「誘拐婚、宗教売春、亡霊婚…日本中に存在した奇妙な性習俗」なる記事があったのでご紹介。
詳しくは記事を読んでもらうとして、私がこういった記事を読むといつも思い出すのが、自称「保守」たちの偽善性である。今さら言うまでもないことだが、明治期に日本は欧米に追い付け追い越せと近代化政策を行い、その中で巫俗などの民間信仰や、混浴などの習俗が禁止された(こういった脱亜入欧的エートスは、)。さらには、天皇・神道を中心とする国造りのために、神仏分離令を出してそれが廃仏毀釈運動を引き起こしたり、宮中祭祀についても大掛かりな変更を行うなど、ここで江戸時代までとの切り離しが行われたのである。
しかしご存知のように、神仏習合はほとんどの地域で残存したし、また夜這いなどの習俗も(それこそ津山事件など)様々証言があるように地方では広く見られたのであった。
とするなら、伝統というものを重んじるという立場を取れば、江戸時代まで広く見られた衆道(男色)や陰間茶屋を無視して同性愛を否定するのは全くのところ意味不明だし、性愛関係の緩さに関しても、否定するどころかむしろ伝統的「お家芸」として肯定するのが当然だと言えるだろう(その他、たとえば共通語についてもそうだ。伝統とやらが大事なのであれば、どうして明治期の共通語より奈良時代の連体修飾格の「が」が残っている熊本弁の方が優れている、といったロジックにならないのか私には不思議である。まあそんなことを言ったら、今日でも裁判の時には盟神探湯をやんなきゃいけなくなるがw貴様ksonのエイダコスで抜いたな!?ワタシハケッパクデス。ウソを言うな!この熱湯にhand inしてみろ!俺のこの手が光って唸る、お前で抜けと輝き叫ぶ!シャイニング以下略、とwww)。
こういった側面から目を逸らし、都合のよいものだと取り出してさもそれがずっと続いてきたかのように述べつつ現状を批判する、これが偽善でなくて何だと言うのだろうか。「保守」を自称しながらその実歴史に真摯に目を向けていないこと、そしてそんな浅薄で間違った知識をさも守るべきもののように人々に喧伝すること・・・どのような視点から見ても、全く免罪される余地のない行為と言えるだろう。
それは結局、歴史というものを不都合さや複雑さを含めた人の営みの体系として見ることで、時には己の思い込みへの痛烈な批判になるという視点で受容するのではなく、ただ己の懐古を正当化(その根源は現状への不安・不満だろう)するツールとしてしか使う気がないから、そのような歴史の悪用をしてしまうのではないだろうか(そしてその典型例が、「江戸しぐさ」という欺瞞だったわけだが)。
【その他あれこれ】 暇があればどーぞ。
ちなみに、記事にも出てくるが「誘拐婚」は日本のお家芸というわけではなく、キルギスにも存在する(というか、割と最近これで事件が起きている)。また、「宗教売春」についても、そもそも宗教と性が深く関わる場面は世界各地に見られるのであり、例えば古代オリエントのイシュタール神は豊穣の神であるとされるが、豊穣=出産からそこに性が深く関係する神でもあった(『売春の世界史』などを参照)。
ちなみに本文では明治期の共通語の話をしたが、この頃に欧米の言葉が大量に流入し、それを漢語でどう表現するかということで、それまでは使われていなかった言葉が発明されたり、それまでは違う意味で使われていた言葉を無理やり外来の単語の翻訳に充てられるということが行われたのであった。私がよく取り扱う「宗教」という語もそのうちの一つである。ちなみに、こういった歴史的経緯を知ってか知らずか「英語のreligionと日本人の思う伝統的宗教観はズレているから、あなたは宗教に属していますか?という問いに無宗教ですと答える人が多くなってしまうのだ」なんて解釈もあるみたいだが、残念ながらその見解を成立させるのは難しい。というのも、1952年の調査では実際に「宗教」という言葉で調査をして、自分の宗教は仏教だと答える人が50%を超えているからだ(ちなみに「家の宗教」が仏教と答える人は90%近くいる)。つまり、せいぜい言えるのは次の通りだ。「日本人の宗教観に外来の観念を表すための宗教という言葉の当てはめが全く影響がなかったどうかは今のところ観測のしようがない。しかし、明治期から70年以上経った戦後日本でさえその言葉を使って過半数の人間が宗教に属していると答えている以上、日本人の過半が無宗教と答える状況に『宗教』という言葉が大きく関わっているという見解は成立しないと考えられる」と(ちなみに今では自分が無宗教と答える日本人は80%に上る)。
なお、こういった明治期の接ぎ木的言葉の用法や言葉の創出がわかっていれば、「憲法」という言葉にだけ目を向けて、「日本には今から1000年以上前に憲法が存在してたんだ!」なんて言った日にゃあバカ丸出しであることも容易に理解できる(というのも、いわゆる「十七条の憲法」は役人だけに向けられたものであり、いわゆるconstitution、つまり政府を名宛人とした国家運営の基盤となる規律というのとは全く違うものだからである)。本当にこの国のことを知りたいってーなら(それこそ保守の本懐では?)、その実態が何かをきちんと見るべきだろう。
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