フランス革命の実態:善悪の二項思考は複雑な現実を覆い隠す

2021-11-16 11:36:36 | 歴史系

 

 

 

 

 

 

フランス革命とその評価を見ている時ほど、「政治にタッチする人間、すなわち手段としての権力と暴力性とに関係を持った者は悪魔の力と契約を結ぶ者であること。さらに善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、人間の行為にとって決して真実ではなく、しばしばその逆が真実であること。これらのことは古代のキリスト教徒でも非常によく知っていた。これが見抜けないような人間は、政治のイロハもわきまえない未熟児である」(『職業としての政治』)というウェーバー先生の言葉が思い起こされることはない。

 

まあルイ16世って特別に無能とかでもないんだけど、要するに中途半端なんだよね。すなわち「ある程度」は自由主義的であり、しかし「ある程度」は保守的であったと(まあ歴史の当事者としては、「最も妥当なライン」なんて見えるべくもないんだけど)。それ以外では、(フロンドの乱とかもで有名な)高等法院の復活など、それ自体には意図とそれなりの合理性があるのだけど、結果的にそれが改革の足止めになったりと、全体像としてちぐはぐな感じになってしまったものも少なくない。結局のところ、グランドデザインがなかったんやろな。

 

まあ太陽王の頃ならそれでも何とかなったんだろうけど、ルイ16世の当時のフランスは鬼のような借金やらで安定した状況ではなかったし、また権力構造も複雑怪奇になっていましたよと(よく言われることだが、絶対王政は別に王が絶対的な権力をふるえる状態では全くなく、あくまで中世と比べれば権力が強い、という相対的な違いを「絶対」王政という名で[相対的に絶対、というのがもう意味不明w]呼んだにすぎない)。その結果として、全体像が見えないがゆえによりいっそうその状況が深刻なものとみえ、それが革命の火種となっていったというのは、何とも皮肉な話である(まあ人間って生き物は、わかりにくいものを見たら不安になるし、だからこそ具体的な人や組織に全責任を仮託し、吊るし上げて溜飲を下げたくなるものだ。こういう行動原理は、昨今の陰謀論の流行を見れば思い半ばに過ぎる、というものだろう)。

 

なんつーか啓蒙専制君主として数々の改革に着手しながら失敗し、「よき意志を持ちながら、何事も果たさざる人、ここに眠る」と刻ませたヨーゼフ2世みたいっすね~。まあ同じく啓蒙専制君主と言われるエカチェリーナ2世も同時代人だし、こういうメンタリティがある程度「流行り」みたいに存在してたんでしょうねえ(もちろん、東欧の場合は西欧の穀物供給地として中世的システムが色濃く残ったため、王権強化には上からの改革が必要であった、という事情も認識しておく必要があるが)。

 

ルイ16世の行動パターンとその破滅についてもそんな時代性を感じられますねと述べつつ、この稿を終えることとしたい。


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