ちょこ先生というVtuberを見て、昔憧れていた人に再会したような錯覚を覚えたが、「ひぐらし 業」でそれが鷹野姐さんだと気づき思わず「ユーレカ!!!」と叫んだとか叫ばなかったとか言われるムッカーですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか(・∀・)?
さて、前回は綿騙し編を全て見た上で綿騙し編の世界構造について考えてみた。よってここでは、鬼騙し編と綿騙し編の内容を踏まえて、世界の共通ルールと思しきものをあれこれ書いていきたい。祟騙し編の予測まで書こうと思ったが、それだと考える楽しみがなくなるという人もいるだろうし、また分量もなかなかのものになってしまうので、ここでは共通要素の考察にのみ絞ることとする。
1.犯人は女
鬼隠し編の前原圭一という「ノイズ」がなくなったことで、犯人が全て女である「うみねこ」に近づいたと言える。
2.犯人は家族のことで症候群を発症し、凶行に手を染める
これも1と連動するが、鬼隠し編の前原圭一という「ノイズ」がなくなり、犯人の性質がより近似のものになった(なるほど彼も症候群を発症して凶行に到ったが、それは家族を原因としたストレスによるものではない)。
3.旧ひぐらしの世界で固定化されていた富竹の死が登場しない(実際に死んでないのかまでは不明)
そもそも富竹の死に「鷹野=ラムダデルタ」の強固な意思が介在していたことを考えると、「ひぐらし 業」の世界にラムダデルタが関係していない可能性をうかがわせる。あるいは少なくとも、この世界において「ラムダデルタは鷹野三四ではない」。なお、鬼騙し編でも富竹の死体が出ていないのかは不明。
というのは、この話を梨花が圭一に話していた時、彼女は意識的か無意識的か、自分がかつて目明し編でしていた例え話を圭一がしたのを嘲笑うという描写になっている。これは圭一が目明し編の記憶もうっすらと継承していること、梨花が記憶の継承を断片的にしかしていないことを暗示しているとも思われ、そうするとここで古手梨花の言う「富竹の死体が出ていないのは珍しい」が旧作VS「ひぐらし 業」という比較なのか、はたまた旧作+鬼騙し編VS綿騙し編という比較の話なのか、どうも判然としないからだ(なお、喉を掻き毟って死ぬ、という人間は「ひぐらし 業」の世界でこれまでのところ一人も登場していない)。
4.沙都子の死に方にだけは共通点がある
圭一、レナ、魅音、梨花、詩音の主要キャラ5人が二つの話で別の死に方をするかそもそも死んでないのに対し、沙都子だけが非常に類似した状況で死んでいるのは興味深い(梨花でさえ、死という要素は共通しているものの死に方は大きく異なっているのに、だ)。
というのも、3で述べたように富竹の死というほぼ変更不可能な惨劇=「時報」すら無くなった中で、同じことが繰り返し生じているのは沙都子だけだからだ。とするなら、ラムダデルタでこそないにしても、アウローラあたりの(強固な)意思がここに介在している可能性は十分にある。
5.そもそも「大災害」が起こっていない?
これ自体は、実は大災害自体が起こった鬼隠し編でも圭一は知りえない情報として描写されなかったため、現時点で旧ひぐらしと違うと言える確証ない。よって現在見えている情報だけから判断するのは早計かもしれない。
しかし、鬼騙し編も綿騙し編でも梨花が死んでからおそらく数日は経っていること、にもかかわらず大量虐殺は生じていないらしいことから(でなければ鬼騙し編で魅音は圭一のお見舞いに来れないはず)、そもそもこの世界では、「女王感染者の死による雛見沢症候群の集団発症とそれを防ぐためのマニュアル34号の発動」というルールが存在するのかさえ疑問の余地がある(ただし、山狗の暗躍はあからさまに示されているため、類似のものは存在する可能性大)。
あるいは、3で述べたように鷹野=ラムダデルタという要素がこの世界では存在していないのなら(言い換えると、鷹野がより「人間的」で揺らぎを持って行動しているのなら)、今述べたマニュアル34号自体は存在したとしても、鷹野が富竹と駆け落ち(?)するという未来を選び、「鷹野が富竹を殺す→入江の謀殺に見せかける→混乱の乗じて梨花殺害→マニュアル34号発動」という展開が生じないのではないだろうか?よって「ひぐらし 業」は、全体として「雛見沢大災害」のトリガーが発動しない、という世界線(あるいは虚構内虚構or二次創作)の可能性がある。
仮にこの見立てが正しいとすれば、梨花がハッピーエンドを迎えるには、このようなゲームルールの大きな変化に気付くことが必須だと言えるだろう。
とはいえこれは祟騙し編で完全に引っくり返される可能性があるので、まあそこは今後の展開を見てみようじゃあないか( ̄ー ̄)
6.信じると裏切られる構造
これはいくつかの狙い・意味があると予測され、
1.リピーターの予測を外す (同じことが起こるなら、何の面白みもないわな)
2.梨花殺し (経験則でハッピーエンドを目指す梨花を、むしろそれによって罠にかける)
3.旧ひぐらしのテーマとの相克 (これはOPテーマの題名がI believe what you saidなことからも意識的だろう)
といったものが考えられる。とするなら、少なくとも祟騙し編まではこの構造が持続する可能性が高い(これは次回述べる)。1はまあいいとして、2はそもそもこの世界が「梨花を殺す」ために作られたものである可能性を疑わせる。すなわち、「もう誰も、何もかも信じられないわ!!!」と彼女が発狂して諦める状態(リザイン)に追い込むことが狙いで、梨花が過去の経験則を元に必死にハッピーエンドを目指すと、かえってそれが別のトリガーになるような構造にこの世界は仕立て上げられているのではないか。
もちろん、一般的に言えば、「あちらを立てればこちらが立たず」とか「禍福は糾える縄の如し」、あるいは「人間万事塞翁が馬」といった言葉があるように、そもそも世界は見通し難いというテーマ(賽殺し編じゃないが、「ゲームのようにはいきませんよ」ってことだ)はありうる。しかし、わざわざ3の要素が曲名まで含めてクローズアップされていることからすると、まあ旧ひぐらしで描かれたテーマとの関連性を考えつつ見ていくのがよいだろう。
というわけで、今回はとりあえずここまで。
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