ほう、自分の愛娘たちが調べものをして発表するのであれば、どうして耳を傾けないことがあろうか、いやない(妄言)。
というわけで、「観応の擾乱」解説動画である。室町時代から戦国時代が始まったのではなく、室パチ時代は最初から戦国時代だったって、はっきりわかんだね(テキトー)。まあ一応マジメに言っておくと、南北朝動乱による守護の強大化→守護大名化→応仁の乱などによる混乱(色々間飛ばしスギィ!)→群雄割拠の戦国時代という図式は、赤眉の乱を豪族の協力で鎮圧した後漢では豪族が力を持ち、ゆえに黄巾の乱で弱体化したら豪族たちの群雄割拠状態(→三国志)になっちまった、という構造を思わせる。
ただ、ここで注意を喚起したいのは、この擾乱のひっちゃかめっちゃかっぷりである。動画を見ればわかるように、一つ一つの関係性や事件はまあ理解できる。しかしそれが複数重なると、もう何か「くんずほぐれつ」という言葉すら生ぬるいぐらい混沌とした状況が惹起されるわけである。
私は昨日「構造を知ることが重要」という偉そうなことを書いたが、その効果というのは論理的整合性を知ることや、それを踏まえた上での戦い方を理解することだけではない。実は、体系化されあたかも巨大な建築物のようにそびえ立つ歴史や政治といったものが(もしくはそう習ったり思わされたりしたものが)、ちゃんと調べていくと実はテキトー&デタラメ&その場しのぎで起こったり作られたりしたものも多いとわかる点に、もう一つ重要な効果があるのだ(地球が130億年前・138億年前誕生説が今は有力になってる、とかその典型ですな。一体いつから、46億年前で「確定」だと錯覚していた?)。
という視点で以下の動画もどうぞ。
はい、ひっちゃかめっちゃか第一次大戦ですね。その被害の大きさなどから世界を震撼させた戦争だが、それにまつわるエピソードはもう混沌に次ぐ混沌。そもそもオーストリア皇太子の暗殺にしてからが、「これもうスパイがいて暗殺するように仕向けたんじゃね?」とさえ思えるようなミスをオーストリアがかましているわけですが、こういうメチャクチャが歴史にはいっぱーいあるんだぜと知ると、そもそも歴史なんてもんを「セカイセーシン」とか言ってありがたがってるみたいな発想自体が一種の宗教っつーか妄言ですわなと嫌でも気づかずにはいられない(これは前に書いた『AI原論』でも出てきた認識論にもつながるし、ヒュームの懐疑などはその典型であろう)。
たとえば16世紀のスペインというと、大航海時代による急速な領土拡大から1580年にポルトガルを併合して「太陽の沈まぬ国」となったが、ネーデルラントへの対応をしくってオランダ独立戦争が始まるわアルマダ海戦でイギリスに敗れるわで衰退していった、という流れを学校で習うことだろう。しかし実際には、そもそも16世紀中庸、つまり最盛期でブイブイ言わせていたとぼんやりイメージされているであろう時期に破産宣告しており、それは1557年、1560年、1575年と3回にも及んでいるのである(ちなみにネーデルラントの独立戦争は1568年開始で、アルマダ海戦は1588年)。
もちろん、これもちゃんと調べれば、長きに渡るイタリア戦争が1559年のカトー=カンブレジ条約でようやく終結し、そこでのフッガー家などに対する借金が破産に影響しているとかわかるのだが(ついでにハプスブルク家という観点で言うと、神聖ローマ帝国内の旧教VS新教のシュマルカルデン戦争が1555年まで続いていた)、私が言いたいのは要するに、「教科書の黒字を追うみたいな勉強をしたりさせられたりしていると、歴史や社会がちゃんとした形で成り立ってると無根拠に思いがちだが、実はそんなことは全くないということがきちんと調べることで理解されるし、ゆえに現在も未来も、国家や社会というものはデタラメな部分は多分にあるし、未来もそうでありうる可能性が極めて高いこともまた感得される」という話である(そもそも、自分やその周りを考えてみても、人間というものがいかに非合理的な行動をしたり、勘違いをしたりするかはすぐ理解できるはずだ[cf.「保守との結節点:理性への懐疑的態度」]。それがより大きな集合体となれば、その合わせ技でとんでもない事件や仕組みが生まれる可能性も等比級的に増える、というわけである[もちろん、熟議という形態などによりそれに歯止めがかかるケースもあるが。ある意味それを言ったのがチャーチルの「最悪を避ける」仕組み発言だろう]。「事実は小説よりも奇なり」とは全くよく言ったものだ)。
このような知識と理解から生まれる構えは、「お上に任せておけば何とかなる」では絶対にありえないだろう。また、歴史や社会についての言説も、鵜呑みにするのではなくきちんと検証する姿勢が重要であると当然のように思うことだろう(ちなみにここで陰謀論を想起する人がいるかもしれないが、陰謀論の根底に共通して見られるのが、世界は表沙汰になっていないある事柄で体系的に理解できる、という極めて宗教じみた世界理解であることに注意を要する。というのも、その点を理解しなければ燎原の火が如きその広がりも理解しえないし、またそれに対し論理でもって反論・否定してそれを消し止められると甘い観測をしてしまいかねないからだ)。
というわけで、歴史を知ることは、単に過去への興味というだけでなく、現在そして未来に対する私たちの構えに極めて大きな影響を与える。そのことを強調しつつ、今回は稿を負えることにしたい。
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