「イジり芸」と信頼関係:とあるVtuberの案件で思ったこと

2021-01-08 11:54:54 | 感想など

前回夏色まつりについての記事を書いたので、そこで書いた「距離感と信頼関係」というテーマに沿って別のVtuberの話をしようと思っていたところ、

 

 

こんな動画がアップされたので掲載しておく。というのも、ここで話される一連の展開は、次に紹介するVtuberの特性とある意味で好対照をなす話だと思うからだ(もう一つとして、多分そのVtuberの話も長くなるので、さすがに二つ連続で「重たい」記事は避けた方がよいと考えたのもある)。

 

まず最初に断っておくと、私はここで事の真相を明らかにするとか、善悪を吟味する意図はない(これは「Vtuberの躍進とアバターの未来」で触れたこととも繋がるし、それもいずれ書こうと思っているが、軽々にそういう発言をすることがしばしば泥沼化するという現象は少なからず見られる)。そもそもこの動画で見た以上の情報を知らないし、それを検証する(裏を取って照合する)ような興味・関心を持ち合わせていないからだ。

 

ただ、この動画情報から一つ思うのは、月並みな話だが「『イジり』は信頼関係がないと事故の元」ということに他ならない(まあこのケースは、「扱いが雑」という表現の方が適切なのかもしれないが)。これはVtuberに限ったことでは当然なく、オフィシャルな仕事の場ではもちろん、家族や友人関係においても同じと言える。さらに言えば、たとえ同じ人(やグループ)相手に同じような「イジリ」をしたとしても、ちょっとしたタイミングの悪さや事後対応次第で、盛り上がる場合もあれば、むしろ大いに拗れてしまうこともある(これは前に紹介したでびでび・でびるが恋愛相談の中で賢明にも指摘しているが、近しい関係が徐々に破綻に向っていくのは、そうしてできた綻びを「まあ大丈夫だろう」と放置する「甘え」が原因になることも少なくない)。

 

そのような実態を踏まえれば、「イジり」や「イジり芸」というのは事前準備をいくらしてもし過ぎることはない、そしてそれができなければ、基本的にそれらは回避すべきである、というのが今回の事案の教訓ではないかと思うのである。

 

 

[隙自語コーナー]

ちなみに私は他人を「イジる」ような言動を基本的にしないため、時折「まじめ」だと勘違いされることがあるようだ。しかしそれは、今述べたような事情から、「他人を信用していない」(「自分を裏切るのではないか」という意味ではなく、「自分の意図が他人に正しく伝わる&自分がそれを正しく伝えられると基本的に思っていない」)ためである。そして「他人のラインがどこにあるのかを探る暇があったら、自分の知識を広げることに時間を使いたい」という程度には、他人に興味がないからでもある。

この態度は「共生の作法」、あるいはリベラルアイロニズムと結びつけて説明することもできるが、差し当たってはかなり前に書いた「嘲笑の淵源:極限状況、日常性、『共感』」「保守との結節点:理性への懐疑的態度」どが参考になるだろう。


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