「ひぐらし語咄し編2」感想

2008-12-21 18:58:35 | 本関係
前回は、二次創作というものへの評価(極端な否定的見解を批判)と「あるスクラップブックが示す断片的な顛末、あるいはある神の末路を記す断片的な記録」の特徴、及びその形式から受けた影響について述べた。よってここでは、印象に残った他の作品について書いていきたい…がその前に。


前述の記事で、「他にこんな世界も考えられるというものやネタの範囲にとどまる作品が多いのだろう」という認識から語咄し編を敬遠してきたと書いたが、そのような作品として思いつくものとしては例えば「水浸し編」などが考えられる。これは要するにダムが建造された世界のことだが、これだけなら単なる思い付き以外の何物でもない。いや、思いつき以下である。というのも、ダム建造計画が毎回頓挫するのはそれが強固な意思に基づいているためであり、それを覆すにはそれなりの理由が必要だからだ。まあそれは小泉を事故死でもさせる(小泉暗殺も可)として、ではダム建造が成し遂げられた世界はどのような意味を持つのか?「大災害よりはマシ」、「人間による神の埋葬」(人が神のために沈められるのではなく、神が人間のために沈められる、逆ノアの洪水)などなど。まあもっとも、そういう理屈付けをしたからといってそれがおもしろいかどうかはまた別の話だが……


とまあそんな具合で、思いつきレベルならいくらでも可能である一方で、それだけでは大した作品にならない。では、これから取り上げる作品は、どのような点でそれを超えているのだろうか?それを以下で見ていきたい。


<雛げし編>
雛身沢の「雛」が雛祭りにちなんでいるという話を見たとき、最初は単なる設定かと思い物足りなく感じたが、最後でその違和感に答えが与えられるところがすばらしい。


<嘘塗し編>
罪の隠蔽に関する話。沙都子に対する入江の態度(祭囃し編)に対するいいカウンターにもなっているが、「死は贖罪にはならない」というメッセージ性は詩音の向こう見ずさ、あるいは目明し編を乗り越えるロジックを提示していると言える。なお、ひぐらしPS2版(祭orカケラ遊び)をプレイ済みの人はこちらの記事も参照のこと。


<お漏らしで泣く頃に 閑話休憩編>
関節話法」や「褐色症候群」を始めとして、バカみたいな話を深刻に、真剣に書くというのは大好きだが、梨花が自分のお漏らしを隠蔽しようと奮闘する(?)この話もそういう点が非常に気に入っている。


<胡蝶ノ夢-Endless Nightmare->
ジョージ・オーウェルの「1984年」などが有名だが、ディストピア(=ユートピアの反意語)の描写というものは、単なる可能性の提示ではなく警告あるいは現状の幸福を再認識させるという効果を持ちうる(なお、「1984年」は監視カメラという点でひぐらしと繋がる)。この「胡蝶ノ夢」もそういった作品の一つだと言えるだろう(ゲームにおいては、PS2版の憑落し編がその役割を果たしている)。羽入の残虐性、あるいは「謝罪しない羽入」(=罪を引き受けない、罪を認めない)をレナや圭一たちの態度に連動させているところも上手い。なお、ネタバレしない範囲で言っておけば、世界のご都合性に関する違和感は澪尽し編でもかなり直截に提示されている。


<皆殺し編:限定補完~叩き売りオークション会場にて~>
一人一人の出品物(ネタ)もよくできているが、背景に北条家の扱いという問題意識があるのがすばらしい。なるほど、園崎家頭首が認めたらしいという話があっても、情報そのものが真実かと戸惑う人が大勢いるという話は説得力があり、それゆえに皆が集まるお祭会場で大々的に北条家への態度変更を明示する、というアイデアが非常に優れたものとなっている。圭一の戦略が幾重にも入り組んでおり、オチが効いているのも◎。以上のような理由から、個人的には「あるスクラップ~」と並んでひぐらし語咄し2の双璧をなす作品である。

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