お気に入りニーナ・ホスの主演映画である。相変わらず鋭く、的確な演技。彼女が登場している間は完全に画面を圧倒している。そんな女優もそうそういないであろう。彼女の本質はまさにドラマチックなのである。これぞ映画女優である。
この映画はどう考えても生粋のドイツ人から見れば不快感を催す作品だろう。ラストの、夫と夫の親族の放心した表情を、まともに見ることのできるドイツ人は少ないのではないか。屈辱的なのである。
ユダヤ人の妻を持ったドイツ人がこのように妻を売り飛ばし、とばっちりが来ないように当時、離婚届を提出した人も多いのだろう。ネリーとジョニー、その時点で彼らの愛は終焉をたどっていたのである。
でも、女にとって愛の不在は耐えられぬものである。夫が遺産目当てで芝居を打とうとしているときも彼女はカネのことはどうでもよかった。夫との愛の生活が復活できればそれでよかった。
だいたい顔が変わっていても、何年も連れ添っていた妻が目の前に現れたら、妻と気づかぬ夫はいないはず(安倍公房の「他人の顔」然り)だと思う。ネリーも夫が自分を気づかない時点で愛は終わっていたと感じるべきだった。
この映画、話としては当然収用所帰りのネリーが本線ではあるが、ストーリー的には対極的にシオニストのレネを登場させている構造だ。
ユダヤ人の大量虐殺で現実を持ちこたえることのできなくなっている彼女も被害者である。これからの生よりも現実の死の重さから逃げることができず、また不埒な男に未練を持つネリーの行動に絶望し、死を選ぶ女性である。
ホロコーストもさることながら、ユダヤの人々を極限状況時に裏切ったドイツの人たち。まともにこの映画を見ることのできないのはやはり当然のことなのではないか、と思う。70年という歳月を経ても、歴史の鋭い批評はそこに向かうのである。
秀作である。この恥ずかしげなる邦題がどうも気になりますが、、。
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