undertale:復讐心と断念

2019-02-12 12:39:18 | ゲームレビュー

 

 

 

 

 

少し前にundertaleで描かれる復讐の連鎖と共生の話をした。このようなテーマは、新奇なものではない。例えば復讐の連鎖は1972年の「海のトリトン」(アニメ版はガンダムの産みの親である富野が監督)、そして共生や不殺は1985年の「蒼き流星 レイズナー」で物語の根幹をなしている(そもそも主人公は地球人と異星人の混血であり、それが主人公の立ち位置や扱いを微妙なものとしている)。

 

もちろん、これはundertaleのテーマが二番煎じ・三番煎じということでその価値を減じるものでは全くない。どころかむしろ、テーマの普遍性を表していると言うべきだろう。なぜなら、実際私たちはパレスチナ紛争やユーゴスラヴィアの民族紛争といった復讐の連鎖(前者を扱った作品にスピルバーグの「ミュンヘン」がある)、あるいは移民問題・難民問題、そしてスコットランドカタルーニャ独立問題のような共生の困難に直面しているからだ(これは日本においても沖縄や北海道を始め様々な事例が挙げられる)。

 

とはいえ、単に「復讐を断念せよ」とか「他者を包摂せよ」と訴えれば、それで問題は解決するのだろうか?少なくともこれまでの事例(歴史)を見る限り、そんなことは起こっていない。正確に言えば、人類の歴史は絶えざるstruggleの中にあったからだ。それは常に争っているという意味ではなく、(戦争を含む)闘争による破滅を回避するための断念や知恵もまた、忘却やシステムの耐用年数超過により、あるいは他の条件の変化により水泡へと帰す。そのような緊張と緩和の絶えざる運動が人類の歴史であったのだ(そういやフランシスおじさんが「歴史の終わり」なんて冷戦後に言ったと思ったら、9.11が起きて潮目が変わりましたなあ。もっとも、こういった秩序の流動化で利益を得る人間もいるわけだけど)。

 

undertaleに話を戻すなら、多くの仲間を殺されたundergroundの住人達は、不殺(復讐の断念)を誓う新たな統治者を受け入れず、追い出した。これを現実世界で言うなら、たとえば9.11とその後のアメリカの軍事行動を思い起こすこともできるし(一応言っておくが、テロリストを撲滅すること自体は必要な行動である)、あるいは凶悪犯罪者に対して死刑を訴える住民たちの行動を想起することも可能だろう。

 

たとえば私は死刑のシステム的問題のため現行の死刑制度に反対(懐疑的)だが、それと同時に自分の愛する存在が殺されたならば司法がどうとか関係なく、その対象を惨殺しようとする衝動に駆られるだろうとも思う(正確には、自分に関係のない人間であっても、凶悪な犯罪者はこの手で殺したい思いに駆られる。そもそもそういう連中がまだこの世に生き続けていること自体が不条理そのものであるとさえ思うからだ)。だから、死刑のシステム的問題を検証したり指摘はするし改善すべきだとも思うが、同時に加害者の人権がどうとかいう言説を聞いていると、たいてい「死刑賛成の人間に届くと思って話してんのかね?」と不思議に思えるくらい心に響かなくていささか驚かされる(まあこれはジョナサン=ハイトで言えば「象」と「乗り手」の話で、象に訴えかけねばならないところを乗り手を説得しようとする過ちを犯しているように思える)。

 

undertaleの物語は、そのことをよくよく理解して作られている。正しい、あるいは正しそうに聞こえる「理」で人が動くとは限らないし、たとえこれまでの歴史的事例などを用いて悲劇の共有などをしたとしても、なお燃え上る激情の火を鎮静化させるのはしばしば困難なのである(逆に言えば、こういった困難さに目を向けることなく、ただ「赦し」や「共生」、「包摂」が重要であると述べたところで、それはただのポリコレ的お題目に過ぎない。私が「シュガーラッシュ」を評価する一方で、最近日本で公開された「シュガーラッシュオンライン」をさして評価しないのは同様の理由からだ。後者に関して言うなら、あのようなラルフの描き方で、作中のディズニープリンセス=これまで求められてきた女性像をネタ化することに批判的だったりするような、すなわち保守的な人々を説得したり、感銘を与えられると本当に思っていたのだろうか?私は描いている内容・テーマについては基本同意する側にいるが、描き方が悪手だと思わずにはいられなかった)?

 

最後に、undertaleにおいて平和的ルートとGルートで対照的な描かれ方をしているキャラの話をして終わりとしたい。

 

 

 

平和的ルート、すなわちこちらが害意を持たない時、彼女の人間に対する敵意と仲間を守ろうとする決意はいささか滑稽な形で現象する(脱水症状でギブアップの件を想起)。一方でGルート、すなわちこちらが殺戮者となった時、彼女は決死の覚悟(DETERMINATION)をもってこちらの凶行を阻む、まさしく真の英雄として立ち現れる(そして実際にその強さから、ラスボス直前に現れる彼に次ぐ壁となっている)。繰り返しにはなるが、undertaleは共生をテーマとしながらも、それと相反する性質のルートを設け、またそこで同じキャラを別の描き方をするによって、ただ平和・共生を理想とする描き方よりもいっそう受け手に思考を促し、その結果私たちの理解をより深いものとする傑作となっていると言えるのではないだろうか。


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