2011/12/01
<エロス同盟、ヘルス同盟>
新高円寺駅の路地に引かれ。東京立証高校、なぞの公園と高台、大宮神社、でかい、鶏うるさい、竹林。おもしろいとこ一杯。善服地川、和田堀公園、城北公園と同じ看板、方南通り、甲州街道デビュー、八王子!?知らずに南下していた。まあよくあることだ。環七に入り帰宅。
<歩行困難>
最近になって、なぜ昨冬に歩行困難となったか理解できた。その原因は紛れもなく根源的射精にある。スティックをしごく強制排出などたかが知れているが様々な方法をもちいた根源的射精は自然にせり上がってくるようにするため、根から空になるまで出る。それは局所的ではなく全身を貫く快楽だが、一方で大きな副作用をもたらす。すなわち、腰~太ももにかけての脱力感と痺れを伴うのである。その快楽の大きさに見合った代償をを理解した上でコトに望まねば、即座に虚ろな肉細工ができあがるという寸法だ。ゆめゆめ忘るるなかれ。
<新堂エル>
TSF物語。性転換モノ。それ歴まだぁ?はともかく。気になるのはよつば。無垢さが食い物にされていく。無垢を無邪気に愛でる・よしとする態度へのアイロニーに見えてくる。しかし普通嫌いな作品の二次創作なんかしなさそう。あるいはアンビバレンスな感情を?あなたどう思いますか?
ソウルイーターのメタ?沙耶の唄、テルマエ湯の力。全面に押し出しすぎないように。無神経さと鷹揚さを混同するアホが量産されるから。日本的想像力の未来。カルスタ、ジョナサン談義。高校時代民族紛争や戦争ってサッカーで勝敗決めたらええんちゃう?本気で怒ったヤツがいてビックリ。怒りは理解できる真剣に考えてないorネタにすんなと。ウエッキーが言いたいのは、それしかないという「真面目さ」「真剣さ」こそが事態を深刻に長引せているのではないか。ズラす発想が必要。祭り。意図したユルさが必要(なお、二次創作には解放と多様性の許容という側面と同時に閉塞の危険がある=小さく快適な物語を探し出して引きこもるのが容易。そこに断念はない)。「われわれ」の範囲。関係性の積み重ねが境界線を侵食する。興味を持ったら「鬼が来た!」を見て。親密さの醸成とカタストロフ。
<純愛>
あるいは同じ顔に整形した他人をその人だと死ぬまで思い込んで愛し続けたとしたら、それはどういう評価になるのだろうか?あるいは何への純愛ということになるのだろうか?→絶対の愛、原題は正しくも「時間」。気持ちの不変性を求める姿がカリカチュアライズされ描かれている。これに絶対の愛?ならともかく絶対の愛と名付けてしまうなんとナイーブなことか!
眼が死んでたのはいつも眠かったから。宵越しの精子は持たないってのがあちきのポリシーでして。
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