無料の娯楽でさえ認知されるのが困難ならば、ましてラーメン屋は…

2024-07-19 11:26:46 | Vtuber関連

You Tubeの動画って基本いつでもどこでも見れるし無料なわけだが、それは粗悪品でも出せば見てもらえるということではもちろんない。むしろ無限にも思える量のコンテンツが氾濫しているからこそ、たとえ良質なものを作っても、ほとんど顧みられないまま埋もれていくこともしばしばなのである(受け手側も早送りとかしてまで必死に消費してる状態だしね)・・・なんてことを考えてみると、「ただ良いものを作って出せばOK」なんて発想は、全く非現実的なものと言えるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すると当然、コンテンツ作成にあたっての市場分析、それが普及するための下準備、活動を継続するための下地作りなどやることは無数にある(先日紹介した塚本のべるの初配信における「ファンネーム決め」などもその類で、それ自体が目的ならXとかでやればいいのに配信でやり取りしながら決めることに意図・効果があるわけだ)。よってとてもではないが、かつての「好きなことをして生きていく」なんてフレーズは、牧歌的過ぎてもはや笑えてくる(・∀・)

 

ところで、このように無料・良質のコンテンツさえ認知が困難ならば、有料・時間限定・場所限定のラーメン屋なんて、いっそう高いハードルを伴う事は言を俟たない(ラーメンフェスとかに足を運ばずとも、よくここまで多くの店舗が存在するものだとその事実だけで感心する)。

 

 

 

 

良いラーメンを作っても、無限に選択肢があるからそもそも認知されなかったり、されたとしても一度足を運んだだけでリピーターにはならず、結局は時を経ずに死屍累々…という状態になるのは何ら驚くべきことではない(もちろんここにはコストプッシュ型のインフレや実質賃金の伸びの鈍さなど、営業努力を超えたレベルの社会情勢・経済事情も関係しているが)。

 

つまり、「美味いラーメンを作るというのはもはや大前提」で、その上に好立地や価格設定、口コミの広げ方や店舗を維持するだけの収入確保など、Vtuberと同じで個人事業主として類似の、いやそれ以上の経営能力が問われることになる。

 

にもかかわらず、理想の店舗とラーメンだけを思い描き、それを提供しさえすれば成功は約束されたも同然などと考えるのは、視聴者の活動時間帯や競合の動きにまるで無頓着に配信時間を決めるVtuberや、無名で評判がない状態でそれを作り出すための市場分析・広報活動すらしない新人Vtuberと等しく愚かである・・・なんてことをラーメン屋というレッドオーシャンに消えていった人たちの姿を聞きながら改めて思った次第。

 

まあ個人事業主って「一国一城の主」みたいに言われるけど、企業・組織の論理から解放されている(ように見える)という都合のいい面にしか目を向けず、自分で何でもやらねばならない大変さを理解も対策もしないのであれば、常に破滅と隣り合わせの日常を送ることになるのは必定だろう。

 

「好きなことをして生きていく」ためにこそ、好きではない・興味が無いことも知る必要があったり、好きではないことをやる必要が出てきたりもするのだから。

 

もちろん、カネを稼ぐのは全て「仕事」であり、かつ仕事が全て苦行(修行?)のように考える・・・みたいなスタンスもたいていは不幸の元であり避けるべきだが、かといって楽しいことばかりやっていて何とかなるほど世の中甘くはないって話ではある(例外的な成功者を持ち出して自己の状態を正当化するのは、都合のいい材料で自分のナイーブさを誤魔化しているだけなので、早々に考えを改めた方がいいだろう)。

 

いやはや、世の中の動きが早くてホンマ大変な時代ですな(・∀・)


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