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さよならを教えて~めくるめく自慰識の世界へ~

2011-05-25 18:03:00 | ゲームレビュー

自己愛と自己破壊」に続く、「さよならを教えて」レビュー復活第四弾。

久しぶりに見返した時、キャラ達の配置が全体として何を意味しているかに前の回でフォーカスしたのに対し、ここで個々のキャラにスポットを当てて「逆行」しているのはなぜ?とまず疑問に思った。このゲームにおいて各キャラは(嫌味に見えるくらい)徹底して類型的に描かれているため、それを掘り下げても行きつくのはベタな類型を下敷きにした凡庸な結論、あるいは自慰識でしかないからだ(なお、自意識という檻を表現した作品としては「明日、君がいない」の演出がおもしろい)。そういうわけで、「トラウマを背負っているらしい記号的ヒロインを聖的存在に祭り上げ、同時にそれを破壊せんとする思考・行動様式は何を象徴しているのか?」というような視点に立たないとまるで意味がない(で、まさにこれが「レイプファンタジー」という話になっていくわけだが)。

いや待てよ、待て・・・あるいはキャラに埋没した書き方をすることで、原作の構造を暗示しようとしたんじゃないか?そうだ、そうに違いない!などと俺のこじつけ機能(笑)が発動しそうになったところで、原文のまえがきに「昔書いた覚書を載せておきたいと思う」とあったので得心がいった次第。

しかしまあ購入日まで書いてあるって細かいな~(これパラノイア的言いますね、マケなさいw)。当時は出納帳をつけていた(笑)ので恐らく間違いはないだろう(当時の俺に騙す意図がなかったならば、だがw)。この時期は高1から使っていたポンコツデスクトップをノートPCに買い替えた頃だから、それに合わせてPCゲームを購入しまくっていたのだと思われる。なお、覚書を書いたのは「2005年7月29日」とあるが、その時期は君が望む永遠flutter of birds沙耶の唄、ひぐらしのなく頃に(目明し編)など数々の傑作を一気にやってレビューを書きためていた時期にあたり、それがおよそ二カ月後(2005年9月27日)のブログ開設に繋がりますよと。

まあそういうわけで、レビューという名のめくるめく自慰識の世界をお楽しみください。

 

<原文>
先日「さよならを教えて」のエンディングについて書いた。次はもう少し深い部分まで考えてみたいと思うが、その前に昔書いた覚書を載せておきたいと思う。ただ、分量が多いためここでは全体の評価と睦月、まひるのキャラクター分析だけを載せ、残りは次の記事に回す。また一応中身について説明しておけば、「さよならを教えて」を購入したのが2003年の9月8日(当時の記録に残っている)、覚書を書いたのが2005年7月29日である。なお、文章は一切改変していない。

※以下覚書

今はなきCraftworksが2001年に発売した問題作。詳しくは知らないが、デモムービーの頃から話題を呼んでいたらしい。現在ではプレミアがついている。


[全体の評価]
シナリオ、というか設定が最高(後述)。サウンドノベル形式だが音声あり。声に違和感なし。絵・音楽はよくできており、夕暮れ時という正気と狂気の交錯する空間を上手く演出している。キャラクターはそれぞれに個性的だが、それぞれが主人公の妄想の投影(ただしそのものではない)であると同時に、主人公の性格の一部が反映されているという他のゲームにはない特徴がある。システムは今ひとつ。まずアイコンが使いにくい。何故か選択肢画面でセーブできない。一番痛いのは、曲再生の時のCD読み込みの音がうるさいこと。これは特に最後のスタッフロールの場面で歌が流れるときにそれがよく聞こえなくてかなり萎える。黒の背景に赤の文字、そして毒々しい歌という三重奏がすばらしい部分だけに残念。


[キャラクター]
(巣鴨睦月)
本編での攻略可能キャラの中で唯一実在の人物。どういう経緯かはわからないが、主人公と同じ病院に通って(?)いる(制服姿なのでそう推測したが、主人公の世界観上の制約である可能性もある)。主人公は彼女に侵しがたい聖性を感じ、「天使」と呼んで畏怖と憧れの念を抱く。本編は、主人公の夢の中で「天使」である彼女が異形の怪物に犯されるシーンで始まる。彼女のどこに「天使」と認識される必然性があったのか、といったことは病院との関係と同様明らかにされない。ただ推測すれば、女性に強い興味と欲望を抱く反面、それに強い罪悪感を覚えて抑圧していた主人公にとって、特定の女性に心が惹かれるということはそれだけ特別な意味があったのだろう。とするならば、彼女に対する特別な感情(一般的には恋愛感情)が、それまでそういう方面の感情が抑圧されていたことの反動で強化(聖化)されて「天使」という偶像へと繋がったと考えられるだろう。そしてまた、そういった感情への抑圧が、夢の中で「天使」を犯す異形の怪物というカタチで表れているのだと推測される。
 別の視点で見ると、そこには他のヒロインとの差別化という表現的技巧も含まれているように思える。他のヒロインは、本来猫やカラス、人形、しまいには標本といった間であったものが主人公の視点を通して人間化されたものであった。そこから逆に、実在の(すなわち正真正銘の人間である)ヒロインを「天使」化(=間化)することによって他のヒロインとの差異化を計ったのだろう。かように本作は人間と間の区別を表現上で行っているのであり、エンディングの差異も含めて作者のこだわりが窺える。ただ、一つ問題点を提示しておくなら、そういった人間・間の表現的区別の中で、なぜ保険医と姉が他のヒロインと同じ(=人間化されたもの)ように描かれているのかということは考察されるべきところであろう。主人公にとっては間と同じレベルだと暗に言いたいのか、あるいは同じ「教師」として認識されているためにヒロインたちとは違ってきているのだろうか…


(田町まひる)
ツインテールの元気な妹という感じ。始め意味がわからないのだが、事故にあって死ぬ様子やまひるが小さくなることから、主人公の飼っていた猫がその原型になっていたことがわかる。つまり、まひるは現存する猫に主人公が昔飼っていた猫を重ね合わせ、擬人化して生まれたキャラクターなのであった。
ここで一つ問題がある。主人公が昔飼っていた猫を現存する猫に重ね合わせるにあたって、当然その二つが同種のものであることが要因となっていると考えられる。であるならば、主人公はまひるを猫として認識していなければおかしいことになる。詳しく言えば、仮に主人公がこの時点で昔飼っていた猫をまひるという擬人化した存在として記憶・認識していたとしても、それだけでは縁もゆかりもない猫をまひるとして認識することには繋がらないだろう。とすれば、まひるとして認識するには、猫を一つの類型として認識していなければならないことになる。これは言い換えるならば、全ての標本が望に見えたりするってことである。しかしながら、作中の主人公にそういった凡人格存在的世界観があるようには見受けられない。ただ、狂人の人格賦与方法について、どこまで製作者側が意識して表現しているかわからないのでこれ以上先に議論を進めるのは難しいため、さしあたってまひるが主人公の記憶の中で大きな位置を占めていたこと、そして学校に現れた猫がまひるとして認識されていたことを指摘するにとどめる。


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