うみねこ3rd:誰の「解釈」か

2008-11-15 12:47:35 | ゲームよろず
さて、前回の記事から一ヶ月以上経ってしまった。あれからほとんどプレイも考察もしてないのだが、「そもそも本編の描写が現実を反映してない」という部分について説明していなかったので、とりあえずそれだけやっておきたい。


本編の描写が「現実を反映していない」のなら一体何なのか?戦人―ベアトのやり取りやワルギリウスの話からも想像できる通り、それは「解釈」である。もう少し詳しく説明すると、第三話の「????」において、雑誌の記者や世間の人たちが六軒島で起こったことをあれやこれやと想像し絵羽を魔女に仕立て上げた、というようなことが書かれているが、我々が見ているのはそういった想像そのものだ、ということである。ひぐらしをプレイしたことがある人であれば、「悪魔の脚本」において、様々なプレイヤーの推理が、雛身沢で起こった出来事をあれこれ想像する後世の人々の解釈として取り込まれていたことを思い出すだろう(その意味でも我々は、かつて否定的に扱われてきたオカルト説と真っ向から対決せざるをえないように仕組まれているのだと言える)。


だとすれば、どのように推理をしていけばよいのだろうか?作中では、個々の殺害の手口が議論され、論破しただのしないだの言われているが、ああいった戦術レベルの議論にこだわることが実は一番危険であるように思われる(富竹のアレが共通しているのに反し、うみねこはバラバラである。そして富竹のから推測する限り、うみねこの個々の手口には意味がないことになる)。もちろんそこに綻びを見出す視点も捨ててはならないが、それでもベアトがあくまで「ルールの擬人化」(=後世の解釈)であることを念頭に置き、三つの話を横断するルールの発見、つまり戦略レベルの戦いを常に意識する必要があるだろう。


(補足)
ただし、この解釈をした場合に気になるのは「真相解明本」の書かれ方だ。まだちゃんと読んでないのだが、当時の状況を事件後の視点から現地にまで行って(?)推理したような形になっており、そうするといささかゴシップ的な「解釈」として考えるのは難しいように思える。もっとも、現場にいなければ絶対にわからないディテイルにまで言及されていることは、かえってその内容の信憑性を落してもいるのだが。まあこれはきちんと読んでから結論を出すことにしよう。


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