こないだ覚書として長々と掲載した内容を一文でまとめてしまえば、
「コスパ志向とそれに基づいた行動・思考は様々な要因(必然性)により生じているため、精神論やべき論を語っても止めようがない」
というものになる。
これは少子化問題を若年層のメンタリティの問題にのみ帰するような発想と似ている。そこでは、成熟社会化による晩婚化といった社会構造の変化、儒教文化圏の東アジアで共通して出生率の大きな低下が見られるという国家を超えた比較による分析、明治~昭和のお見合いなども含めた皆婚社会という特殊性etc...といった個人を超えた領域の理解・分析が欠落している。歴史の理解や比較分析はもちろん、ミルズの『社会学的想像力』のように、個人の行動様式と社会の特徴をブリッジする視野を身に着けておくことが必要だろう(単に飲み屋で話のネタにしたいんではなく、本当にそれが問題だと思っているのなら、ね)。
なお、こういう環境の変化を理解するには、言葉よりも映像作品を通じた方が容易であることも少なくない。この点では、以前紹介した『タコピーの原罪』の世界観と、『ドラえもん』の世界観を見比べてみるのもよい(これは他でも書いた、『魔法少女まどか☆マギガ』とこれまでの魔法少女モノ、あるいは『ぼくらの』とこれまでのロボットモノというアナロジーを持ち出しても有効だろう)。様々な教訓話を含むとはいえ、未来を臆面もなく信じて道具があればあんなこともこんなこともできると(実際に歌詞で)言っていたドラえもん的な発想でいたら、問題は解決しないどころかむしろ悪化して人が死ぬからね?というのがタコピーのコンセプト(世界設計)であることは読んだ人には釈迦に説法だと思うが、問題設定を正しく認識せず、抽象的な精神論だけ叫ぶ人々というのは、まさに悪意なく人殺しや家族の破綻に加担するタコピー(とそのグロテスクさ)と何ら変わるところがない、という点を指摘しておきたい。
さて、一文要約を見ると、「初めからこれでええやん!」とまさにコスパ思考で突っ込みたくなるところかもしれんが、両手オラオラした上で「まだやるかい・・・?」のやり取りを何回もやっといた方が、
・「思い付きで何とかなるもんちゃうぞ」
・「ぼんやりとバラバラな現象と思ってたら色々つながってる!?」
てあたりは印象づけられると思った、ちゅうことである(まあ後者は統計データとかじゃなくて印象論をつなぎ合わせてるだけではあるので、もちろん違った観測はありえると考えているが)。
ちなみにここで話した人間への期待減衰が人間関係へのデタッチメントを促進し、それが社会の分断やらコミュニティの解体といったことと並行した結果何が起こるかについては、むしろ「人との連帯により何ができるのか」を述べた以下のような動画を見た方がイメージしやすいかもしれない。
これは以前述べた「日本において言われる、コンサマトリーや清貧などの発想やその促進がなぜナイーブなのか」という批判にも関係するので、いず別稿で書いてみたいと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます