粋な映像で、絵画的濃淡のある色調は素晴らしい。しかも、台詞が少なく表情で人間の心理を探っていこうとするピリリとした一発触発の演出が通りの端役にまで行き届き、2時間半緊張感が途切れることはない。
しかし、前作「ブローバック・マウンテン」とは違い、アン・リー、驚くほどスパイ映画に入り込み、恋愛にそれほど拘泥せず、静と動、偽物と真実、人の探り合いという心理映画的対比にこだわっている。
前作に映画の雄大な流れを感じた僕としては、リーが何を描きたいのか途中で見失ってしまったようである。そう、構成がこの映画はすべてシンメトリーになっているのである。
何回も執拗に繰り返される有閑女性どもの麻雀の心理表情は秀逸だ。ただ、西洋でマージャンを知らない人にとってはうわっぺらの部分しか分からないであろうが、、。
一方、繰り返し描かれる男と女のセックス。マージャンに対するシンメトリーであるのは明らかである。
こういう図式で男と女の上りつめる性愛を見せられればどうしてもセックスシーンもポルノ的にならざるを得ないのであろうか、過激な処理である。これほど有名な俳優に検閲が入っているシーンを演技させるのも驚きである。
欲を言えば反革命分子の同志の心情あたりをもっと掘り下げてもよかったのではないかと思ったが、この映画は対称形にならない部分は飾りでしかないようだ。当然、死を覚悟してレオンに入り込む女の中身(人生)には入って行かない。
それはレオンにも同じことが言え、ラスト、5カラットの指輪を部下からあなたの指輪だと言われても、「俺のではない」と心情を吐露させるが、これだけで女への愛を述べたと言うのなら浅すぎるのではないか。例えば、彼女だけは処刑を猶予させるような大胆な愛の表現も必要だったのではないか。
前作とは違い、随分、愛への拘りが希薄であった映画ですね。そう、良くも悪くもこの映画はシンメトリーの映画なのだ。その意味で、愛そのものを見つめた映画ではないのかもしれない。ラスト、コーションとは「色、戒」であり、まさに対称的な人生訓なのであります。
オニー・レオン、タン・ウェイともに力演。でも何といってもカメラワークと全体の緊張感がすごい。意外と内容は希薄でも力作であることには変わらない。
しかし、前作「ブローバック・マウンテン」とは違い、アン・リー、驚くほどスパイ映画に入り込み、恋愛にそれほど拘泥せず、静と動、偽物と真実、人の探り合いという心理映画的対比にこだわっている。
前作に映画の雄大な流れを感じた僕としては、リーが何を描きたいのか途中で見失ってしまったようである。そう、構成がこの映画はすべてシンメトリーになっているのである。
何回も執拗に繰り返される有閑女性どもの麻雀の心理表情は秀逸だ。ただ、西洋でマージャンを知らない人にとってはうわっぺらの部分しか分からないであろうが、、。
一方、繰り返し描かれる男と女のセックス。マージャンに対するシンメトリーであるのは明らかである。
こういう図式で男と女の上りつめる性愛を見せられればどうしてもセックスシーンもポルノ的にならざるを得ないのであろうか、過激な処理である。これほど有名な俳優に検閲が入っているシーンを演技させるのも驚きである。
欲を言えば反革命分子の同志の心情あたりをもっと掘り下げてもよかったのではないかと思ったが、この映画は対称形にならない部分は飾りでしかないようだ。当然、死を覚悟してレオンに入り込む女の中身(人生)には入って行かない。
それはレオンにも同じことが言え、ラスト、5カラットの指輪を部下からあなたの指輪だと言われても、「俺のではない」と心情を吐露させるが、これだけで女への愛を述べたと言うのなら浅すぎるのではないか。例えば、彼女だけは処刑を猶予させるような大胆な愛の表現も必要だったのではないか。
前作とは違い、随分、愛への拘りが希薄であった映画ですね。そう、良くも悪くもこの映画はシンメトリーの映画なのだ。その意味で、愛そのものを見つめた映画ではないのかもしれない。ラスト、コーションとは「色、戒」であり、まさに対称的な人生訓なのであります。
オニー・レオン、タン・ウェイともに力演。でも何といってもカメラワークと全体の緊張感がすごい。意外と内容は希薄でも力作であることには変わらない。
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