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汚れなき祈り (2012/ルーマニア=仏=ベルギー)(クリスティアン・ムンジウ) 80点

2013-03-28 15:15:26 | 映画遍歴

我々日本人には修道院での悪魔憑き事件なんか知るべくもないが、何とまあ不幸な事件であることよ、と簡単に一言では片付けられないからこの映画は生まれたのだろうが、それにしても2時間半の長尺、確かにラストまでの切迫感・臨場感は見事の一言。

でもねえ、この話、登場人物みんな悪い人は誰一人いないんだよね。なのにこういう事件が起こってしまった。何がいけないんだろうか、なんてことをムンジウは問いかけてはいない。

最初観客にはわけが分からないが、修道女たるヴォイキツァが孤児院で一緒だったアリーナを自分の部屋に同居させる。よく神父が許したなあと思うが、そこのところは割と曖昧だ。僕らはアリーナが宗教心を持っていると思ってしまうが、実はそうでないことがそのうち分かってくる。

まずアリーナの気持ちがはっきりしない。何故そんなことをしたのか。短期泊まりの軽い気持ちで修道院に入居したのか、そのあたりは当初は明白ではない。そのうちヴォイキツァも曖昧でアリーナとの関係がしっくりいっていないことが分かってくる。

アリーナはもともと感情の起伏が大きく、ヴォイキツァを連れて修道院を離れ別のところで一緒に住みたいと思っていたのだ。

考えればこの二人のまともでない行動がこの事件を引き起こしている起因にもなっていることを我々は知る。そしてアリーナの挙動不審を救おうとしても、病院から入院を断られ神父は仕方なしに修道院で彼女を治さざるを得なくなる。

ある意味すべて登場人物すべての善意から行った行動なのだが、彼女の病気を救うのに神に救いを求めたがため、正教の教えを信じ悪魔払いの儀式を行ってしまう信者たち、、。

みんな普通の人々であり、善人たちである。けれど、何故こういう悲惨な事件が起こってしまうのか。決してこの映画は正教の秘儀を否定しているわけでもない。ましてや同居させたアリーナを何とかしてやりたい、と思うヴォイキツァの心変わりといい加減さを責めているわけでもない。

みんなまともな人たちなのである。けれど悲劇は起こった。

ラスト、警察に引っ張られる車の窓ガラスに突如雪どけの泥が降りかかる。これは神の御心なのか。それとも一般常識を有している人たち(すなわち観客たるわれわれ)の心を投影しているのか。なかなか斬新なラストであった。


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