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別離 (2011/イラン)(アスガー・ファルハディ) 90点

2012-05-12 13:57:59 | 映画遍歴

厭な映画である。人の心をいたぶるいやあな映画である。前作と違うのは、見なければいいと思った時間が極端に短かったところか。それだけ脚本が緻密でしっかりと書かれている。布を織る時の縦横の繊維が明瞭である。映画としてそれらは時として僕らの前に対比型として提示されるわけであるが、、。

まず夫婦の離婚調停。男と女の考え方の相違。結婚して14年にもなるのに夢想的な妻と現実的な夫。

別居するがゆえにメイドを雇う。そのために出現する事件。嘘と真実を駆け引きにするためにどんどん広がってゆく傷口。仏教でいうところの因果応酬。離婚話がなければメイドを雇うこともなかった。そんな引き金を作るお前が悪い、と。

夫の、そしてメイドの嘘と真実。一体全体何が本当で何が真実なのか。この辺りは芥川の「藪の中」。完全ミステリーだ。認知症とされる父親も本当のところ謎が多く、観客は困惑しながらも映画の世界にどんどんはまりゆく。

これらを総括的にレンズの焦点のように受け止めるのが11歳の娘のまなざしである。これはすなわち観客のまなざしでもある。対比型であるこの映画を見事交差させ焦点を合わせる。

途中絵本を読み聞かせるシーンがある。「昔々この国はササン朝ペルシャと言ってこの国は二つに分かれていた。それは王さまと平民の二つに。」これが現代にもつながっていることをを映画は示唆する。

そもそもこの中流階級と貧民層の成立そのものが前述した因果応酬からすればこの事件の原因でもあると言えるだろう。父親が道路で彷徨っていたのは単なる認知症状か。ひょっとしたら離婚原因たる自分自身の存在を重い悩んでいたのではないか。彼を助けようとしててメイドは流産する。と、するとそもそも離婚話を考えた夫婦にこの事件の因果関係が介在していたことにもなる。

とは言え、この話を複雑にしているのはやはり富と貧との二極乖離であろう。カネである。カネで解決しようとする富裕族とカネがなく困窮している貧者層。そこに信仰の問題が真っ向からぶつかってくる。どうも貧者層のほうが信仰に熱いように見えてしまうが、、。

対比型としての面白い展開を見せながら、この作品は最後に娘が両親のどちらを採るかという判断をすることになる。それは哀しい選択なのか。

僕は彼女は「両親とまた住みます」と言ったような気がする。なぜならこの夫婦は愛がないわけではない。ちょっとした人生の気まぐれ(それを人は因果応酬というのかもしれないが)で彷徨しているだけだから、、。

2時間とても映画の緊張感を持続できた最近まれな秀作だと思います。でもこの監督、人が悪いねえ、、。


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