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ひぐらし祭囃し編まではネタバレ。ただし、小説の中身そのものについて紹介程度にとどめる。
もし二次創作が一般化することが、作品の切り取り方(何を書かないか)や演出方法といった営為を軽視する傾向を生み出し、結果として安易な「説明不足」といった批判を助長するならそれは批判されるべきだと思う。しかしだからといって、当然ではあるが、二次創作そのものを一切認めないという気には到底ならない。というのもそうであれば、傑作「オイディプス王」や(実は個人的にはそれほど感銘を受けなかったのだが)「ハムレット」などもまた「二次創作である」という理由で否定されなければならないが、果たしてそのような否定にどれほどの意味があるのか、妥当性があるのか私には非常に疑問だからだ(なお、古典と呼ばれるものだけでも神話などの翻案は数多く存在するが、それらは全て否定されるべきなのか?)。二次創作、あるいは別の言い方をすれば翻案がなぜ否定されなければならないのか?「オリジナリティー」の問題という意見が出るかもしれないが、全くオリジナルな、つまりはいかなる作品の要素も関係せず、あるいは影響も受けていない作品などというものはほとんどこの世に存在しないように思えるし、仮に存在しているとしても、それは影響を受けているいかなる作品よりも価値があるのか疑問である。まあそういうことを考えていけば、結局は質の問題に行き着くのではないだろうか、と個人的には思っている次第である。
さていきなり堅苦しい話から始まったが、今回扱う「ひぐらし語咄し編 2」は、「ひぐらしのなく頃に大賞」に投稿された中でも何らかの賞を取った11の作品を掲載した本である。実はかなり前から「ひぐらし語咄し編」の存在自体は知っていたのだけど、「他にこんな世界も考えられる」というものやネタの範囲にとどまる作品が多いのだろうと思っており、何となく今まで敬遠してたのだ(fate hollow/ataraxiaのプレイ[ネタバレ記事]などがこの認識に深く関係している)。しかし一ヶ月ほど前のこと、当時はひぐらし祭囃し編をプレイしたりアニメ版を見ていたこともあり、ふと近くの古本屋で見かけた時に中身を見てみることにしたのだ。冒頭のコメントを読んでいて真っ先に興味が湧いたのは、「あるスクラップブックが示す断片的な顛末、あるいはある神の末路を記す断片的な記録」という作品。まあものは試しにと読み始めると、最初断片的かつ周縁的な情報が少しづつ形を成していき、やがては巨大な事件の真相が見えるという形式に引き込まれ、気がつけば最後まで読み終えていた。まあどのようにおもしろかったのかをより具体的に述べてもいいが、また堅苦しいことを書くよりは、そこからいかに自分がインスピレーションを得たかを示すことで、ある程度そのおもしろさ、影響の大きさを伝えることができるのではないかと思う。というわけで、以下「あるスクラップ~」が自分の記事に与えた具体的影響について書くことにしよう。
例えば「白川郷への道は遠く」の「ネバダ州」。白川郷に行きたいのはネタでも何でもなく本当の話だが、そこが雛身沢の元ネタであることを利用してボーイッシュの次の「褐色症候群」の記事に繋げてやろうと後半をいじり、さらに「ネバダ州」を追加した次第である。
まあこれだと単なるネタだが、「褐色症候群L4」では文体を決める参考にもしている。元々褐色症候群という呼び名は、自分の嗜好を「症候群」というまるで逃れがたい何かのように表現することでかえって「症候群」の愚かしさを浮き彫りにして相対化し、結果として「症候群」というものへの作者の距離感(雛身沢と現代社会のアナロジー)に連なる記事になれば…というような意図があった。とはいえ、当時の草稿を見る限り中身は「レベル3⇒レベル4なんじゃないの?まあどうでもいーや。適当だなあ。」といったネタを前面に出したものであり、今までの対話形式とそう大差なかった。しかしそこで「あるスクラップ~」を読んだことにより、報告書という形式を思いついた。そして、愚かしい内容を真面目くさった形式で書くことにより、むしろそれをあざ笑う構造をしつらえたが、これは祖父の症候群を盲目的に信じる田無美代子に捧げることで完成するわけである(ついでに言えばひぐらし綿流し編再考3から来て暗殺の動機とサイコロの1にまで接続する)。
これだけ書けばその影響の大きさは大方理解してもらえたと思うが、一応最後に「玉ネギの皮」にも触れておこう。そこにある盗聴記録という形式も「あるスクラップ~」からきている。もっとも、単なる会話じゃ今までの対話形式と変わらんので、盗聴からの連想で「ユービック」の主人公の名前を拝借し、さらにそれを一方通行にした上で、そのような自分の嗜好の分析が(度を過ぎれば)玉ネギの皮を延々と剥き続けるような不毛な行為であるだけでなく、この記事もまたそんな薄っぺらな断片(TIPS)の一部に過ぎないとを暗示することにした。これはまた、メタゲームで身動きを取れなくなるような精神構造、振舞へのアイロニーにもなりうるだろう、との思いを込めて。
何だか作品紹介よりも自分のネタの解題が中心になってしまったが、これらが「あるスクラップ~」を理解するための周縁的断片の一つとして機能するなら、私としてはこれに勝る幸いはない。さて次回は、これ以外の投稿作品で気になったものをいくつか取り上げ、簡単に評価を書いていくことにしよう。
ところで、実はもう一つネタとして取り入れている部分があるが、それは詳しく言わない。まあ俺が熊本市出身であることを利用したネタだと書けば気付くと思われるので。暇な人は探してみてくださいな。では、よいお年を。んっふっふ。
ひぐらし祭囃し編まではネタバレ。ただし、小説の中身そのものについて紹介程度にとどめる。
もし二次創作が一般化することが、作品の切り取り方(何を書かないか)や演出方法といった営為を軽視する傾向を生み出し、結果として安易な「説明不足」といった批判を助長するならそれは批判されるべきだと思う。しかしだからといって、当然ではあるが、二次創作そのものを一切認めないという気には到底ならない。というのもそうであれば、傑作「オイディプス王」や(実は個人的にはそれほど感銘を受けなかったのだが)「ハムレット」などもまた「二次創作である」という理由で否定されなければならないが、果たしてそのような否定にどれほどの意味があるのか、妥当性があるのか私には非常に疑問だからだ(なお、古典と呼ばれるものだけでも神話などの翻案は数多く存在するが、それらは全て否定されるべきなのか?)。二次創作、あるいは別の言い方をすれば翻案がなぜ否定されなければならないのか?「オリジナリティー」の問題という意見が出るかもしれないが、全くオリジナルな、つまりはいかなる作品の要素も関係せず、あるいは影響も受けていない作品などというものはほとんどこの世に存在しないように思えるし、仮に存在しているとしても、それは影響を受けているいかなる作品よりも価値があるのか疑問である。まあそういうことを考えていけば、結局は質の問題に行き着くのではないだろうか、と個人的には思っている次第である。
さていきなり堅苦しい話から始まったが、今回扱う「ひぐらし語咄し編 2」は、「ひぐらしのなく頃に大賞」に投稿された中でも何らかの賞を取った11の作品を掲載した本である。実はかなり前から「ひぐらし語咄し編」の存在自体は知っていたのだけど、「他にこんな世界も考えられる」というものやネタの範囲にとどまる作品が多いのだろうと思っており、何となく今まで敬遠してたのだ(fate hollow/ataraxiaのプレイ[ネタバレ記事]などがこの認識に深く関係している)。しかし一ヶ月ほど前のこと、当時はひぐらし祭囃し編をプレイしたりアニメ版を見ていたこともあり、ふと近くの古本屋で見かけた時に中身を見てみることにしたのだ。冒頭のコメントを読んでいて真っ先に興味が湧いたのは、「あるスクラップブックが示す断片的な顛末、あるいはある神の末路を記す断片的な記録」という作品。まあものは試しにと読み始めると、最初断片的かつ周縁的な情報が少しづつ形を成していき、やがては巨大な事件の真相が見えるという形式に引き込まれ、気がつけば最後まで読み終えていた。まあどのようにおもしろかったのかをより具体的に述べてもいいが、また堅苦しいことを書くよりは、そこからいかに自分がインスピレーションを得たかを示すことで、ある程度そのおもしろさ、影響の大きさを伝えることができるのではないかと思う。というわけで、以下「あるスクラップ~」が自分の記事に与えた具体的影響について書くことにしよう。
例えば「白川郷への道は遠く」の「ネバダ州」。白川郷に行きたいのはネタでも何でもなく本当の話だが、そこが雛身沢の元ネタであることを利用してボーイッシュの次の「褐色症候群」の記事に繋げてやろうと後半をいじり、さらに「ネバダ州」を追加した次第である。
まあこれだと単なるネタだが、「褐色症候群L4」では文体を決める参考にもしている。元々褐色症候群という呼び名は、自分の嗜好を「症候群」というまるで逃れがたい何かのように表現することでかえって「症候群」の愚かしさを浮き彫りにして相対化し、結果として「症候群」というものへの作者の距離感(雛身沢と現代社会のアナロジー)に連なる記事になれば…というような意図があった。とはいえ、当時の草稿を見る限り中身は「レベル3⇒レベル4なんじゃないの?まあどうでもいーや。適当だなあ。」といったネタを前面に出したものであり、今までの対話形式とそう大差なかった。しかしそこで「あるスクラップ~」を読んだことにより、報告書という形式を思いついた。そして、愚かしい内容を真面目くさった形式で書くことにより、むしろそれをあざ笑う構造をしつらえたが、これは祖父の症候群を盲目的に信じる田無美代子に捧げることで完成するわけである(ついでに言えばひぐらし綿流し編再考3から来て暗殺の動機とサイコロの1にまで接続する)。
これだけ書けばその影響の大きさは大方理解してもらえたと思うが、一応最後に「玉ネギの皮」にも触れておこう。そこにある盗聴記録という形式も「あるスクラップ~」からきている。もっとも、単なる会話じゃ今までの対話形式と変わらんので、盗聴からの連想で「ユービック」の主人公の名前を拝借し、さらにそれを一方通行にした上で、そのような自分の嗜好の分析が(度を過ぎれば)玉ネギの皮を延々と剥き続けるような不毛な行為であるだけでなく、この記事もまたそんな薄っぺらな断片(TIPS)の一部に過ぎないとを暗示することにした。これはまた、メタゲームで身動きを取れなくなるような精神構造、振舞へのアイロニーにもなりうるだろう、との思いを込めて。
何だか作品紹介よりも自分のネタの解題が中心になってしまったが、これらが「あるスクラップ~」を理解するための周縁的断片の一つとして機能するなら、私としてはこれに勝る幸いはない。さて次回は、これ以外の投稿作品で気になったものをいくつか取り上げ、簡単に評価を書いていくことにしよう。
ところで、実はもう一つネタとして取り入れている部分があるが、それは詳しく言わない。まあ俺が熊本市出身であることを利用したネタだと書けば気付くと思われるので。暇な人は探してみてくださいな。では、よいお年を。んっふっふ。
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