我々は人間と「なる」のか、それとも人間で「ある」のか…
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人間の定義が単なる器としての人間であることではないとすると、やはり形成過程、つまり自己と他との区別ができ、尚且つ己は何者かと思考しうる時だと結論づけることができるのかもしれない。(まああくまで一般的にだが…)。
個人的には周囲の配慮に欠ける態度をとる『人間様』は、動物にしか映らない目を持ってる類なんだが…w(爆)
まあ狼に育てられたってのは疑わしいというのが今日の通説のようだが。
今は「飼育員」だからな(笑)
その感じだと結構疲れてます?まあ私も人のこと言えませんがw
コメントの内容からすると、要するに欲望を理性できちんと抑えることができ、かつ義務を果たせる者が「人間」の名に値する、ということでしょうか。
だとすれば、それは近代における理想という感じがしますね。今日だと義務というものの扱いが難しくなってきていて、例えば会社ではいかに抑えつけずに自発的に人を動かすか、モチベーションを作り出すか、といったことに注目が集まっているみたいですから。また今さらですが、欲望を肯定する社会でもありますしね(さらに事態が進めば不快感の表明が過激化していく、と)。
まあでも管理する側にとっては孫策(と一応呼びますが)さんの言うような人が便利なのは、非常によくわかるんですけどね~w