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月山富田城の天守閣に到着したので、辺りを見て回る。
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「天空の城」とも呼ばれた難攻不落の山城の来歴が様々な形で説明されている。
正直ここまで歩いてくれば「そりゃそうだろ」という感想にしかならないが(武具つけてこの峻厳な地を攻め込むとなればねえ)、毛利元就が力攻めをせず慎重に兵糧攻めで落としたという来歴を聞くと、その堅牢さはさらに印象深くなるところではある(まあ大内勢に従軍した第一次月山富田城の戦いで苦杯をなめた経験も関係しているのだろう)。
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天守閣から見れば、改めてこの場所の地理的重要性と峻厳さが理解できる。周囲の動静が一望できるのはもちろん、水路で周辺と連絡を取ることも容易なのだから。
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こちらは勝日高守神社で、奈良時代にまで遡る極めて古い由緒を持つらしい。元々山のような場所は神の鎮座するところとして祀られるケースは多かったが(前日に行った大島半島の「島山神社」がその一例)、そこに地理的・戦略的な重要性から築城が行われ、それが神社への戦勝祈願と特に深く結び付いたのが戦国の尼子時代だった。
戦勝祈願が難攻不落さと結び付き、それへの信仰が強化されると、守備側の士気は一種宗教的熱狂すら帯び、それがまた難攻不落さをいや増し、さらにそれが信仰を増幅するという循環構造、とでも言えようか。
月山富田城が峻厳な山城であることは知っていたが、そういう構造を体感できた点で、実際に訪れてみた収穫は大きかったと言えるだろう。
月山富田城が峻厳な山城であることは知っていたが、そういう構造を体感できた点で、実際に訪れてみた収穫は大きかったと言えるだろう。
そう思い、最後に一枚写真を撮ってその場を後にした。
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