鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

徳重神社の大クス

2008-08-21 | 巨樹・古木
日置市伊集院町にある徳重神社は、17代薩摩藩主、島津義弘を祀る神社ですが、妙円寺詣りで有名です。
島津義弘は、関が原の戦いで西軍(豊臣方)に付き、徳川家康率いる東軍に敗れ、敵中を突破して鹿児島まで帰ってきました。
その偉業を偲んで、鹿児島から徳重神社まで歩いてお参りするのです。


徳重神社。

徳重神社に古木があるので紹介します。


徳重神社のクスノキ。
 幹周り:8m
 樹高:30m
 樹齢:750年
樹高30mは、日本一の巨木、蒲生の大クスと同じ高さです。


根元。
幹周りは蒲生の大クスに遠く及びませんが、なかなか風格のある木です。


イヌマキの古木もあります。


イヌマキの根元。
データがありませんが、幹周り4mくらいです。

この他に、カヤ、ヤクタネゴヨウなどの古木があります。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

根占の砲台跡

2008-08-20 | 史跡
昨日紹介した荒平天神から、錦江湾東岸を南下すると、南大隅町根占に着きます。
ここに砲台跡(台場)があります。

生麦事件を起こした薩摩藩は、英国艦隊の錦江湾来攻を察知し、沿岸に台場を築きました。
その数、数十といいます。
このうち、鹿児島市の天保山や祇園之洲の砲台跡は、以前紹介しました。


根占の砲台跡。
石垣の間に凹部があり、ここに大砲が据えられています。
台場の中で、当時の原型をとどめているのは、この根占の砲台跡だけです。


花崗岩からなる石垣が、延長60mに渡って築かれています。


このときは、視界が良くなかったのですが、対岸に開聞岳や竹山が見えます。
薩英戦争で、ここから実際に大砲が発射されることはありませんでした。


近くの山は花崗岩からできています。
花崗岩の大岩峰です。
海岸には、花崗岩の丸い石がごろごろしていますので、これで石垣を築いたのでしょう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

荒平天神

2008-08-19 | 史跡
荒平天神は、錦江湾の東岸、鹿屋市天神町にある神社です。
創建は、戦国時代の天文年間で、菅原道真を祀る神社です。
菅原道真を祀る神社は、全国にたくさんありますが、ここもそうです。


陸地と砂州で繋がった、風光明媚な岩山の小島に荒平天神があります。


鳥居を通して小島を望む。


山頂に行くには、このような岩の道を登っていきます。


岩山の山頂にある社殿。
大正12年に炎上しましたが、木造のご神体は無事でした。


社殿の横に、菅原道真の有名な歌の歌碑があります。


ここ荒平天神は、錦江湾横断遠泳をテーマとした映画「チェスト!」のロケ地となりました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漣痕

2008-08-18 | 風景
種子島の西海岸の国道58号線を車で走っていると、住吉の国道脇に「漣痕(れんこん)」と書いた説明看板がありました。

漣とは、さざなみのことです。
波や風によって地層の堆積面上面にできた凹凸が、地層に保存されたものです。
いわば、波の化石といっていいでしょう


色の違いは、地層の違いです。
中央の縦に延びる白い層の左右を見ると、まっすぐではなく、でこぼこしていることがわかると思います。
これが波の痕です。
地層ができた時は水平ですが、その後の地殻変動で、垂直になったものです。

化石といえば、骨、貝、木の葉などを連想しますが、波の痕も化石になるんですね。
漣痕のことを、リップルマークとも言います。
西之表市の文化財(天然記念物)に指定されています。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモリゾートの海

2008-08-17 | 水辺の風景
種子島で唯一のリゾートホテルが、南種子町茎永にある種子島いわさきホテルです。
コスモリゾートと言いますが、コスモとは、種子島宇宙センターの近くにあることからです。


種子島いわさきホテル。
門倉岬にも近く、種子島の代表的な観光地に近い、立地条件のいいところにあります。


ホテルの前は、美しい海(太平洋)が広がり、ホテルのマイビーチのようです。


この海は、多くのサーファーが訪れるところです。
この時は、高い波はありませんでしたが、多くの人がサーフィンをしていました。


海に浮かぶ岩山。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山川露天風呂

2008-08-16 | 施設
指宿市山川の露天風呂に行ってきました。
山川砂蒸し温泉の近くです。
ここには、他にヘルシーランドという室内温泉施設もあります。
露天風呂は、見晴らしのいい高台にあります。
浴場内撮影禁止のため、周辺から写したものですが、雰囲気はわかると思います。


露天風呂の入口。
正面は竹山で、風呂からも左にこの山が見えます。


正面は、錦江湾と大隅半島です。
右が佐多岬です。
錦江湾の出口に屋久島が見えました。


右に目を移すと、硫黄島と黒島、薩摩半島です。


さらに目を右に移すと、開聞岳が見えます。


浴場内から開聞岳はこのように見えます。
ポスターを撮影したものです。

目の前に錦江湾の大パノラマが広がり、鹿児島の露天風呂の中で、眺めはピカ一と言っていいでしょう。
なお、浴場は男、女用を隔日交替しています。
開聞岳が見えるのは一つです。

山川露天風呂
 営業時間:9:30~19:00
 休業日:木曜日(祝祭日の場合は翌日)
 料金:大人500円 小人300円
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

園田橋他

2008-08-15 | 石橋
岩永三五郎が架けた甲突川の五石橋。
そのうち二つは豪雨で流され、残りは石橋公園で余生を送っています。
その岩永三五郎が架けた石橋が、現役で活躍しているので訪ねました。

場所は、鹿児島市平川町五位野です。
国道226号を、鹿児島市内から指宿に向かい、平川動物公園へ右折すると、すぐ大きな橋を渡りますが、この橋の下にあります。


園田橋上部(ガードレールの所)。
上の大きな橋が、平川動物公園へ行く橋です。


下流から見た園田橋。
 橋長:7.55m
 幅員:4m
 架設年代:弘化4年(1847年)
 石工名:岩永三五郎
川は、五位野川です。
河床に下りるのが難しく、左岸下流からの撮影となりました。
まだまだしっかりしており、現役で活躍している石橋です。
手前のアーチは、水管橋でしょうか。


右岸下流側のたもとにある水神。


次に、国道226号を鹿児島市内へ向かい、影原という信号の少し手前まで来ます。
以前、国道3号に石橋があることを紹介しましたが、この国道226号にも石橋があります。
幹線道路で、交通量の多い道です。


上流から見た石橋。
名前は不詳です(仮称:影原の石橋)
 橋長:9m
 幅員:16m
 架設年代:不詳
川は草野川です。


下流から見た石橋内部。
上部はコンクリートで巻いています。
左には自然の岩がありますが、除去できなかったのか、そのままにしています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

向田邦子居住跡地

2008-08-14 | 史跡
シナリオライターで作家の向田邦子さんは、昭和4年、東京で生まれました。
「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」などのヒットを飛ばす人気シナリオライターでした。
10歳のとき、保険会社に勤める父の転勤で鹿児島に住み、2年余りを過ごしました。


鹿児島市平之町の、向田邦子居住跡地。
電柱の左の、車庫のある家がそうです。
城山の麓にあり、市街地からやや高台にあります。


向田邦子居住跡地の碑。


住居跡の横に、当時とそう変わらないと思われる小路があります。
向田さんも、この道を歩いたのでしょう。


向田さんが通った山下小学校。
自宅から、まっすぐ坂道を下ったところにあります。

向田さんは、38年ぶりに鹿児島を再訪し、「鹿児島感傷旅行」という本で、鹿児島を故郷もどきと呼んでいます。
向田さんの人生に、鹿児島は大きな足跡を残したといえるでしょう。
台湾旅行の飛行機事故で、51歳という若さで亡くなりました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イチロー

2008-08-13 | エッセイ
原人さんが、コメントで面白いことを書いていた。
銀行振り込みで相手先の名前を書くとき、昭和は「ショーワ」ではだめで、「ショウワ」でないと戻ってくる。そこで、野球選手の一郎は「イチロウ」ではなく「イチロー」じゃないか、と屁理屈を言った。
というものだ。
この問題について考えてみよう。

日本語で、オ列の長音は「う」と書く。
公園(こうえん)、灯台(とうだい)など。
外来語では、長音は「-」と書く。
従って、高知は片仮名でコウチ、野球の指導者はコーチである。
昭和も片仮名ではショウワと書く。

一方、イチローはどうだろう。
これは、一種の芸名みたいなものだから、規制がない。
「モーニング娘。」の「。」と同じである。
人名に用いることができるのは、常用漢字、人名用漢字、平仮名、片仮名のみだから、出生届はイチローではだめで、イチロウでないと受け付けてくれないはずである。
「モーニング娘。」をまねて、「一郎。」と届けても、戸籍係は目を丸くするだろう。

オ列の長音を「う」と書くのには、例外がある。
大きい(おおきい)、多い(おおい)、遠い(とおい)、十日(とおか)などは、「お」である。
このため、大きい王様(おおきいおうさま)、東京は遠い(とうきょうはとおい)など、同じ音でも書き分けなければならない。
例外となっているのは、大きい(おほきい)など、旧仮名遣いで「ほ」あるいは「を」と書くのは「お」となるということだが、旧仮名遣いを使える人が少ないので混乱する。

外来語でも、穴を掘るのはボーリング、玉を転がすのはボウリング、球技はバレー、踊るのはバレエ、と統一されていない。
このように、長音の表記は難しい。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

喜入のメヒルギ

2008-08-12 | 植物
メヒルギは、マングローブを形成する代表的な植物です。
鹿児島市喜入生見町に、メヒルギの群落地があり、北限地として国の特別天然記念物に指定されています。


生見にある、特別天然記念物の看板。


生見のメヒルギ群落地。
国道226号の脇にあります。(左の、電柱のあるところが国道)

ところが、ここが本当の北限地ではなく、もっと北に群落地があります。
同じ喜入の、新日本石油基地があるところに、愛宕川が流れており、その河口付近の支流にあります。


愛宕川と支流。
向こうは、新日本石油基地。
この手前(上流)に、メヒルギの群落地があります。


愛宕川支流のメヒルギ群落地。
高さ2~3mほどの立派な木です。


根元。


ちょうど、花が咲いていました。


メヒルギの花のアップ。
かすかに甘い香りがします。

実が泥土に落ちて、新芽が出て増えていきます。
実が、琉球(沖縄)のこうがい(かんざし)に似ていることから、メヒルギのことをリュウキュウコウガイとも言います。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする