中学で大塩平八郎の乱を習った時、前述のようなゴロ合わせで年代を覚えさせられたのをいまだに記憶しているが、ともあれ当時は「与力(今で言えば警察署長みたいなポジション)が反乱を起こしたんじゃあ幕府が動揺したのも無理ないわな」と思ったくらいで、陽明学者であることを特に意識はしなかった。
しかし後に世界史の授業で朱子学と陽明学の違いを知ると、後者が革命を肯定するようなエートスを持っていたことを理解し、なるほどと納得した次第である。
これは朱子学と比較するとわかりやすい。極めて大雑把に言えば、朱子学は「性即理」の発想により、人間の本質は獣と同じである(要するに性悪説的に考える)ため、外側からコントロールせなばならないと考える。だから現在の秩序維持を強く肯定するし、その秩序を厳密にしようともする(華夷の別や大義名分論を想起)。そういうわけで、明や李氏朝鮮、江戸幕府といった時の政権がそれを官学としたのも(現在の秩序=現政権を肯定化する思想を植え付けるという意味で)必然的なことと言えよう(明においては、洪武帝時代に農民教化のため六諭が発布されたのも同じ狙いである)。
一方陽明学は、「心即理」の発想により、人間の本質には理性的に行動する力が備わっていると考える(要するに性善説的である)ため、その内なる性質を十全に発揮する方法を重視する。だからそこに外からの束縛があることを否定的に捉える傾向があるし(童心説)、また単に頭で理解するだけでなく実践することも重要である(知行合一)としたのである。言い換えれば、陽明学には「内なる声(良心)に従うべきだ」という発想があり、ゆえに秩序が乱れているのであれば、それを正すためにシステムの変更をも辞さない、という革命思想を肯定する部分を持っていると言える(その意味では孟子の易姓革命の発想と近しい)。このような点を思えば、政権側には政権否定の発想がそこから出てくる危険性を孕んでおり、ゆえに陽明学が官学とされなかったのは当然と言えよう。
そして実際、明朝においては陽明学者の李卓吾は厳しい政府批判を行って投獄され(ここは王陽明と似ている)、最終的には抗議の自殺をしたのであった。また日本においては、動画でも言及されているように、前述の反乱を起こした大塩平八郎、そして討幕運動の中心となった南洲翁らに影響を与えた(=革命運動を肯定する土台の一つとなった)わけである(ちなみに、大塩平八郎のような「世直し」とそれに向けた行動を別の方面で考えると、例えば高橋和巳の『邪宗門』で描かれるような宗教などにもつながってくる)。
以上が朱子学と陽明学のごくごく簡単な比較対照だが(細かく言えば突っ込みどころ満載だろうけど)、それを踏まえて冒頭の動画を見ると、よりいっそう楽しめるのではないだろうか。相変わらず鳥人間氏の動画は丁寧かつ熱量がこもっており非常に好感が持てるものだが、そこで述べられる王陽明の硬骨漢な態度、あるいはどこか秩序の枠に収まらない大人物の生き様を知ると、王陽明自身が知行合一のエートスを全うした人物であることがわかり、陽明学への興味がいや増す最良の紹介動画の一つではないかと思う。
さて、今回わざわざ陽明学に言及したのは、次の毒書会のテーマがナショナリズムで、その関連として興味を持っているからだ。そして日本のナショナリズムには尊王攘夷運動も考察の範疇に入ってくるわけで、橋川文三の『ナショナリズム』や橋爪大三郎・大澤真幸の『げんきな日本論』などが考察の端緒となるが、そこでは思想的柱として国学や神道は話題に上るものの、陽明学はそこまで取り上げられていないように思える(まあ半ば結論めいたことを先に言ってしまうと、理論的支柱というより、「心即理」とか「知行合一」といった思想が革命を肯定する、という行動原理面での影響が主だからじゃないか、と予測はしているが)・・・というわけで、陽明学とそれが日本に与えた影響について、時間を見つけて調べてみたいと思っている。
ただ、そういった視点に限らず、江戸時代の武家社会の発想法などを知る際にも朱子学と陽明学の知識は有用だったりするので、興味がある人はこの機会に(私もまたそうであるように)深く知る機会を設けてみてはどうだろうか、と述べつつこの稿を終えたい。
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