冒頭から続く前半はまるで一本の映画本体を解体したかのような、或いはエミリー・ブラントの脳裏を解体したかのような不思議な描写と語りが延々と続く。
大体この映画は作り側と観客側との一種の闘いなんですね。見せる方と見る方とが、出し惜しみをする作り手からいかに何を引き出すかがポイントとなるのである。
でも僕は1時間ぐらいそれをやっていて少々の疲れを覚えてくる。そういう気配を感じたのか、作り手がだんだんこちらになびいてきて、通常のミステリータッチの映画描写になってくる。そうなると、観客はそのまま解決編へのゆるやかな坂道を辿ればいいようになっている。
そして導かれるラストの真実。
でもねえ、これは少々小説的過ぎますなあ。現実ではこうはならない。これははっきり言える。読みものとしては面白いが、、。
でも一本の映画作品として対峙するとき、これは面白い試みであろう、と思う。何しろ映画で明瞭に作り手が観客に何かを挑むような作品というのはあまり見たことがないからだ。これはやはり評価すべきなのだと思う。映画って、やはりまだまだ作り込みからはいろんなことが可能な芸術なのだ。
え?それは映画としてではなく、原作がそうなってる、って? うーん、でも僕は原作を読んでないからね。何とも言えませぬ。
主役のエミリー・ブラント、「プラダを着た悪魔 」ではそこそこきれいだったのに、もう盛りを過ぎた容貌が目立ちます。西洋人はこの傾向が強いですなあ。対して重要役のヘイリー・ベネットはさすが若いだけあって(と言っても30前だが)伸びやかな美しさがある。(この対比はこの映画では重要である)
まあ、しばらく印象に残る作品であります。
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