして何と神は彼の命をさえ奪おうとしているのだ。
そんな現代のキリストもまだ見ぬ父親への思慕は並大抵のものではない。父親の前では子供なのだ。彼より若い容貌の父親との邂逅が冒頭とラストに出てくる。美しいシーンだ。ジーンとくる。
どんな人間も死から逃れることは出来ない。社会の底辺に生きる人間たちの生と死を貪欲に描いてこそ人生のリアルがあるとでも言いたげな強い映像。生きるのに必死の大衆でも当然ながら死は容赦せず公平に訪れる。不幸のさらなる追い打ち。
しかし彼は受難劇を重ねながらも、最後は父親を思慕する純朴な少年の心のまま父親に導かれ遠い世界へ旅立つことになる。まさに一つの人生の終わりがそこにある。そして僕たちは知る。それは僕らの人生でもあるのだ、と。
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