ひぐらし祭囃し編覚書 結

2009-02-11 18:16:54 | ひぐらし
前回「魅音と小此木が戦う意味」において、それが罪と罰の問題に絡むことを指摘しつつ、他力本願の姿勢の排除という演出意図も含んでいるという推論を提示した。そこで次は戦闘力の問題を扱う予定だったが、祭囃し編のスタッフルームのコメントと一緒に論じた方が好都合なので、今回は祭囃し本編の最後(一応TIPS「鬼狩柳桜」含む)までの覚書を掲載する。


◎小此木の症候群に関する発言→イデオロギーなどにも繋がる
科学的真実(中身)なんてどうでもいい。それをどれだけのヤツに信じさせられる代物かという政治的意味合いこそ大事なのだ。


◎雨の中を一人逃げる鷹野…最初の状況に戻る
結局は一人…しかし今度はその先に富竹が…(「鷹野と梨花ママ、そしてオヤシロさま」も参照)


◎鷹野と部活メンバーのやり取りをどう評価するか?
(a)往生際の悪い鷹野を描く意味は?

(b)自らを犠牲にしようとする魅音・羽入
→自己犠牲の否定。罪の押し付け合いからの脱却(澪尽しとの対比)

(c)ババ抜きとジジ抜き
→原点回帰ってことで部活と結び付けているのかもしれないが、強引な印象も。


◎鷹野の症候群…罪を引き受けるもの


◎大立ち回りと平穏な村の対比
ヘリや電話線、爆竹などを村人は訓練やちょっとしたハプニングとしか認識せず。


◎入江の論文
高野の論文を引用(業績を埋もれさせないため)。そのレベルは大丈夫らしい。


◎大石…北海道OK=退職金OK?


◎最後は綿流し…罪を流す(「小泉暗殺、罪の在り処」)


◎野村の会議案が冒頭で…
野村もまた罰を受けない。澪尽しと対照的。


◎TIPS「鬼狩柳桜」…古手家の親殺しの罪と呪い


◎[お子様ランチの旗]→鷹野の両親は死なない
惨劇の根源を絶つ=惨劇の終わり。鷹野の登場しない、そして惨劇の起こらない「ひぐらし礼」へと繋がる。



祭囃し編の覚書は以上で終了である。次回はスタッフルームのコメントを掲載しつつ戦闘力の問題を論じていきたい。

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